2話
電話を切ったあと、田中はしばらく駅前で立ち尽くしていた。
会社が潰れた。
言葉にすると簡単だが、実感はまだない。
朝までは普通に出勤していたのだ。いつも通り荷物を仕分けて、いつも通り後輩に仕事を教えて、いつも通り昼飯を食べていた。それが半日後には無職である。
人生は本当に意味が分からない。
ため息を吐きながらスマホをポケットへ戻し、待ち合わせの居酒屋へ向かう。正直帰りたかった。風呂に入ってビールでも飲んで寝たかった。だが家に帰ったところで考えることは一つしかない。
仕事どうしよう。
貯金はある。
だが一生遊べるほどではない。
再就職先を探さなければならない。
その現実から目を逸らすためにも、今日は友人たちと馬鹿話でもした方がいい気がした。
十分ほど歩き、目的の居酒屋へ到着する。
暖簾をくぐると焼き鳥の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。平日の夕方だというのに店内は賑わっている。会社帰りらしいサラリーマンたちの笑い声が飛び交い、店員が忙しそうに料理を運んでいた。
店員に案内されて個室へ向かう。
扉を開けた瞬間。
「おー、無職だ」
三輪が笑った。
帰れば良かった。
「第一声がそれか」
「だってタイミング良すぎるでしょ」
「笑い事じゃないんだが」
「でも笑うじゃん」
「お前だけな」
三輪はケラケラと笑いながらジョッキを掲げた。
大学時代から変わらない。
他人の不幸を面白がる才能だけは一級品だった。
もちろん本気で馬鹿にしているわけではない。
心配しているからこそ茶化しているのも知っている。
知っているが腹は立つ。
「座れよ」
斉藤が向かいの席を指差した。
相変わらずでかい。
大学時代からラグビーでもやってそうな体格をしていたが、二十八になった今でもほとんど変わっていなかった。
「久しぶり」
井口が軽く手を挙げる。
眼鏡。
細身。
そして探索者オタク。
大学時代から何も変わっていない。
安心感すらある。
「それで?」
席へ座りながら田中は言った。
「俺を呼び出した理由は」
「その前に乾杯だろ」
斉藤がジョッキを持ち上げる。
「田中の再就職先が見つかることを祈って」
「縁起悪いな」
「無職生活に」
「やめろ」
「乾杯」
「聞けよ」
結局押し切られた。
四人のジョッキがぶつかる。
冷えたビールを流し込むと、ようやく少しだけ肩の力が抜けた気がした。
料理が運ばれてくる。
焼き鳥。
枝豆。
唐揚げ。
ポテトフライ。
大学生みたいな注文だなと思ったが、言ったところで誰も気にしないだろう。
案の定、三輪は唐揚げへ一直線だった。
「そういや田中」
「なんだ」
「貯金いくらあるの?」
「聞くな」
「減るもんじゃないじゃん」
「俺の精神が減る」
斉藤が吹き出した。
井口も珍しく笑っている。
こういうどうでもいい会話が心地良かった。
社会人になると友人は減る。
連絡を取らなくなる。
結婚したり転職したり引っ越したりして疎遠になる。
だが、この三人だけは残った。
不思議なものだと思う。
「まあ冗談は置いといて」
井口がジョッキを置いた。
「本当に今後どうするんだ?」
「再就職だろ」
「物流?」
「多分な」
「もったいないな」
「何が?」
「田中の適性」
意味が分からなかった。
だが井口は真面目な顔をしている。
嫌な予感がした。
こいつが真面目な顔をする時は大体ろくでもない。
「お前さ」
井口が続ける。
「探索者にならないか?」
その瞬間、田中はジョッキを机へ置いた。
「嫌だ」
即答だった。
斉藤が吹き出し、三輪が大笑いする。
「即答じゃん」
「当たり前だろ」
「なんで?」
「死ぬからだ」
それ以外に理由がいるだろうか。
