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11 痛みを想う


どんなに嫌なことがあっても、幸せなことがあっても、どんな人にも生きている限り次は来る。

終わらないかもしれないという苦しみが、次の日にはもしかしたら和らいでいるかもしれない。この続いている幸せが、明日はもっときらきらした嬉しさに変わるかもしれない。

そんな風に、思えるのは、きっと生きているからなのだ。生きてさえいれば、どんな風にも変わっていけるのだ。


私の心意外に変わらない朝を迎えて、身支度をして外へ出る。

二月も終わりに近づいていて、私たちも春へと向かう。冬ももう少しで終わってしまうし、来月には別れの季節がやってくる。担任を持っていない私にはまだわからないけれど、学校の中はもうすぐくる別れの季節に、少しだけ浮き足立っているようだった。――ほんの少しの、未来への期待と。今への名残。彼らはどんな大人になっていくのだろう。

そして、その季節と共に、私は自分の想いを昇華させてあげられるだろうか。


「郁ちゃんおはよー!」

「こーらー、先生って呼びなさいっての」

「はあい、郁ちゃんセンセ!」

「しょうがないなー…」


生徒たちの軽口に付き合いながら、校舎を歩く。私が高校生だった時と随分変わってしまったけれど、生徒たちの笑顔は、いつだって私の気を引き締める。しっかりしなければ、と思うのだ。今日も元気な彼らを視界に入れながら、今は仕事の事を考えようと鞄を背負いなおした。期末テストの終了と共に、行内には緩い空気が漂っている。三年生たちは、卒業式まではもうあまり登校することも亡くなってきているというのに、なんだかんだ言って学校が好きな子たちは顔を出しては去っていく。

三年生が少しずついなくなっていく校舎を、後輩たちが寂しげに、あるいは来年の自分たちを思いながら過ごしている。私たちは、そうやって終わっていく日々を見守るのだ。

職員室である程度過ごしてから、私は国語科準備室へと入る。在校生への授業はまだある程度残っているので、その準備だ。私は、来年どんな日々を送るのだろう。


「…笹原先生」

「あら、なあに?」


ノックもなしに現れた女生徒。彼女の上履きの色からするに三年生だろう。

思いつめたような切ない表情と、私に対する敵意。ああ彼女はきっと、神崎のことが好きな子なのだなと思いながら私はドアの方を振り向いた。


「その前に、ノックをしてから入らないと。緊急の用事ではないんでしょう?」

「……先生」


想いのままに突っ走ることのできるその強さを、私はうらやましく思う。彼女はどんな事を私に言いに来たんだろう。


「私、神崎先生が好きです」

「…それで、それを私に言ってどうするの」

「好きなの。だって、諦めきれなかった…!神崎先生の全部が知りたくて、でも知れなくて。全てをわかることは出来なくても、私はあの人が好きなんです!」


激情のままに発せられる言葉の鋭さが私に突き刺さる。悔しさに滲む目元を隠さずに、私に向かって話すその幼さを、私はただ見つめた。――そして私は知っている、その辛さを。

思い出す、ことは。

私が以前のぞき見してしまった彼女が、もしかしたら今目の前にいる少女なのかもしれない。確証はないけれど、あの時、神崎は。

――知ったような口を

――俺の全てがわかるとでも、本気で?

そんなことを言っていた。想いを切り裂くような静かな言葉を、目の前の彼女はどうやって受け止めたんだろう。


「それなら、なおさら。神崎先生に言うべきだと思う」

「…笹原先生が、いるから。貴女がいるから、先生はいつだって貴女の方ばかり見てる。ずるい、私だって好きなのに。好きなのに…!」


わっと泣き出した彼女は、勢いのまま私に近づいてくる。その頭に手を伸ばして、やめる。椅子に座ったまま近づいて、彼女の背中をさする。

好きだという気持ちも、思いが届かない気持ちも、好きな人に同じ思いを返してもらえない気持ちも。全部全部、同じように感じてきた私の気持ち。ごめんね、私がいて。私も好きになってしまって、ごめんね。そういう思いを、けれど、私はきっと彼女に悟られてはいけない。

