任せて、村の防衛はお母さんがするわ 〜元勇者候補、今はただの母ですが最強です〜
数ある作品の中から、開いていただきありがとうございます!
本作は、全七章で構成されたファンタジー短編小説です。
一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/
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第一章 勇者の旅立ち
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朝もやが畑の上にうっすらと広がっていた。
空はまだ白く、太陽は東の山の向こうで出番を待っている。村の入り口にある古い石碑の前に、僕は立っていた。
背中には革の旅行鞄。腰には、八歳の鑑定の儀の日に神殿から授けられた聖剣。
今日、僕はこの村を出る。魔王を、倒しに行く。
振り返ると、父さんと母さんが並んで立っていた。
父さんはいつものように腕を組んで、口元だけで笑っている。母さんは両手を胸の前で組んで、にこにこしていた。泣いてくれるかと思ったけれど、その気配はない。
……まあ、母さんらしいか。
八年前のことを思い出す。
八歳になった僕は、神殿で鑑定の儀を受けた。白い光が全身を包んで、石板に刻まれた文字を神官が読み上げたとき、神殿中がざわついた。
――称号:勇者。
その日から、僕の人生は変わった。
村の人たちの目が変わった。期待と、それから少しだけ、怖れ。
そして、魔物が村に来るようになった。
勇者が誕生すると同時に、魔族は活発化し、魔王が誕生する。勇者の気配を辿り、勇者の住む村が魔族に襲われることが多くなる。
最初はEランクの小さな獣型。それが次第に強くなっていった。
十二歳のとき、Bランクの魔物が村に現れた。
僕はそいつを聖剣で斬り伏せた。本気で戦って、はじめて怖くて、でもなんとか勝った。
膝が震えたまま家に帰ったら、母さんが玄関で待っていた。
「おかえり。すごいじゃない、アレン」
頭を撫でてくれた手が、やけに温かかった。
父さんは黙って僕の肩を叩いて、それから「飯にするか」とだけ言った。
あの夜の味噌汁の味を、僕はたぶん一生忘れない。
それから四年。
僕は何度も村を守った。Aランク級の魔物を二体同時に相手にしたこともある。王都の騎士団から「いつでも来い」と声がかかるようになった。
でも――魔王を倒さなければ、魔物は来続ける。村は狙われ続ける。
だから、行かなきゃいけない。
「母さん。父さん。行ってくる」
「ええ。行ってらっしゃい」
母さんは目を細めて笑った。
「任せて、村の防衛はお母さんがするわ。それにお父さんもいるしね」
……。
正直、不安だった。
母さんには職業称号がない。父さんも、ただの農家だ。鑑定の儀で称号を持たない人間のステータスなんて、たかが知れている。
今まで僕が村を守ってきた。僕がいなくなったら、Cランクの魔物が来ただけで――。
「……母さん、無理しないでね。本当に危なくなったら、すぐに王都に逃げて」
「あら、心配してくれるの? 嬉しいわ」
「してるよ……」
「大丈夫よ。お母さんはね、けっこう丈夫なの」
よくわからない返事だった。
(丈夫って、なんだよ。丈夫なだけじゃ魔物は倒せないだろ)
父さんが一歩前に出た。
「心配するな。おまえの母さんは……まあ、おまえが思ってるよりずっと、しぶとい」
「……父さんまでそんな曖昧な」
「行け。おまえには、おまえの戦いがある」
父さんの声は、静かだった。
でも、その目はまっすぐだった。昔、僕がBランクの魔物を倒したときと同じ目。信じている、という目。
だから僕は――不安を飲み込んで、前を向いた。
歩き出す。
振り返らない。振り返ったら、泣きそうだから。
五十歩。百歩。
村の屋根が小さくなっていく。
(……大丈夫かな)
拳を握る。
大丈夫じゃなくても、僕が魔王を倒せば全部終わる。
だから――走れ。
僕は、走り出した。
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第二章 母の日常
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息子の背中が見えなくなって、しばらく。
あの子の足音がもう聞こえないことを確かめてから、私はようやく、唇を噛んだ。
……行っちゃった。
隣で夫のレオンが「戻るか」と言った。私は「そうね」と返した。
