霧深き森 その4
馬のいななきがゲオルグの背後から聞こえた。
大地を勇ましく叩きつけ、疾走する蹄の音が近づく。
ザザッ
視界の遮られた空間から、純白の馬に跨がる一人の青年が、ひらりと姿を現した。
「何じゃあ!!」
背後から馬に迫りこられる形となったゲオルグは、仰天し、素早く避けた。
彼の回りを囲んでいた獣人たちも驚いたのだろう。道の左右に散る。
突然の来訪者に、ルーラは何が起きたのか、理解できない。金縛りに遭ったように、道の真ん中に突っ立ち、呆然とした。
カッ
馬が、人一人通れる透き間を残し、止まった。
青年は手綱の扱いになれているらしい。そうでなければ、馬がルーラを蹴ってしまっていただろう。
(この人は誰?……)
ルーラは見知らぬ青年の顔をじっと見た。
年は二十代ぐらいだろうか、青年の顔は白く、キツイ面差しを印象づける切れ長の細い目は、深海の底を思わせる暗い蒼をしており、冴え冴えとした光を放っていた。首の付け根で一つにまとめている髪は、夜の闇に似た漆黒。急所を攻撃されないための防御策か、所々鈍色の鎧をつけていた。鎧以外は、全て濃紺の衣服に包まれ、きらびやかな飾りといったものはこれといってない。唯一、目立つのが肩の辺りにある、清冽な光りを宿す宝石。宝石は留め金の役目を果たしているのか、青年の肩から後ろ、長衣がやや姿を覗かせている。
青い衣を着た青年の姿は真っ白い霧の中、一際輝き、馬が白毛のせいか、宙に浮かんでいるように見えた。
青年とルーラの目が合う。
が、青年はルーラには興味がないらしく、彼女の隣に立つゲオルグへ視線を移した。
ゲオルグを一瞥するや、フフンと鼻で笑う。
「噂通りの奴だな」
ガサッ
「動くんじゃねえ!!」
青年の目が道の両端にいる獣人たちを捉えた。
射貫くような彼の鋭い双眸に、さしもの獣人たちも脅えたらしい。身を硬直させた。
「オレを後ろから攻撃してみろ。オマエたちの命はないからな」
青年は声を凄ませると、ニヤッと笑んだ。そして、ゲオルグをじろっと睨み付け、身も凍るほど低い声を出す。
「見つけたぞ、ゲオルグ。マレノス村の金品を強奪したのはお前だな」
マレノス村とは、昨夜、ルーラたちが宿を取った場所だ。
「ヒッ……」
ゲオルグは身をすくませ――何かを思いだしのか、大声で叫ぶ。
「おまえは、ベルグワンの!!」
「オレを知ってくれているとは光栄だな」
青年は冷ややかな笑みを口元に浮かべた。
青年の言葉とゲオルグの今までの行動から察するに、ゲオルグはルーラたちよりも先に村に到着して、マレノスの人々から金品を奪い逃走し、それでもまだ飽き足らず、偶然彼にぶつかってきたルーラの持ち物を奪おうとし、なおかつ、彼女を人買いに売りさばこうとしていた極悪人だった。
青年は、どうやらゲオルグたちがこの道を通り過ぎるもの、と待ち伏せしていたらしい。
「他人の金や持ち物を奪って平気な顔をしているとはな。見下げた野郎だよ。おまえが荒らした国は、いったい幾つだ?オレが噂を聞いた限りじゃあ、ロマネス、ベルグワン、ローラン――マレノスのあるモンペリエまで広まっていたようだが」
「噂されるとは、嬉しいのう」
ゲオルグは強がってみせた。
それが青年のカンに触ったらしい。青年の眉間に縦じわが寄った。
「言っとくが、いい噂じゃねえ。悪い噂だ――それに最近じゃあ、人身売買にまで手を出しているそうじゃねえか。アルシュランで人身売買が万死に値する罪なのは、おまえも十分承知のはずだな」
殺意を感じたらしい。青年の手が、腰に下がる剣の柄に伸びた。
獣人たちが足音を立てずに青年に近づき、金棒を振り上げる。
「無駄だ!!」
青年の怒声が響いた。
獣人たちをザッと見回すや、口の片端を持ち上げた。
「おまえたち獣人の腕力が、オレよりも勝っているのは知っている。その金棒で頭を殴られれば、死ぬこともな――だが、動きはどうだ?」
青年は腰の剣をすらりと抜くと、剣先をゲオルグの喉元に突き当てた。
「おまえたちがオレに殴りかかる前に、オレの剣がこいつの喉を切るぞ。後はどうなるか……想像がつくな?」