そのまま泣き止まない生徒をあやすように背中を撫でていた。今日は授業がなくてよかった。子供の様に泣きじゃくる彼女が、私にしがみつく気配がして苦笑する。

もし、私が彼女の様に真直ぐに気持ちを出せていたら、私は変わっていたのだろうか。そこが、私と彼女の違いなのだろう。

きっと、彼女なら。私の様に陰に隠れることはなく、自分の気持ちをストレートに出して神崎を明るい場所に連れて行っていたのだろうな、と思う。

それでも私は、神崎の傍に立ちたいという思いを、消すことができない。

――そして、坂上先生がここに入ってこようとしてやめる気配がした。べそべそと泣きながら、顔をこする彼女にティッシュを差し出す。ばつが悪そうに手に取った生徒は、小さな声ですみません、と謝った。


「…神崎先生と、笹原先生は…付き合ってるの?」

「…いいえ」

「じゃあ、じゃあ。私が先生を好きだって言ってもいい?私がとっちゃっても、良い?」

「私と神崎先生に限らずだけれど。好きだとか惚れたとか、そういうのは当事者の問題よ。だから、当事者でない人間が口を出すことじゃない。

…好きなら、好きだと言った方がいいよ。伝えられないまま、長い時間を過ごしてしまって、辛いのは自分だから。諦められないくらい強い気持ちなら、昇華させてあげたいじゃない。どんな結果になったとしても」

「……笹原先生は、いいな」

「え、なにが?」


ぐす、と鼻をすすった彼女は、ここに入ってきた時よりも幾分か和らいだ顔で私を見た。

きょとん、とする私に、少し複雑な表情で笑う彼女。


「私、先生のことあんまり好きじゃなかったけど。でも、やっぱりかっこいいなって思ったの。…私、きっとフラれてしまうけれど、神崎先生に告白して卒業することにします」


そう、とも、はあ、とも言えないまま彼女はくるりと背を向けて立ち去っていた。まるで嵐のような。

それでも、私は彼女の強さがうらやましく思う。――傷付くこともいとわず、ただその恋を大事にできる、その姿勢が。


「最近の子は、すごいですね…」

「どこから見てたんですか、坂上先生」

「すみません、ほとんど最初から」


あっけにとられたような坂上先生が入ってきて、私は少しだけ笑ってしまった。

意外と、こういう話には疎いようだ。

机に腰掛けながら坂上先生は、そっと息をついた。

そういえば、坂上先生も生徒人気の高い先生だ。神崎より愛想もいいし柔らかな物腰で、どちらかと言えば大人しい生徒たちから人気がある。――告白だとかも、何回も受けているとあかねが言っていた気がする。


「錯覚を抱いているんじゃないかと、思います。彼女たちは憧れに近い所しか見ていないから」

「…ええ。もしかしたら、そうなのかもしれませんね。でも、どんなに周りがそう思っても、彼女が――これはすべての人に限ったことだと思いますけど、好きだと思ったら、もう好きなんだと思います。憧れでも、なんでも、恋だと思ったら恋なんですよ」


いつか。

神崎の隣に立つ人は、彼を支えてくれる人がいい。

そして、全部、弱さも悲しみも嬉しさも幸福も受け止めてくれるような人がたっていてくれたらと思う。その隣が私であればいいとも思う。――はちきれそうになるほどに悔しくてつらいけれど、でも、私じゃなくてもいい。

好きになった人が幸せになってもらえるように、祈ることだけはきっと許されるだろうから。

――さあ、次は、私の恋に決着をつけよう。手を離してしまう結果になったとしても、神崎はもう、一人でも立てるでしょう?

ちぎれるように痛む心臓に手を当てる。馴染むことなどなかった痛みは、どうなるんだろうか。






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