4話
静寂は長く続かなかった。
むしろ、さっきよりも重く感じる沈黙だった。戦闘が終わったわけではない。呼吸が整う前に、次の判断が求められている空気。
斉藤が剣を下ろさずに周囲を見回す。
「まだいるな」
三輪も同意するように短く息を吐いた。
「さっきので全部じゃない」
田中は無意識に足元を見る。
転がった魔石。倒れた死体。血の跡。
そして誰もそれを拾っていない現実。
「……今拾わないのか」
田中の問いに、井口は即答しない。
代わりに一拍置いてから言う。
「優先順位が違う」
「命よりか?」
「戦闘が優先だ」
短い言葉だったが、重さが違った。
田中はそこでようやく理解する。
今の戦闘は“処理”ではない。
途中だ。
斉藤が一歩踏み込む。
その瞬間、通路の奥から再び影が動いた。
今度は速い。
さっきより明確に“攻撃”の形をしている。
「来る!」
三輪が短く叫ぶ。
戦闘が再開される。
だがさっきと違うのは、空気に余裕がないことだった。
斉藤の動きがわずかに硬い。
三輪のカバーが一瞬遅れる。
その理由は単純だ。
“後ろ”が気になっている。
足元に溜まる回収対象。
処理されていない死体と魔石。
それが視界の端でずっと引っかかる。
「田中!」
井口の声が飛ぶ。
「今だ」
「何がだよ!」
「拾え」
一瞬、意味が分からなかった。
だが井口は繰り返さない。
代わりに視線だけで示す。
斉藤が前線で一体を止める。
三輪が横から押さえる。
今、その瞬間だけ後方が空いている。
田中は反射的に動いた。
足元に転がる魔石を掴む。
袋に入れる。
次。
死体の近くに落ちた小さな金属片。
拾う。
入れる。
動きはぎこちない。
だが確かに“仕事”だった。
斉藤が叫ぶ。
「おい田中、今それやってる場合か!」
「知らねぇよ!」
田中も叫び返す。
自分でも何をやっているのか完全には分かっていない。
ただ一つだけ確かなのは――
これをやらないと、全体が崩れるという感覚だった。
「三輪、下がれ!」
斉藤が距離を取る。
敵の動きが一瞬緩む。
その隙に田中はもう一つ魔石を拾う。
手が少しだけ震えている。
だが止まらない。
井口が静かに言う。
「それでいい」
短い肯定。
その瞬間、斉藤が最後の一体を切り伏せた。
金属音が途切れる。
通路が再び静かになる。
今度こそ終わった。
三輪が肩で息をしながら笑う。
「なんか今の、いつもより疲れるな」
「原因は分かってるだろ」
斉藤が短く言う。
「分かってるけどな」
視線が自然と田中に向く。
田中は拾った魔石を袋に入れたまま、動きを止めていた。
息が少し荒い。
その様子を見て、斉藤が苦笑する。
「井口の仕事を急にやらされたんだ。そりゃ疲れる」
「井口の仕事?」
田中が聞き返す。
三輪が頷いた。
「普段、回収のタイミング見てるのあいつだからな。敵の数と位置を見ながら、どこなら拾えるか判断してる」
「だから戦ってないように見えても忙しいんだよ」
斉藤も続ける。
田中は思わず井口を見る。
井口はいつも通り無表情だった。
「別に難しいことじゃない」
「いや、やってみたら全然そんなことなかったぞ」
田中が即座に返すと、三輪が笑った。
「だろ? 俺らが前だけ見て動けるのも、後ろで誰かが整理してるからだ」
戦闘中に回収役が必要な理由を、ようやく実感していた。
敵を倒しても、その場に素材や魔石が残り続ければ探索の効率は落ちる。かといって戦闘が完全に終わるまで放置すれば、回収量が増えすぎて後で動けなくなる。だから誰かが前線の隙を見ながら拾い続けなければならない。
さっき井口が自分にやらせたのは、その役目を覚えさせるためだったのだろう。
戦ってはいないのに、戦った後のような疲労感がある。敵の攻撃を受けたわけでもない。剣を振ったわけでもない。それなのに神経だけが異様に擦り減っていた。前線の様子を見ながら、敵の位置を気にしながら、落ちている回収物を探し、拾い、袋へ入れる。その全てを同時にやるのは想像以上に忙しい。少し判断を間違えれば前線の邪魔になるし、拾うことに集中しすぎれば敵に襲われる。逆に戦闘ばかり見ていれば回収は進まない。今まで誰かが当然のようにやっていた作業の重さを、田中は身をもって理解していた。気付けば袋の中には魔石や素材がいくつも増えている。その数だけ、自分が戦闘の隙間を走り回っていた証拠だった。
「田中」
三輪が言う。
「今の動き、普通に助かってたぞ」
「偶然だろ」
田中は即答する。
だが井口は違う。
「偶然じゃない」
断言だった。
田中は顔を上げる。
井口は倒れた敵ではなく、田中の手元を見ている。
「田中は“止まっているもの”を動かすのが早い」
「それ褒めてるのか?」
「事実だ」
斉藤が剣を肩に担ぐ。
「まあでも、今ので分かったわ」
「何がだ」
「田中がいないと、回らないなこれ」
軽い口調。
だが内容は重い。
田中はすぐに否定しようとして、言葉を飲み込んだ。
さっきの戦闘を思い出す。
空白。
崩れかけた連携。
拾われなかった魔石。
そして自分の動き。
「……まだ一回目だぞ」
ようやくそれだけ言う。
井口が小さく頷いた。
「十分だ」
通路の奥はまだ暗い。
だがその暗さの見え方が、少しだけ変わっていた。
何もない空間ではなく。
まだ埋まっていない場所として見えていた。