それだけ。それだけでよかった。
泣かない。泣いたら、あの子が振り返ってしまうから。
家に帰ると、あの子の部屋がやけに広く感じた。
脱ぎっぱなしの靴下がないだけで、こんなにも静かになるものなのか。
「……洗い物、減ったわね」
食器を三つ並べかけて、一つ棚に戻した。
レオンは何も言わずに、畑に出た。私も少し遅れてあとを追う。
鍬を振る背中を見ながら、隣の畝に膝をついて雑草を抜く。土の匂い。虫の声。風が稲穂を揺らす音。
この生活を、私は選んだのだ。
午後になって、村の広場で井戸端会議に顔を出した。
パン屋のおかみさんが「寂しくなるわねえ」と肩を叩いてくれて、鍛冶屋の爺さんが「あの子なら大丈夫じゃ」と笑った。
そのとき。
南の森から、地鳴りがした。
鳥が一斉に飛び立つ。空気がびりびりと震える。
広場にいた村人たちの顔が、一瞬で青ざめた。
「魔物だ! 森から来るぞ!」
見張り台の男が叫ぶ。
私は立ち上がった。エプロンの土を払って、広場の中央に目をやる。
「ま、魔物って……勇者様はもういないのに!」
「どうすんだよ! Aランクだったらもう……」
村人たちがざわつく。
若い農夫が槍を持って駆け出そうとして、足がもつれて転んだ。自警団の団長が剣を抜いたが、手が震えている。
森の木々を薙ぎ倒しながら、それは姿を現した。
全長五メートルほどの牙猪。赤黒い体毛に覆われた、Aランクの魔獣。
自警団の団長が息を呑んだ。
「あ、Aランクの赤牙猪……こんなの、俺たちじゃ……」
私は、エプロンのポケットに手を入れた。
中にはペティーナイフが一本。研いだばかりで、よく切れる。
「あら」
赤牙猪がこちらに突進してくる。地面が揺れる。村人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
私は一歩、前に出た。
牛革の鞘を外し、ナイフ逆手に持つ。赤牙猪の突進を半身でかわして、すれ違いざまに首筋を一閃。
肉の断たれる重い感触が手のひらに伝わる。
赤牙猪は三歩進んで――崩れ落ちた。
沈黙。
振り返ると、村人たちが口を開けたまま固まっていた。
「……え」
「い、今……ナイフで?」
「A、Aランクを……一撃……?」
自警団の団長が剣を持ったまま、呆然としている。
「あ、あの、奥さん……今の、一体……」
私はエプロンでナイフの血を拭きながら、にっこり笑った。
「勇者の母ですから。これくらいはね」
誰も笑わなかった。
(まあ、そうよね。ちょっと無理があったかしら……)
その日の夕食。レオンが味噌汁をすすりながら、ぽつりと言った。
「ナイフは危ない。しっかりした武器で……」
「あら、他に手頃なものがなかったのよ」
「……せめて鉈にしてくれ」
私は笑った。レオンも、少しだけ笑った。
あの子がいない食卓は静かだけれど、悪くない。悪くは、ない。
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第三章 ありふれた幸福
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朝。
畑に出る。大根を抜いて、かぼちゃの蔓を整えて、トマトの脇芽を摘む。
あなたは黙々と鍬を振っている。時々こっちを見て、何か言いたそうにして、結局何も言わない。
「なに?」
「……いや。土、ついてる」
「え、どこ?」
「ほっぺ」
レオンの指が頬に触れる。ざらざらした、大きな手。
こそばゆくて肩をすくめたら、レオンは何事もなかったように鍬に戻った。
昼。
台所であの子の好物だった芋の煮っころがしを作りかけて、やめた。二人分だと芋が余る。
代わりに、夫の好きな焼き魚にした。川で釣った岩魚を丸ごと炭火で焼いて、大根おろしを添える。
「うまい!」
「うむ。そうでしょ」
午後。
縁側で繕い物をしていたら、隣家のおばあちゃんがお茶を持ってきた。
「あの子、元気にしてるかねえ」
「きっと元気よ。私の子は、父親に似て丈夫だから」
「はは、あの子はどう見てもあんた似だよ」
「そうかしら……」
(あの子は、私に似ているだろうか)
……似ていてほしくない、と思うことがある。
あの子は鑑定の儀を受けた。勇者の称号を、真正面から受け止めた。
私とは、違う。
逃げた私とは。
「……お母さーん!」
遠い記憶の中で、まだ小さかったあの子が駆けてくる。転んで膝を擦りむいて、泣きべそをかいて。
ああ、あの頃に戻れたら。
戻れたら、何をする?