獣人の一人がゴクリと喉を鳴らした。
三人の額に脂汗が滲む。
ゲオルグを見つつ、情けなさそうな声を漏らす。
「ゲオルグ様……」
顔を蒼白にさせたゲオルグが、目で頷いた。
両手を上げ、途絶え途絶えに言う。
「ま、待て……わしらはあんたに責められるようなことは、何もしておらん。第一、ワシの噂を聞いたと言ったが、本当にワシのことじゃったのかな?人違いをしているんじゃ……」
「フンッ。悪党は、いつも同じセリフを言う。『自分は何もしていない』とな。口癖になってるんじゃねえか?ああ、ゲオルグ」
「証拠は?ワシらが金品を強奪したという証拠はあるのか?」
「証拠、だと」
剣を喉元に突き付けられているため、ゲオルグは頷けない。代わりのつもりか、いつの間にか彼の隣に整列した獣人たちが、首を大きく上下に振る。
「私たちは無実です」
四人は一斉に言うと、青年に見せびらかすように、大袈裟に両手を拡げた。
彼らの手や、ゲオルグのそれには、荷物らしき物は何も握られていない。
それでも、青年は余裕の素振りを見せた。
馬上からゲオルグらを見下ろし、冷ややかに言う。
「なるほど。最後までシラを切るつもりか――なら、そいつらが腰にぶら下げている物は何だ?オレにはどう見ても、金が入った袋にしか見えねえんだがな。おまえらが『無実だ』と強固に主張するなら、袋の中身を見せて貰おうか」
「……」
蛇に睨まれたカエルのように、ゲオルグは沈黙した。
青年の鋭い双眸が、ゲオルグからルーラに移る。
「答えるつもりがねえなら、そこの子供に聞いてやる。おまえの代わりに、洗いざらい喋ってくれるだろう」
「ま、待ってくれ。この娘は関係ない。この娘は……ワシの孫じゃ」
「!!」
ルーラは驚き、首をちぎれんばかりに振る。青年に「違う」と訴えたかったのだが、恐怖に声が出ない。
「フンッ」
相手にするつもりがないようだ。青年は鼻を鳴らすと、ゲオルグを睨みつけた。
「その子供がおまえの何なのかは、後で聞く。早く袋の中身を見せろ」
「わ、わかった。お前たち、見せてやれ」
慌てたゲオルグが、ちらりと獣人たちに目配せするのを、青年は見逃しはしなかった。
獣人たちが青年めがけ金棒を振り上げ――青年が剣を一閃させる。
「キャーッ!!」
ルーラは悲鳴を上げ、顔を両手で塞ぐ。
指の透き間から、獣人たちが青年に襲いかかるのが見えた。
多勢に無勢で、青年に勝ち目がないのは、明らかだ。
金属の刃が空気を切り裂く。
ついで、金属のぶつかり合う衝撃音。
それと同時に、グァッとかギャアという奇妙な叫び声が聞こえ――
地に何かが崩れ落ちる音を最後に、辺りに静寂の時が落ちた。
ルーラは顔を両手で覆い、突っ立っていた。嫌な胸騒ぎがした。できることなら、顔を隠したまま、この場から逃げ出したい。
異臭に顔を歪める。
(この匂い……森の中で嗅いだのと同じ)
そろそろと左手の掌に視線を転じた。
赤黒く変色しているが、何かがこびりついていた。
ルーラは、野犬たちの死骸を見、触り、パニックに陥った。手についた血をハンカチで拭くのを忘れ、森の中から飛び出し、ゲオルグと遭遇した。
「これ、何……」
声を震わせ、顔から手を離そうとする。だが、ためらう。手についたものよりも、もっと恐ろしい光景が指の間から見えた。
ゲオルグや獣人たちの、泥と血にまみれた無残な死体が、道端に転がっていた。
周囲を包んでいる霧のせいだろう。血の匂いは行き場を失い、濃く漂う。
ルーラは、立ち込める濃密な血の匂いに、息が詰まりかけた。
「ゴホッ、ゴホッ……」
何度も咳払いし、つい手が顔から離れた。
腰を曲げ、息を呑む。獣人と目が合った。
獣人の目は、死ぬ最後の瞬間を見たのか、ガッと見開かれ、白目を剥いている。それだけでも恐ろしいのに、口の端から血が滴り落ちていた。
「イヤーッ!!」
ルーラは喉を押し潰されたかと思うほど悲痛な声で叫んだ。
彼女の声に驚いたらしい。馬が一歩後ずさる。
ヒヒヒヒィーン!!
