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13 思いを自覚する

衝撃が襲う、という状況に陥ったのは、二回目だった。


自分で望んで離したくせに、女々しいことだと自嘲しながら、ベッドに寝転んで時間を過ごしていた時に着信がきた。こんな時間に、と電話を見れば、電話は坂上先生からで珍しい名前にいぶかしむ。緊急の時でない限り、かかったこない電話は、要するに緊急なのだろう。

――昔、付き合っていたような気になっていた女性の弟。いつもどこか案じるようにこちらを見る目を感じていてなお、会話をすることはなかった。会ったのは葬式の時が一度、二度目は今の高校に決まった時。その時には俺は、もう笹原が隣に居ることが当たり前になっていた。

そこで、俺は二度目の衝撃を受けることになる。


彼からの連絡を半ば放心したように聞いていた。しきりに大丈夫か、と聞かれたその声に何を返したのだっただろうか。

――事故に遭って病院に運ばれました。

――命に別状はない。

――少し頭を打ったかもしれないから念のため入院する。打撲で済んだ。

どこの病院に行ったのか、知ることはできなかった。そして、俺は知っていたとしても友人として、あるいは同僚としてでしか見舞いに行けないのだ。そういう関係でしか、ないのだ。

息を吐いて吸って、呼吸を落ち着けようとする。今にも当てもなく走りそうな自分を押し殺した。落ち着け、まだ死んでない。生きている。生きているのに。

不安、恐怖、そういったものが渦巻いた。馬鹿みたいに落ち着かない自分に舌打ちし、拳を握りしめる。

あの時、手を離さなければ、笹原はこうなることもなかったのだろうか。手を取ってしまいたかった、今すぐにでもと、思う。


千崎の方が、幸せにできるのに、それでも俺が好きだと言ってくれたことが嬉しかった。その手を腕を掴んで心のままに叫んでしまいたかった。俺の心にある、すべてを。――それでも言えなかったのは俺に覚悟がなかったからだ。

たくさん傷をつけて、泣かせて、そんなことをした俺の傍に今更いてほしいなんて言えるわけがなかった。幸せになってほしい。ただ、それだけを思っていたのに。

一歩離れてしまったら、俺はさわれない。――俺は、失くしそうにならないと、失くさないと気が付かないのだ。どれだけ笹原を好きだったか、傍に居たいと思っていたのか。今更自覚して、そしてその時にはもう、俺から離れてしまった後。

命に別状はなくても、けがをしたと聞いただけで取り乱しそうになる。無事を確認して、生きているとわかるまで嫌な気持ちはぬぐえそうにない。

インターホンの音とともにガチャガチャと勢いよくドアを開けようとする音が響いて、慌てて玄関へ向かう。そんな時でも、俺の中に巣食う感情は、誤魔化されてなんてくれなかった。


「神崎先輩、遅くにすみません」

「…お前は突拍子もないな」


チェーンを外して中に招く。俺と笹原の後輩の仙道が、息を荒げて立っていた。走ってきたのだろうか。

息を整えながら立っている仙道を家の中に通そうと一歩下がる。上がれよ、という言葉には仙道は頷かなかった。


「林原さんに、聞いたんですけど。郁先輩振ったって、本当っスか」

「お前たち、どこで繋がったんだ」

「だいぶ前っス。先輩と林原さんが仲良くなったくらいに、一緒に飲みました。…って、そんなことはどうでもいいんですよ。なんで、」

「俺が、傷付けたんだぞ。…笹原が好きだ。でも、俺はもうアイツを傷付けたくなんて、ないんだ」


吐き出したのは、弱音。年下の、後輩に。

けれど出た言葉は戻らず、後輩は剣呑な瞳で俺を見上げた。


「ふざけんなよ。ふざけんな、アンタ、いいのかよ?そんな理由で、あの人の手を離していいんスか!未来、失くしていいのかよ。なんだよ、傷付けたからって。アンタ、郁先輩好きなんでしょ、自覚したんだろ。

なら、何で傷全部治すくらいの気持ちでいかないんだよ!どうしてそうやって、馬鹿みたいにから回るんだよアンタらは!簡単だろ、難しく考えてどうするんスか。アンタが付けた傷だっていうんなら、アンタが治せばいいだろ!」