同じことだ。同じように抱きしめて、同じように傷に息を吹きかけて、「大丈夫、大丈夫」と繰り返すだけだ。
夕方。
あなたと二人で縁側に座って、沈む夕日を眺めた。
茜色が畑を染めて、遠くの山の稜線が黒く浮かび上がる。
「いい夕日ね」
「ああ」
「……あの子も、どこかで見てるかしら」
「さあな。あいつは前しか見てないだろ」
「……そうね。あの子は、あなたに似て不器用だから」
「おまえに似て頑固だからだろう」
笑い合って、それから少し黙って。
あなたの肩にもたれたら、大きな手が頭をぽんと叩いた。
(……ああ、幸せだな)
この暮らしを守るために、私は勇者にならなかった。
間違っていなかったと、思いたい。
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第四章 選ばなかった道
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数日後の朝。
畑に出ようとしたら、南の空が黒く濁っていた。
瘴気だ。濃い。
……来る。
Aランク級の魔獣が三体、森から現れた。
蛇の頭を持つ大蜥蜴が二体。翼のある黒い狼が一体。どれも目が赤く濁っている。瘴気に汚染されて凶暴化した個体だ。
自警団が慌てて集まるより先に、私は走っていた。
今日は鉈を持ってきた。レオンに言われたから。
大蜥蜴の一体が尾を振るい、地面がえぐれる。
私は跳んでかわし、着地と同時に鉈を振り下ろす。
首の付け根に刃が食い込む。硬い鱗が砕ける音。一体目、沈黙。
二体目が酸の息を吐く。避けきれずに左腕の袖が焼けた。
(――わっ、お気に入りだったのに……)
怒りに任せて踏み込む。鉈を横薙ぎに払い、顎の下から頭頂まで断ち割った。二体目。
黒い狼が上空から急降下してくる。翼で風を巻き起こしながら、鋭い爪を突き立てようとする。
私は鉈を投げた。
回転する刃が、狼の眉間に突き刺さる。狼はそのまま地面に墜落し、動かなくなった。
三体。
息が、少し上がった。
村人たちがおそるおそる顔を出す。
自警団の団長が今度は転ばずに走ってきて、それでもやっぱり口を開けて固まった。
「……奥さん、本当に何者なんですか」
「だから、勇者の母よ」
「いや絶対それだけじゃ……」
「それだけよ」
適当にかわして家に戻る途中、ふと足が止まった。
焼けた左袖の下、腕に薄い光が走っている。
魔力の残滓。
(……私の体に刻まれた、血筋の証)
鑑定の儀を受けなくても消えない、勇者一族の紋様。
八歳の日のことを思い出す。
神殿の前まで行って、引き返した。母に手を引かれて、白い階段を上って、扉の前で――止まった。
(受けたら、戦わなきゃいけなくなる)
あの頃の私には、もうわかっていた。
祖父が魔王と戦って相打ちになったこと。
勇者の称号は、死への片道切符だ。
(……嫌だ。死にたくない。普通に生きたい)
八歳の子供の、たったそれだけの願い。
私は扉の前で泣いて、母の手を振り払って、逃げた。
あの日の選択を、後悔したことは――ない。
ないと、思いたい。
「……あの時、受けなくてよかった」
呟いて、空を見上げた。
瘴気の黒雲はもう散りかけていて、隙間から青空が覗いている。
私は勇者にならなかった。
でもうちの子のアレンは、勇者になった。
うちの子は逃げなかった。
うちの子は――私より、ずっと強い。
焼けた袖を押さえながら、家に帰った。
夫のレオンが玄関で待っていた。
「怪我はあるか?」
「大丈夫。袖が焼けただけ」
「また無茶を……おまえが三体くらいなら余裕だってのは知っているが、心配だ」
心配って。
もう、本当に。
私はレオンの胸に額をくっつけた。汗と土の匂いがした。
「……縫い物、増えちゃった」
「俺が繕ってやろうか」
「あなたの繕い物は目が粗いからいやよ」
「そうか……」
笑い合って、家に入った。
日常に戻る。この瞬間が、いちばん好きだ。