ダンジョンは危険だ。
ニュースを見れば分かる。
探索者は稼げる。
だが死ぬ。
それも普通に死ぬ。
戦士だろうが魔法使いだろうが死ぬ。
だから探索者不足なのだ。
世間が憧れるほど楽な職業なら、もっと人が集まっている。
「安心しろ」
斉藤が笑う。
「俺たちも死にたくない」
「説得力ねぇな」
「本当だって」
そう言って斉藤はスマホを取り出した。
画面には探索者証が表示されている。
レベル6。
ジョブは戦士。
田中は思わず眉を上げた。
「お前六まで上げたのか」
「頑張った」
「普通にすごいな」
探索者のレベルは簡単には上がらない。
だからこそ驚いた。
レベル六。
数字だけ見れば大したことがない。
だが探索者として見れば十分立派だ。
「三輪は五」
「井口は四」
三輪も探索者証を見せる。
斥候。
レベル五。
そして井口。
鑑定士。
レベル四。
「お前鑑定士だったのか」
「そうだが」
「よく死ななかったな」
「俺もそう思う」
本人が言うな。
だが確かにそうだった。
鑑定士は非戦闘職だ。
生産職ほどではないが戦闘向きではない。
普通なら低レベルで辞める。
それを四まで上げたのだから大したものだ。
そこで井口が言った。
「だから田中が欲しい」
「は?」
「うちのパーティに」
嫌な予感が確信へ変わった。
なるほど。
だから今日呼ばれたのか。
ただの飲み会ではなかったらしい。
斉藤がニヤリと笑う。
三輪も面白そうにこちらを見ている。
そして井口だけが本気だった。
「田中」
眼鏡の奥の目が真っ直ぐこちらを見る。
「お前、探索者向いてると思うぞ」
その言葉に、田中は盛大に顔をしかめた。
人生で初めて言われた気がする。
探索者向いてる。
そんな評価を。
少し酒が回り始めたのか、店内の喧騒がさっきより心地良く聞こえた。個室の外では店員が忙しそうに注文を読み上げ、隣の席からは会社員らしい集団の笑い声が漏れてくる。世の中には明日も仕事がある人間が大勢いるらしい。その事実が少しだけ腹立たしかった。
田中は枝豆をつまみながらジョッキを傾けた。会社が潰れた当日に飲みに来ている時点で大概だが、友人たちの顔を見ていると不思議と悲壮感は湧いてこない。むしろ、明日からどうしようかという現実感の方が薄れていく。
「探索者向いてると思うぞ」
井口の言葉を思い出し、田中はもう一度顔をしかめた。
「いや、何回考えても意味分からんだろ。俺が探索者とか」
「そうか?」
斉藤は本気で不思議そうな顔をした。
「そうだろ」
「俺は割と前から思ってたぞ」
「何を根拠に」
「荷物持ち」
「馬鹿にしてる?」
「してない」
斉藤は焼き鳥を一本取りながら首を振った。
「大学の時もそうだったじゃん。旅行行く時もキャンプ行く時も、最終的に全部お前が管理してただろ」
「勝手に押し付けられてただけだ」
「でも無くなったこと無かったぞ」
「それは管理してたからな」
「ほら」
「ほらじゃねぇよ」
意味が分からない。
荷物管理とダンジョン探索に何の関係があるのか。
だが三輪まで頷いていた。
「実際、田中って変な才能あるよね」
「変な才能って言うな」
「だってあるじゃん。大学の卒業旅行覚えてる?」
覚えている。
嫌というほど覚えている。
四人で沖縄へ行った時の話だ。
本来なら各自が荷物を管理するはずだったのだが、初日の時点で三輪が財布をホテルに忘れ、斉藤がスマホの充電器を紛失し、井口が飛行機のチケットをどこへしまったか分からなくなった。
結果。
全部田中が管理することになった。
意味が分からない。
自分の物くらい自分で持てばいい。
何度そう言ったか覚えていない。
「田中がいなかったら飛行機乗れなかったもんな」
三輪が笑う。
「井口だけな」
「いや私も怪しかった」