びっくりしたのは、本当だ。でも、それ以上にこの後輩がこんな風に俺と笹原の事を見ていたことを嬉しく思う、仙道からは不謹慎だと言われそうだが。

泣きそうに歪んだ顔を見ながら、俺の口はああ、そうだな。と動いていた。


「怖かったんだ。気付かずに泣かせていた自分が。――だから、手を離して友人の距離でいれば、良いと思った。でも駄目だな、俺は。離れて一番身に染みた」

「…どうしてそういうとこで立ち止まるかなあ、先輩たちは。二人とも似てるっスよ」

「悪かったな、仙道」


俺が付けた傷だとわかっている。――それを、俺が治してもいいだろうか。俺にもう一度チャンスをくれるだろうか。

仙道の言う通りだ。本当に、俺は、失くしそうでないと気付けない。でも、こうして気が付けたのだから手が出せるうちに、出さなければならないだろう。

俺が付けた傷を、俺に治させてほしい。そして今度こそ、今度は、俺が笹原の手を取りたい。

笹原との未来を、何よりも俺が望む。


「ついでに、笹原の病院を教えてくれないか」

「あ、嫌っス」

「………は、」

「自力で、っていうのはさすがに俺も良心が…。なんで林原さんに聞いてください。俺からはなーんにも教えません」

「………お前ら、結託したな?」

「それに、今行ったって面会時間は過ぎてますしね?――まあ、一発覚悟しといた方がいいですよ。安いもんでしょ」


そういって仙道は靴を脱いだ。お邪魔ついでに、泊めてくださいというので、遠慮なく叩かせてもらう。

まあ、それでも。こいつの一喝のお陰で俺は今後を決められたのだから、良いとする。

――あの時。笹原は、自分で幸せを掴めと言った。

なら、俺の幸せは笹原と居ることだ。笹原の傍に居たい。だからこそ、はやく会いたい。

神崎先輩おなかすいたー!、と子供の様にねだる後輩に今度こそ俺はスリッパを放り投げた。勝手に好きにしろ、と言えば意外と器用な後輩はちゃんとした食事を作り上げていた。



***



ソファに寝た後輩は、起きる気配がない。

俺はいつもより早い時間に目が覚めたのでベランダに出た。外のきん、と冷える空気に身震いする。タバコに火をつけて深く吸い込んだ。

そういえば、俺は笹原と二人で出かけたことがなかったと思う。仕事終わりに飲んだことはあっても、プライベートでは誰かが一緒だった。だから、二人きりというのは、学校で喫煙している時以外に思いつかない。

きっと、笹原の事だから遠慮していたんだろう。そして、俺がもし笹原の立場だったら、同じことをするだろうとも、思う。

昨日、林原先生に送ったメールの返信を確かめようとスマフォをポケットから出せば、図ったかのように電話の着信が鳴り響いた。


「もしも、」

『色々言いたいことはあるけど今すぐ支度して郁のマンションに着なさい10分で来いさっさとして』


出て瞬間にマシンガンの様にまくしたてられた言葉に並行する。

何も言えないまま、彼女は唐突に電話を切り、俺に残された選択肢は言われたとおりに笹原のマンションに行くことなのだ。後ろめたい気持ちがあるせいか、俺は彼女に強く出られない。


煙草を消して部屋に戻る。

すやすや寝ていた後輩は起きていて、寝ぼけた目で俺を見て笑った。俺の顔がひどいものだったから、らしい。


「林原さんに呼ばれたんでしょ、先輩」

「…お前、留守番してろ」

「はいはい、俺も今日は休みなんで留守は守りますよっと」


――せんぱい、郁先輩のこと、お願いします。

静かに付け加えられ言葉に、返す言葉を見つけられないまま、俺は部屋を出る。

もう覚えた道のりをすすんで、笹原のマンションに向かえば、泣きはらしたような目の女性が俺を待っていた。


「しっかりしなさいって、私言ったじゃない」

「……悪い」

「腹くくってきたのよね?」


ああ、と頷いた声に彼女は俺を睨みつける目を和らげないままで顎をくい、と動かした。

ついて来い、というのか。歩き始めた彼女についていきながら、黙って足を動かす。

けれど、きっと。

俺を、笹原のいる病院に連れて行ってくれるのだろう。






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