霧深き森 その2
服の袖口を引っ張られ、そちらに視線を移す。
「ルーラ、木の下に行こう。道の真ん中に突っ立ってたら、もし馬車が通りかかった時、危ないだろ?」
「う、うん。そうだね。じゃあ、行こうか」
ルーラはくぐもった声で答え、ヴォルンの後についた。
ヴォルンが見つけた木は、二人が元いた場所から、ほんの少し離れた道路の端にあった。
大木は森の主のようにどっしりとし、天に向かって枝葉を伸ばしていた。
「ふーっ……」
ルーラの口から微かなため息が出た。
(なんだか、体中が湿ってて重い……)
湿り気を含んだ霧が、全身に張り付いてしまった風に思えた。
(ヴォルンは……)
ヴォルンの様子が気になり、膝の方へ目をやる。
彼が良く自慢している銀の毛が、雨に晒されたように濡れていた。
(ヴォルン……)
ルーラは、みすぼらしく見えるヴォルンが、気の毒になった。
ドレスのポケットに手を入れ、レースのハンカチを取り出す。
ハンカチを取り出す音が聞こえたのだろう。ヴォルンがこちらを上目使い、ニッと笑う。
「オレはいいよ。霧が晴れれば、毛は乾くから。ルーラこそ、髪の毛を拭いた方がいい。
綺麗な金髪がだいなしだ。ドレスは……宿で乾かさなきゃダメだろうけど」
「ヴォルン。ありがとう」
ルーラは胸が熱くなり――嬉しくて、頬さえ紅潮した。
レースのハンカチで髪の毛を拭きつつ、腰を落とし、ヴォルンにしっかりと寄り添う。
更に濃度を増した霧の中に視線を投じて、心細さげに呟く。
「サクラ、早く戻ってきてくれるといいなー……」
その時、静寂が破られた。
ウオーン!
ウオォォォーン!!
ルーラ、ヴォルンの周囲から、野犬らしき獣の遠吠えが聞こえてきた。
ルーラは脅え取り縋るように、ヴォルンの背に身を近づけ、無意識の内に声を潜ませた。
「ヴォルン。今の……何?何の声?」
「野犬だ。恐がらなくても大丈夫だよ。ルーラにはオレがついてる。オレが強いの、知ってるだろう?」
こちらを振り返ったヴォルンが、口の端が張りさけんばかりにニカッと笑んだ。
ルーラは脅えた目をしつつ、大きく頷く。彼女はヴォルンが誰よりも強いのを知っていた。
ロマネスでは年に一度、ルーラの父でありロマネスの王であるジョエル=ロマネスの御前で武術大会が行われた。これには、ロマネスだけでなく、他国からも訪れた腕に自信を持つ強者揃いの若者たちが、あわよくばロマネス王を守護する護衛兵士の座を狙い、こぞって参加した。ヴォルンはジョエルの命により、若者たちの腕前を計るため、毎年大会に顔を出していた。
人間でありながら、狼としての獣の血を持つヴォルンに適う者などいない。強靭な肉体、地面にめり込まんばかりの四肢にはナイフのように鋭い爪が輝き、口元に添えられた牙は骨を噛み砕くぐらい太く三角に尖っていた。
ヴォルンの得意技は二種類ある。一つは、後ろ足で立って両腕を俊敏に動かし、相手の皮膚を鋭い爪で切り裂いた。二つ目は、狼のように四つ足で走り、身を呈して相手に突進して行く。彼の攻撃を誰一人として避けることはできなかった。
ルーラは、ヴォルンの勇姿を玉座に腰を下ろす父と共に、いつも誇らしげに見つめた。
(そうよ。ヴォルンは今まで一度も負けたことがないんだもの)
ルーラは自分に何度も言い聞かせた。
ヴォルンの視線に気づき、そちらに目をやる。
気のせいだろうか。ヴォルンが悲しそうな瞳をしていた。
ヴォルンにしてみれば、自分が側についてるにも係わらず、ルーラが不安がるのが悲しくてしょうがないのだろう。もちろん、プライドを傷つけられたような気さえ覚えた。
ヴォルンがうなだれ、ボソリと愚痴をこぼす。
「ルーラはオレを信じてないんだな」
「!!そ、そんなことないわ。ヴォルンが強いの、知ってるもの」
ルーラは動揺し、つい大声を出した。
カサッ
野犬が近づいてきたらしい。木々の間から、草を踏む足音が微かに聞こえた。
ルーラは顔を真っ青にすると、白い霧に覆われた周囲に目を走らせ、ツバを呑み込んだ。
震える手でヴォルンの背を撫でる。
「ヴォルン、ごめんね。ごめん。ヴォルンが野犬に負けるわけない、って私、信じてるわ。野犬の声を始めて聞いたから、ちょっとびっくりしちゃって……」
