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14 告げる言葉は

歩いている最中、彼女は一言も言葉を発しなかったし、俺も話さなかった。

ひたすら無心で歩いて、市立病院近くの公園に足を向けたので素直についていく。

どこにいくのか、を問う前に急に立ち止まった彼女は俺を振り向いた。


「私、貴方の事やっぱり好きになれない。勝手な言い分で泣かせて、手を離して。それで、どの面下げて郁に会うの」

「…そういわれても仕方ないことをしたっていうのは解っている。でも、俺は笹原が好きだ。笹原がもし赦してくれるなら、俺は今度こそアイツと歩いていきたい。自分で決めたことを後悔したのは、久しぶりだった」

「バカじゃないの、自覚するのが遅いのよ」

「それを自覚できたのは、仙道とアンタのお陰だ」


虚をつかれたような顔、というのはこういう事を言うのだろうか。

目を丸くした林原は、苦虫を噛み潰したような顔をして唇を尖らせた。


「素直な神崎先生は気持ちが悪いわ」

「…それは、どうも」

「誉めてないわよ」


だろうな、と肩をすくめるにとどめた。林原の目が俺をまっすぐに射抜く。

前に、こんなことがあったなと思う。あの時入れられた喝が、ようやく身に染みる。

公園の中は寒さもあってか誰もいなかった。休日なのに、人もまばらだ。


「郁は、貴方のせいでいっぱい泣いてた。傷付いてた、でも、それ以上に隣に居ることが幸せそうだった。笑ってることの方が、多かった。

だから、今度こそ、しっかりしてよね。まだ終わってないわ、だから終わらせないで。あんな悲しい結末で終わらせてもらったら困るのよ」

「終わらせない。ようやく気付けたんだ、今度は俺の番だ」


噛みしめるように言葉を吐く。

はあ、と息を吐いた林原の、諦めたような泣き笑いの表情が見えた。


「車にひかれた時、近くに私がいたの。もしかしたら、って思って怖くて、意識がなくなった時は心臓が止まるかと思った。でも、郁って悪運凄い強いのね。…打撲以外には傷一つ付かなかった。だから、入院しても1週間くらいだそうよ。

――病室、6階の615号。早くいって。任せたわよ、神崎先生」

「――…ああ、ありがとう」


そのまま、俺の横をすり抜けた林原はばん、と背中を叩いて歩いていく。背中の痛みに気が引き締まる思いだ。

気に食わない人ではあったけれど、今は何よりもその言葉が身に染みた。

俺が自分の気持ちを自覚するより先に、周りの人間の方が俺の感情をよく理解してしまう。それを、有難いと思うとともに不甲斐ない自分に自嘲しながら歩き出す。

決めたのだ。もう、誤魔化さないと。



病院は閑散としていた。

告げられた病室に向かいながら、俺は過去を思う。

高校生の俺たちは、どんな顔をしていただろうか。あの時俺は確かに桜さんが好きで、好きだと思っていた。

それでも、どこか傲慢に、心のどこかで笹原は俺の傍にいると思い込んでいたのだろう。俺が、今までそう思ってしまっていたように。

だから千崎との事を聞いた時にどこかでショックを受けたのだ。あのショックは、何だろう。俺はそれをうまく説明できないが、どこか独占欲のようなモノだったのだ。

あれから、10年は経ってしまっている。その間に何を思って、何を考えていたのか、わからない。それでもそれだけの時間を、俺のうぬぼれでなければ想っていてくれたことが得難いことなのだと思うのだ。