「知ってる」
「斉藤は?」
「財布無くした」
「全員駄目じゃねぇか」
思わず呆れる。
大学時代からずっとこんな調子だった。
だから今も付き合いが続いているのかもしれない。
社会人になると人間関係は減る。仕事が忙しくなり、住む場所も変わり、結婚する者もいる。それでも四人がこうして集まるのは、学生時代から何も変わっていないからだろう。
もっとも、変わった部分もある。
その一つが探索者だった。
十五年前に世界へダンジョンが出現してから、世の中は大きく変わった。物流業界も例外ではない。モンスター素材の輸送、ダンジョン産資源の流通、探索者向け装備の配送。仕事自体は増えている。
それなのに会社が潰れた。
世知辛い話だった。
「でもさ」
三輪が唐揚げを頬張りながら言う。
「探索者やってると分かるんだけど、荷物ってマジで邪魔なんだよね」
「ポーションとかか」
「それもあるし、水とか食料とか予備武器とか。結局持ち帰る素材もあるし」
斉藤も頷いた。
「レベル低いうちは特にな」
「そんなに大変なのか」
「大変だぞ」
そう言って斉藤はスマホを取り出した。
そこには探索中らしい写真が映っている。
見たことのない地下通路。コンクリートにも似た壁。天井に埋め込まれた発光石。そして地面へ転がるゴブリンらしき死体。
ニュースで見たことはあった。
だが実際の写真を見ると印象が違う。
想像より暗い。
想像より狭い。
そして想像より怖い。
「これ七階層」
「七階層?」
「そう」
「浅いんじゃないのか」
「一般人はそう思うよな」
斉藤は苦笑した。
「でも日本だと十分奥だぞ」
田中は黙って写真を見た。
探索者に詳しいわけではない。
だが最低限の知識くらいはある。
現在確認されている日本最高到達階層は四十階層台だったはずだ。
ニュースで何度か見たことがある。
だが、その到達者たちは世界的な有名人ばかりだった。
つまり。
ほとんどの探索者はそこまで辿り着けない。
その現実を改めて感じた。
「思ったより厳しいんだな」
「厳しいぞ」
今度は井口が口を開いた。
「まずレベルが上がらない」
「そんなにか?」
「そんなに」
井口は真面目な顔で続けた。
「レベル1から2ですら大変だ。世間じゃ簡単に上がると思われてるけどな」
「ニュースとかだとポンポン上がってるように見える」
「あれは上澄みだ」
探索者界隈にもスターはいる。
テレビへ出る者。
スポンサー契約を結ぶ者。
億単位で稼ぐ者。
だが、それはほんの一部。
実際にはレベル1のまま辞める探索者の方が圧倒的に多いらしい。
「戦士ですらそうなのに、生産職はもっと悲惨だ」
井口がビールを一口飲む。
「鍛冶師も錬金術師も料理人も、防具職人も基本レベル1だ」
「なんで?」
「上げる意味がないから」
その言葉に田中は少し考える。
確かにそうかもしれない。
戦士なら強くなる。
魔法使いなら魔法が強くなる。
だが生産職はどうだろう。
命を懸けてレベルを上げる理由があるのか。
「レベル1でも食えるのか」
「食える」
「なら上げないな」
「だろ?」
井口は満足そうに頷いた。
その顔を見て、田中は少しだけ嫌な予感を覚えた。
こいつがこんな話をする時は、大抵何か考えている。
学生時代から変わらない癖だ。
そして予感は当たっていた。
「でも」
井口が静かに言う。
「俺は逆だと思うんだよな」
「何が」
「本当は生産職こそレベルを上げるべきなんじゃないかって」
その瞬間、斉藤も三輪も黙った。
どうやら初めて聞く話ではないらしい。
田中だけが事情を知らない。
そして井口の目は、獲物を見つけた研究者みたいに輝いていた。
ああ、面倒な話が始まるな。
田中はそう確信しながら、残っていたビールを一気に飲み干した。