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第五章 日常の崩壊
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それは、秋の終わりだった。
紅葉が散りはじめて、畑の収穫も一段落した頃。
空が、割れた。
比喩ではない。
文字通り、空に亀裂が走ったのだ。黒紫の裂け目から瘴気が滝のように溢れ出し、大地を覆う。
村人たちが悲鳴を上げる。子供が泣き叫ぶ。
自警団の団長がすでに蒼白な顔で私のところに駆けてきた。
「お、奥さん……あれは……」
裂け目から、それが降りてきた。
全長十五メートル。六本の腕を持つ、骨と炎でできた巨人。
眼窩に青白い炎を宿し、一歩進むだけで大地にひびが入る。
SSランク。災害級。
国家戦力でなければ対処不能とされる、最上位の魔獣。
「……なんで、こんなのが」
息を呑んだ。
Aランクまでなら余裕だった。Sランクでも、やれないことはないと思っていた。
――でもSS。これは、規格が違う。
村人たちを背にかばいながら、鉈を握り直す。
「みんな、家に入って。地下蔵があるなら地下に」
声は出ている。でも、手が震えている。
あの子がいれば。勇者の称号があれば。聖剣があれば。
――ない。
今ここにあるのは、鉈一本と、鑑定を受けなかった女一人。
走った。
骨の巨人の足元に潜り込み、鉈を振るう。脛を斬る。火花が散った。刃が通らない。
巨人の拳が振り下ろされる。
横に跳んで避ける。着地した地面が陥没して体勢を崩した。
次の拳。
右に転がる。三発目。左に跳ぶ。四発目――避けきれない。
腕で防いだ。衝撃が全身を貫いて、三十メートル吹き飛ばされた。
背中から畑に突っ込む。土煙が上がる。
「がっ……」
起き上がるが、足が震えている。
視界がぼやける。頭から血が流れている。
(……やばい)
骨の巨人がゆっくりとこちらに向き直る。六本の腕が同時に持ち上がる。
次の一撃を食らったら、たぶん立てない。
(でも……退けない。後ろに、村がある)
鉈を拾おうとした手が滑る。血で、握れない。
(あの子に……私が、村を守るって言ったのに)
巨人の拳が振り下ろされ――
「下がっていろ」
聞き慣れた声。
目の前に、大きな背中。
レオン、立っていた。
手には、いつも畑で使っている鍬。使い込まれて柄が黒光りする、ただの農具。
「あな――」
言い終わる前に、跳んでいた。
鍬を両手で構え、全身の力を乗せて――巨人の胸の中心を、裂いた。
亀裂が巨人の全身に走る。青白い炎が揺らいで、骨の体が内側から崩壊していく。
レオンは、地面に着地した。土煙の中、背中を向けたまま。
轟音を立てて、骨の巨人が崩れ落ちた。
瘴気が霧散する。空の亀裂がゆっくりと閉じていく。
静寂。
鍬を肩に担いで、少し息を切らしながら。私の方へ向かってくる。
「……無事か?」
あたふたしながら、私に聞いてきた。
私は、血まみれの顔で、笑った。
笑いながら、たぶん泣いていた。
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第六章 あなたと私の話
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村人たちが恐る恐る外に出てきたとき、そこにあったのは砕けた骨の残骸と、荒れた畑と、鍬を持った農夫と、血まみれの主婦だった。
「だ、旦那さんまで……いったい何者……」
自警団の団長がまた口を開けている。この人はいつも口が開いている。
レオンは「ただの農家だ」とだけ言って、私に手を差し出した。
その手を握って立ち上がる。膝が笑っていて、あなたの腕にしがみつく形になった。
「怪我はないか? 大丈夫か?」
「……うん。大丈夫。ありがとう、あなた」
「無事でよかった……」
「かっこよかったよ」
「……今日は、俺が家事をしよう」
照れているのがわかる。