病室の前についてしまった。プレートには笹原の名前が書かれてあり、中からは声がした。

病院は、好きになれない。白さが際立っているし、どこか生活感とかけ離れた場所にあるからだろう。

少し迷って、通路に立っていれば、がらりとドアが開いて中から人が出てくる。


「ああ、神崎先生」

「…坂上先生。連絡を、ありがとうございました」

「いいえ。君には知らせておかなければ、と思って」

「笹原は、」

「それは、君が確認することだよ」


人のいい笑顔で、けれど彼は扉の前から動かなかった。

どこか、桜さんを思わせる目。だが、彼は彼女とどこも似ていなかった。だから初めての時は本当に兄弟なのか疑問に思ったくらいだ。

――あの時、葬儀で俺を見た彼は、形容しがたい目で俺を見ていた。悲しみと、憐れみとが入り混じったもの。その目つきが、変わったのは。同じ教師として働いてしばらくたったころだっただろうか。


「どうして上手く、いかないんだろうね。それでも、君がちゃんと選べてよかった。

いつまでも、振り回してしまってすまない。僕は君にずっと謝らないとと思っていたんだ。姉が、申し訳ないことをしました。君が君の人生を生きてくれて、よかった。姉は、いつまでも囚われていていい人ではないから」

「…進めるのは、笹原のお陰です」

「君の思いを、過去を否定する気はないんだ。それでも、姉はきっと姉の幸せを掴んで死んだから。君は今度こそ、君らしく幸せになれる人と歩いてほしい」


その言葉の意味を、理解する。

――彼女は、好きな人とどんな形であれ一生傍にいる道を選んだのだろう。あの人は、好きなものに対する執着心が強かった。そしてそれが、俺には一切向けられていなかったことも、知っていた。


「もう、大丈夫です。俺は確かに、彼女に好意を持っていましたが。今、俺が一緒に歩きたいと思うのは、笹原郁だ」

「その答えが聞けて良かった」


ふわり、と笑うその顔は。昔見た彼女の顔と同じような柔らかさだった。時を止めた彼女。

それに、別れを今度こそ告げて、そして俺は歩き出すのだ。その先に、立っていてほしい人の名前を思いながら。


「愛する人がパズルのピースのように決まっているのだとして。君と彼女のピースがぴったりはまることを願います」

「だと、いいんですが」

「そこは、君の力の見せ所じゃないかな。ジグソーパズルは、形が決まっているけど。こういうパズルは、形が決められているわけではないから。多少力技でも、ぴったりはまるように形を変えてしまえばいいんです。――もちろん、双方が納得できる形で」


そう笑いながら、彼は目を伏せた。

次に見た時、いつもと同じような穏やかな顔で、彼はそっと扉の前から体を退ける。

行っておいで、そういうように肩を叩かれた。


「坂上先生。ご心配をおかけしました」

「ただの、老婆心ですよ」


早くいってあげて、と笑う彼に一度頭を下げる。

そのまま彼は歩いていった。扉の向こうの顔は、どんな顔をするだろう。

ドアの前で一瞬躊躇してそして今度はためらわずにノックをした。

どうぞ、という声にドアを開いて中に滑り込む。


「…かん、ざき…?」


どうしてここに、という声が聞こえそうなくらいに目を見開いた笹原がベッドに座っていた。

ああ、笹原だ。俺の知っている、笹原だ。

安堵と、無事でよかったという思いと、焼けつくような痛みが胸を焼く。一番に駆け付けたかった。駆け付けられる、立場が欲しかった。


「体は、大丈夫か」

「…うん、打撲だけ」

「あの後、別れた後からずっとお前の事ばかり考えてる。加えて、お前が事故に遭ったって聞いて、心臓が止まるかと思った。

お前の手を離したのは、俺なのに。お前を傷付けてばかりだから手を出すのはいけないことだと思っていたんだ。でも、それももう、やめた。

もう一度、俺にチャンスをくれ。お前を幸せにしたい。郁、お前と未来を歩きたい」



今度こそ、はっきりと。

笹原の目が見開かれて、その瞳から涙があふれるのを見た。

泣かせてばかりだ、と思いながら手を伸ばす。ベッドわきに置かれた椅子を借りて、頬に手を当てて涙をぬぐう。

俺はもう、泣かせたくなどないのだ。






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