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2 例えばこんな出来事でも


私の一日は、煙草を吸うことではじまる。

換気扇を回してその下で胸いっぱい吸い込んで、吐く。白い煙と白い息が合わさっている。

昨日飲んだまま放り出した缶ビールを顔をしかめながら洗ってゴミ袋に突っ込んだ。もちろん潰して。いっぱいあるので、潰さなきゃ入らないのだから。


寒いと思ったら雪が積もったらしい――室内の温度がマイナスってどうよ。と呆れながらも寒さを自覚したからか、がたがた震える身体を温めようと暖房のスイッチをいれた。

さすがにワイシャツ一枚は自殺行為だったかもしれない。ベッドの中の温かさが愛おしくなって、私はそっと腕をさすった。

昔間違って買った男物のワイシャツは一枚で着て丈の短めなワンピースみたくなるから楽なのだ。誰も来ないし。

しかしちっとも温まらないので風呂にでも入ろうかと立ち上がったところで携帯がなった。



「はいもしも――、」

『郁先輩生きてますか!?』

「…仙道、あんたね、声抑えなさいよ!耳が痛いじゃない馬鹿」

『うお、久々の郁先輩の罵声。うれしいっつーか痺れるっつーか。先輩なんなんですか?』

「…あんたこそなんなの」


開口一番生存確認をした挙げ句存在まで謎にしてきた、なんだかしらないけど昔から私を慕って(いるらしい)後輩、仙道春樹の声にいらつきながらも懐かしい気持ちになった。久々に声を聞くからだ。

昔馴染みとの会話は意外と楽しい。

神崎雪斗も、昔馴染みに入るのだと、苦笑した。思い出した名前はいつだって一番最初に出てくる。

――昔馴染みの部類にいれるなんて嫌なくせに。

友人の枠にこだわりつづけるのは安全地帯だからかもしれない。

友人ならば、私が隣に立っても許される。


「それで?何か用事?」

『先輩これから何か用事あります?ないんなら飲みませんかーってお誘いに。良いワインたくさん貰ったんで貢ぎにきました。で、俺今先輩の部屋の前なんスけど』

「ストーカーかお前は! しかしよくやった仙道、流石。褒めてあげる。とりあえず私お風呂入りたいから入って待ってて」

『え、先輩それ誘ってますよね?』

「誘ってねーわよ馬鹿。どこら辺が誘ってんのよ。ああ、寒いのが好きなら一時間くらい外にいる?それはそれで一向に構わないわよ」

『すみません!寒いです、寒いのやです!馬鹿みたいな期待してほんとすみませんだからいれてください郁先輩――、って神崎先輩?!』

「は、はあ?!」


電話口から聞こえたありえない名前に口元がひきつる。

考えてたからって、登場までは望んでない。すっぴんは今更だし長い付き合いでどうしようもない姿ばっかり見せてはいるけれど。


『うわ、奇遇っスね!先輩んちここなんですか?え、郁先輩に用事?ああじゃあ一緒にいれてもらいましょうよ。郁先輩ー、あけてくださいー』


朝っぱらからうるさく喚く馬鹿に頭痛を覚えながら私はドアを開ける。一発仙道にぶち込むのも忘れずに。

うぐっ、とうめいた仙道はそれでも大事そうにワインを抱えていたので、ちょっと見直す。

ひんやりした冷気にうわと引き攣れば、神崎に馬鹿かとキレられた。


「神埼、何でいるの?」

「ってか先輩やばいっスよその格好。なんでワイシャツ一枚?つか俺とか神崎先輩意外が来たらどうすんですか、お持ち帰りか中で強制的にあれっスよ!」

「あんたらがいたから出ただけだっつーの!別に今更でしょーよ。ほら、近所迷惑だから入って。適当にはじめてていーわよ。風呂行くか、ら………」


私だって、さすがにこの格好はと思わなかったこともないけれど。でも昔馴染みだしいいかなと思ってしまったのだ。

そうしたら、神崎に腕を掴まれた。見上げた顔は怒っている。珍しく、自発的に怒っている。


「え、神崎先輩?」

「悪いな仙道。後で呼ぶからちょっと外せ」

「うっわ了解しました!これ置いとくんでとっといてくださいね郁先輩!」


ワインをおいて、びゅんと走って消える後輩。今はあのうるささが懐かしく感じるくらいには、外の空気と同じくらいに神埼の冷気がすごい。

――どうしてこんなに怒ってるの?