首を高く後ろに逸らし、いなないた。
「!!」
ルーラは馬の声に我に返った。
馬の思慮深い瞳と目を合わせ――視界に靴の踵が入る。
(馬の上に誰か……)
「どう、どう」
馬の気を静めているのだろう。青年が手綱を引っ張り、馬の首筋を撫でた。
(そう。男の人がいたんだわ……)
ルーラは青年がいたことを思い出した。
顔をゆっくりと上げ、青年に視線を投じた。
馬上にいる青年は、血の滴り落ちる剣を握り締め、訝し気にこちらを見つめていた。ゲオルグたちを切ってすぐ後のせいか、青年はいささか興奮気味に頬を紅潮させ、双眸は異様なほど鋭い光を放っていた。
青年の手がこちらに伸びた。
「おい、大丈……」
「お願いです!殺さないで!!」
ルーラは絶叫を上げた。動揺したため、大粒の涙が頬を伝わっているのさえ、気づかない。許しを乞うのが精一杯だ。
そんな彼女の姿を気の毒に思ったらしい。青年がわざわざ馬から下りた。
「おまえ、ゲオルグに売られようとしていたな。どこの子供だ?親はどこにいる。マレノス村か?」
ルーラは頭上を仰ぎ、顔を蒼白にし、後ずさった。
背丈が百八十セスはあろうか、ルーラよりも頭一つ分ほど身長の高い青年が、こちらを見下ろしている。
「……お、お願いです……許して……」
ルーラは声を震わせつつ、青年から離れた。
(逃げろ!!)
そう、頭の中で本能が叫ぶ。
ルーラは声にせかされるように、クルリと体の向きを変え、一目散に来た方向めがけ走り出した。
(今度こそ殺される!!)
彼女がそう勘違いするのも無理はない。青年はルーラが顔を覆っていた、ほんの僅かな間に、ゲオルグたちを一掃してしまったのだ。しかも、血で濡れた剣を手にしたまま、彼女の側へ近寄ってこようとした。
(私が見たのは何!?)
ルーラの目の前を、ゲオルグたちの屍や彼らの血を思う存分すすったであろう青年の剣が、いつまでも離れず、ちらちらと過っていた。
「何だ、あのガキは」
青年は、霧の中にかき消えたルーラの背を目で追い、毒気づいた。
彼が気分を害するのも当然だ。心配し、声をかけたにも係わらず、こちらを見た子供は魔物でも見たように顔を蒼白にさせ、走り去った。
「あのガキは、どういう躾を受けてきたんだ」
悪態をつき、剣についた血を払う。
胸の部分を見て、嘆息ついた。
「返り血までついてやがる。これは洗わねえと落ちねえな」
それもすぐだ、と青年は小声で付け足した。
剣を鞘にしまって、さらにごちる。
「この服は、今朝、着替えたばかりだっていうのに……何もかも、こいつらのせいだ」
ガンッ!!