耳が赤い。もう二十年以上一緒にいるのに、この人はまだこういうところで照れる。
その夜。
傷の手当てを終えて、囲炉裏を囲んだ。
あなたが淹れてくれたお茶が、やけに美味しかった。
「……あなたも、まだやれるのね」
「さあな。明日は全身筋肉痛だろうけど」
「元聖騎士は伊達じゃないってことね」
「元、な。もう引退した身だ」
あなたは静かにお茶をすすった。
「あなたは、さ」
私は湯呑みを両手で包みながら、少し昔の話をした。
「覚えてる? はじめて会ったとき」
「……ああ。覚えてる。おまえが、道端で寝てたんだよな」
「寝てたんじゃないわよ。倒れてたの」
「同じだろ」
「全然違うわよ」
あれは十八のとき。
私は故郷を出て放浪していた。勇者一族の血を持ちながら鑑定を受けなかった私を、親族は理解しなかった。
行く当てもなく歩き続けて、ある村の街道で力尽きた。
目を覚ましたら、知らない男の家の天井が見えた。
それが、今の夫のレオン。
聖騎士を辞めたばかりで、この村で農業を始めたところだった。
「目が覚めるなり『ここどこ』って言ったよな」
「だって知らない天井だったんだもの」
「で、飯を出したら三杯おかわりした」
「……それは、その、お腹が空いてたから」
レオンは笑った。珍しく、声を出して。
「あのとき思ったよ。こいつ、強いなって」
「どこが? 行き倒れてたのに?」
「倒れてた割には、飯を食う勢いがすごかったからな。……ああ、この女性は、自分で思っているよりずっと生きる力が強いんだな、って安心したんだ」
「……それ、皮肉? 私がただ食い意地が張ってただけみたいじゃない」
レオンは、また声を出して笑った。
「いいや、本心だよ。死にたくないって胃袋が叫んでるうちは、人間は大丈夫だ」
……ああ、そうだった。
あなたは、行き倒れていた私を「惨めだ」なんて一度も思わなかった。
弱いから手を貸すだけじゃない。強さを知っているからこそ、休む場所をくれる。そういう人だった。
その日以降、レオンと過ごす日々が続いた。
「しばらくして、私は聞いたわよね。『なんで聖騎士やめたの』って」
レオンは少し黙って、それから言った。
「……守りたいものが、剣の先にはなかった。だったな」
その言葉で、私は恋に落ちたのだ。
同じだ。
私と同じだ。この人も、戦う以外の生き方を選んだ人だ。
「でも、今は守りたいものがある……」
「あなたのその言葉がなかったら、私はまだ放浪してたかもしれない」
「大げさだな」
「本当よ。あなたのおかげで、私はここにいる。あの子を産めた。この村にいる。……全部、あなたのおかげ」
何も言わなかった。
ただ、手を伸ばして、私の頭をぽんと、撫でた。
それで十分だった。
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第七章 息子からの手紙
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季節はめぐる。
あの子が旅に出て、二年が経った。
魔物はあれからも何度か来た。
でもSSランク級はあの一度きりで、あとは私一人で何とかなった。
あなたは「次から俺が先に出る」と言い張ったけれど、翌日の筋肉痛で三日間寝込んだのを見て、二度と言わなくなった。
村は、相変わらずだ。
パン屋のおかみさんが新作のパンを持ってきてくれる。鍛冶屋の爺さんがぎっくり腰になった。自警団の団長に子供が生まれた。隣家のおばあちゃんがうちの畑の大根を勝手に抜いていく。
平和だ。あの子が命をかけて守ろうとした日常が、ここにある。
ある日の昼下がり。
郵便屋が手紙を届けてくれた。
あの子からだった。
封を開ける手が震える。二年ぶりの手紙。
あなたも畑仕事の手を止めて、隣に来た。
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母さん、父さん。元気にしてる?