疑問符を浮かべたままの私を部屋に押し込めて神崎が睨みつける。

ばたん、としまったドアの音がいつもより大きく聞こえたような気がして肩を竦めた。

ようやく暖房が利きはじめた部屋は、この空気とは打って変わって暖かい。



「郁、もっと気をつけろ」

「…この格好で出てったのは謝るわよ」

「だったら、」

「でもあんたらじゃなきゃ開けないし、あんたらだから大丈夫だと思ったのよ!ていうかあんたは私のお母さんか!」


逆切れも甚だしい。昂ぶった感情のままに叫んだ。

いやでもこれは本当に私が悪いのだけど、なんだか我慢が出来なくなってしまったのである。こっちの気も知らないで心配なんてしないでほしい。余計好きになってしまう。好きなんて言わせてくれないくせに。


唇をかんで震えそうになるのをこらえる。

報われない恋なんてないと思っていた。思った恋は、いつか必ず叶うのだと信じていた馬鹿な私は、いつまでたっても馬鹿なままで、かなわない恋が自分の前にあるのに知りながらどこか他人事のように思っていたのだ。

そう、近すぎる。友人として立つことを望むのに、私の中の女がそれを邪魔する。

ああ、酒が飲みたい。飲んでやろう。泣きそうに歪む口元を背を向けることで誤魔化して、神崎に背を向けて廊下へ出る。仙道が置いていったワインを引っ掴み乱暴に開ける。


「郁、落ち着け」

「せっかく飲めると思ったのに邪魔しないでくれる?」

「着替えてから飲め」

「神崎が出てけばいいでしょ!」

「出ていかない。郁、着替えておいで」


そんなに優しい声で、名前を呼ぶなんて卑怯だ。

子供の様に泣き出したくなる気分。悲しい、つらい、嬉しい、いろんな感情が入り交ざって渦を巻く。


はあ、とため息をついた神崎が私からワインボトルを取り上げてグラスに二人分注いだ。

着替えて来い。ともう一度優しく言うから、今度こそその声に逆らえず私は部屋着を取りに行く。神崎がキッチンへ入っていったのがわかって、唇を噛みしめた。

優しくするなバカ。

言葉が言葉にならなかった。胸が痛くてシャツを握り締めながら溢れそうになる涙を袖で乱暴にぬぐった。

――期待なんてするもんじゃないのに、特別なのではないかと感じてしまう。

私は神埼の特別なんかじゃないのに。

顔をばしゃばしゃと洗って頬を叩く。大丈夫、こんなのは慣れっこだ。

部屋に戻れば神崎がソファに座っていた。

テーブルに置きっぱなしの携帯をとって電話をかける。


「お待たせ仙道、今から飲むからいらっしゃい!早く来ないと飲んじゃうわよ」

『今すぐ行きます飛んでいきますー!』

「いや、飛ばなくていいから」

『……大丈夫っすか』

「だから飲むんでしょ!」


ごめん、手のかかる先輩で。そう思いながら電話を切ってワインを一息に煽った。

大丈夫ですか?その、トーンの低い私をいたわるような声が耳から離れない。

仙道は神埼の過去を知っている子。そして、きっと、私の思いも知っている。


呆れたような神崎がゆっくり飲めともう一杯注いでくれる。

今度はゆっくり飲みこんだ。アルコールが体に回る感覚。

今日のこの感傷を流してほしい。私はまだ大丈夫だと思えるように。ソファに隣り合って座りワインを注ぎあいながら飲む。

この距離はほんとに男友達みたいだとほんのり酔った思考で思った。

――仙道が来てそれからたくさん飲んで、ソファに寝転がってもっと飲みたいと手を伸ばしたところで私の意識は途切れたのだった。




「…だからほっとけない」

「あー、やっぱ寝ちゃったんスね」

「飲み過ぎだ馬鹿」


神崎先輩が郁先輩に毛布を掛ける様子をみてオレは誰のせいだよと心の中で呟いた。

この二人には幸せになってほしい。でも、オレは誰よりも郁先輩に幸せになってほしい。

酒を逃げ道にすることがないように。一人で泣いて一人で飲んで悲しさを消すために酔って寝て、それで傷を消した気になってるこの人が、早く幸せになってほしい。

後輩のオレはこの人を救えない。ちょっとした慰めはできるけど、姉として慕っている先輩にオレは神埼先輩の変わりはしてあげられない。

オレじゃできないことを、早くしてくれる人がでてきてほしいけれど、本当は神崎先輩がそうなってくれるのが一番いいんだろう。

そう思いながらオレはかいがいしく世話を焼いている神崎先輩を眺めたのだった。








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