足元に転がっていた獣人の死体を蹴った。
青年としては、ゲオルグたちを軽く始末するつもりでいたのだが、道の真ん中に突っ立って動こうとしないルーラを巻き込まないよう剣を閃かせているうちに、無駄な動きをしてしまったようだ。服が汚れたのは大きな誤算である。
青年は後ろを振り返った。
「汗までかいてやがる」
背中がうっすらと汗ばんでいた。
憎々しげに、もう一度、獣人を蹴る。
「――ったく、余計な手間をかけさせやがって。素直に悪事を認めれば殺さずに済んだものを」
舌打ちすると、獣人が腰にぶら下げていた袋を、無造作に引っ張る。
ブチッ
紐の切れる音がした。
青年は構わず、獣人の腰から袋を取り上げる。
「一つ、二つ……何だ。五つも持ってやがる。ということは――」
回りに散らばる三人の獣人たちの死体を見渡した。
「全部で二十か」
青年はなかば感心したように、嘆息ついた。
「こんなに金品を奪い取っておきながら、『自分たちは無実だ』と良く言えたもんだ……」
腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「ゲオルグに金を取られたのは、マレノス村のもんだけじゃねえな」
青年はここに来る途中、ゲオルグの噂を聞いていた。彼はとんでもない悪党だったらしく、手下の獣人たちに宿泊した場所で騒ぎを起こさせ、村人が騒動を治めようと家を空けた隙に、金品を奪ったらしかった。後は、五人バラバラに逃げ、前持って相談していた場所で落ち合う。
「オレが聞いたのは……二十か、三十だったか」
あまりに多すぎて、青年は忘れた。
ゲオルグを見下ろし、伸びきった彼の腕を踵で小突く。
「死んじまってるな。生きてりゃあ、どこで何をやったか、直接聞きだせたんだがな」
――まあ。言わねえと思うが……――
青年は苦笑を零した。
「何か、証拠になるものは――」
青年はゲオルグの服を探った。
上着、ズボンのポケットと手を入れ、苦々しい顔付きをする。
「何もねえ、か」
他にはと、ゲオルグの回りに視線を走らす。
「!!」
彼が持っていた杖が目に止まった。
「杖か――まさか、この中にあるなんてことはねえだろうな」
杖を揺すったり、地面に打ち付けたりしてみる。
あまりに激しく地面を叩いたせいか、杖の先端が折れた。
「見つけたぞ!!」
青年は興奮気味に叫んだ。
折れた部分から、白い筒状の紙が顔を覗かせた。
青年はそれを手に取り、拡げた。
「名前が書いてあるな。キャメラに、アンナに、リサに、ティファに……女の名前ばっかりじゃねえか」
と、青年の頭にピンと閃くものがある。
青年は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「これは人身売買のリストだ。ゲオルグが、あのガキを売り飛ばす所を押さえられなかったのは惜しかったが、リストがあれば、モンペリエの王との商談は成立だ。オレがモンペリエに立ち寄ったことを、親父にバラされずに済む」
青年はどうやら何か訳ありの人物らしい。マレノス村のあるモンペリエ国にいるのは、たまたま偶然であり、ゲオルグたちを捕まえることになったのも、村の人々に頼まれたからだけのようだ。
青年は紙を丸めると、大事そうに馬が背負う荷袋の中に押し込んだ。
「礼に村の奴らから金も貰えるし、これで旅の資金がしばらく底をつくことはないな」
と、青年の手がピタリと止まる。リストを見て、何かを思い出したらしい。
ルーラの去って行った方へ視線を転じた。
「そういえば……あのガキは何でオレを見るなり逃げ……」
背中を馬に小突かれた。
「何だ?」
後ろを振り向いて、馬と目が合う。
馬が何か言いたそうな瞳を、こちらに向けた。そして、青年の血のついた服に鼻を押し付け、フンフンと匂いを嗅いだ。鼻を鳴らし、長い首を左右に振る。
青年は訝しげに問いかけた。
「血?オレの服についた血を見て、あのガキが逃げ出した――そう言いたいのか?」
馬は「そうだ」と言いたげに頷き、まだ何かあるのか、青年の腰に視線を移す。
青年は馬の視線を追い、弾かれたように顔を上げた。
「そうか。あのガキはオレの剣を見て殺される、と思った……」
少々間の抜けた話だが、青年はゲオルグや獣人たち相手に剣を閃かせ、殺した後も、しばらく気を抜けずにいた。逼迫した状況に置かれ、そうたやすく気持ちの変換ができないのも当然だろう。自分が勝つ、とわかっていたとしてもである。血に染まった剣を鞘にしまい忘れ、ルーラに近づいたのは、まずかったが。
「誤解しやがって……マレノスへ戻る途中にでも、会えるだろう」
青年は苦笑すると、子供が走って行った方向へ、視線を投げかけた。