僕は元気です。たぶん、人生で一番元気です。
報告があります。
魔王を、倒しました。
長かった。本当に長かった。何度も死にかけたし、何度も泣いた。
でも、仲間がいたから頑張れた。
旅の途中で出会った魔法使いと、盗賊上がりの剣士と、ちょっと変わった神官。みんな最高のやつらです。いつか村に連れてくるから、よろしくね。
それから。
もうひとつ報告。
恋人が、できました。
隣の国の騎士で、強くて優しくて、ちょっと怖いけど、すごくいい人です。
帰ったら紹介します。
母さん、父さん。
ありがとう。
あの朝、笑って送り出してくれたこと、ずっと覚えてます。
不安だったけど、二人の笑顔があったから、前に進めた。
もうすぐ帰ります。
母さんの芋の煮っころがし、食べたいな。
追伸:村は大丈夫? 魔物とか来てない? 心配です。
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手紙を読み終えて。
私は、静かに手紙を畳んだ。
目の奥が熱くなっているのを感じた。
それから。
「どこの誰よその子は!!」
叫んだ。
「何よ騎士って! 強くて優しいってなによ!! ちょっと怖いってどういうこと!? あの子まだ十八よ!?」
「落ち着け、十八なら別におかしくないだろ」
「おかしいわよ!! 何も聞いてないわよ!! せめて事前に相談しなさいよ!!」
「手紙で知らせてくれているから、良いではないか……」
「あなたに似たわね……」
「え?」
「あなたも何の相談もなくいきなり『結婚しよう』って言ったじゃない!!」
「……あー。確かに」
縁側に腰を下ろして、困ったように頭を掻いた。
私は手紙を握りしめたまま、ぜえぜえと息を切らした。
SSランクの魔獣より、こっちのほうがよっぽど心臓に悪い。
でも。
でも――。
手紙をもう一度開いて、最後の行を読み返す。
『母さんの芋の煮っころがし、食べたいな。』
……ばか。
目頭が熱くなって、慌てて空を見上げた。
秋の空は高くて、雲ひとつない。
「……食器、三つに戻さなきゃ」
呟いたら、涙が一筋、頬を伝った。
あなたが黙って手を伸ばして、肩を引き寄せた。
私はあなたの胸に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
嬉しくて。
ほっとして。
ちょっと寂しくて。
でもやっぱり、嬉しくて。
こうして、世界は勇者によって救われた。
魔王は討たれ、瘴気は晴れ、長い戦乱の時代は終わりを告げた。
歴史書にはきっと、勇者の名前が刻まれるのだろう。
◆
でも私は知っている。
あの子を育てたのは、聖剣でも称号でもない。
味噌汁と、芋の煮っころがしと、畑の土と、何も言わずに頭を撫でてくれる手のひら。
勇者を育てたのは、ただの日常だ。
私は涙を拭いて、立ち上がった。
「……さて。芋、買いに行かなきゃ」
「まだ帰ってきてないだろ」
「準備は早いほうがいいの。あ、それと」
「ん?」
「その恋人って子。来たら私が面接するから」
「……手加減してやれよ」
「善処するわ」
エプロンを結び直して、玄関を出る。
秋の風が吹いて、金色の稲穂が波のように揺れた。
あの子が帰ってくる。
この村に。この家に。この、ありふれた幸福の中に。
――おかえりって言うために、今日も私はここにいる。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
「任せて、村の防衛はお母さんがするわ」、いかがでしたか?
面白かった!と少しでも思っていただけたなら、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで応援いただけると、本当に飛び上がって喜びます!
また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)