作り笑いを浮かべる彼女の背を、冷たい汗が伝わる。ひどい胸騒ぎがした。
ルーラは胸に手を当て、嫌悪の表情を浮かべた。
(ヴォルンが負けるはずなんてないのに。なんだろう、この嫌な感じは……)
胸が掻き毟られるような、ゾッとする気分。
ルーラの顔が徐々に曇る。
「ヴォルン……?」
ヴォルンの顔を覗き見しようとするが、白い霧に覆われ、かろうじて金に光る双眸の色だけが確認できた。
見えないのは、ヴォルンも同じらしい。まだ昼間だというのに、目をランランと光らせ、ルーラの居場所を確かめる。
「ルーラ?」
「ヴォルン……」
ルーラはヴォルンの声に安堵の息をついた。
彼の背中に抱き着き、小声で聞いてみる。
「ヴォルン。私が見える?」
「ああ。白い霧の中にルーラの金髪がうっすらと見えるよ。ちょっと手を振ってみて」
ルーラは言われた通り、ヴォルンに見えるよう大袈裟に手を振ってみせた。
「どう?見えた?」
ブンッ、とヴォルンが首を上下に振った。
「良かったー」
ルーラはほっとして、地面に座り込んだ。
彼女が落ち着いたのを善しとしたらしい。ヴォルンは、体に流れる獣の血を最大限に生かし、上に向かって三角に立つ耳と、長く前に伸びた鼻面に神経を集中させた。
飢えた野犬たちが足音を立てぬよう、ひそかに距離を詰めながら、ヴォルンとルーラを目指し近づいてくるのがわかる。
周囲に視線を凝らし、呟く。
「野犬の数は……十、十一。いや、それよりも多い。全部で十五匹か――野良犬め、ルーラには爪の先さえ触れさせないからな」
彼らが向かって来る方向を見据えたヴォルンの満月を思わす金の瞳が、冷たい光を放つ。
野犬たちは、人の耳では聞き取れないぐらいの小さな唸り声を上げつつ、仲間同士で会話を交わしているようだ。その様子から察するに、彼らの図体はヴォルンよりは、やや小さめ。が、頭は働くらしい。自分たちよりも体の大きなヴォルンに勝てないと知ったのか、単独では行動せず集団で協力し、ルーラ、ヴォルンを襲うことにしたのだろう。密かに間合いを詰め、なかなか姿を現そうとはしない。
ヴォルンは一抹の不安を覚えた。霧で相手の居場所がはっきりと確認できない今、野犬たちはそれを利用し、一斉に吠え、ヴォルンを撹乱させ襲って来るはずだ。
「面倒だな……」
ヴォルンは鼻筋に深い皺を寄せた。サクラが戻ってくるまでの間、彼は不利な状況の中、ルーラを守って十五匹もの野犬と一人で戦わなければならない。
後ろを振り返り、一人ごちる。
「野犬たちよりも早く動くには、荷物を下ろさないと、邪魔になるよな」
背中にくくりつけてあった二つの荷袋の紐を、歯で器用に外した。
野犬たちの唸り声は徐々に大きくなった。
ルーラは必死で辺りに視線を凝らし、野犬たちの姿を見ようとした。
(野犬は何匹いるの?……)
ヴォルンに聞けばいいのだが、怖くてできずにいた。
(どうか一匹でありますように……)
両手を組み祈ってみる。
「ルーラ、オレの側から離れるなよ」
「!!」
ヴォルンの声にハッとして顔を上げた。
(野犬が!!)
その瞬間、ルーラの瞳に一匹の野犬の姿が飛び込んだ。
群れのボスなのか、霧の中に浮かんだ野犬の姿は雄々しく、犬とは思えない。ルーラにとっては、ヴォルンがもう一人いるように見えた。
ルーラは道を隔てた向こうを見つめ、息を呑んだ。
(あんなに大きな犬、見たことがない。それに、あの犬、私の方を睨んでる……)
犬は人間にとって友達であり、忠実な僕、と父から教えられてきた。犬を傷つけたり、いじめるようなことをしなければ、人間を襲ったりはしないとも。だが、ルーラの見ている野犬は、憎悪の目をこちらに向けていた。
「魔物……」
ルーラの口から恐ろしい言葉が出た。
「う、そ……」
声が震え、口を押さえようとした手すらもガタガタと震えた。
彼女の脅えを感じ取ったらしい。野犬を迎え討とうと、胸から上を道の方に迫り出していたヴォルンが、ゆっくりと後退してきた。
ルーラは木に背中をピタリとつけたまま、ヴォルンに救いの眼差しを向けた。
「ヴォルン……あの野犬は魔物なの?」
「違うよ。あれは、ただの野良犬だ。魔物じゃない」
「それじゃあ、どうして私の方を睨んでるの?……野犬の目が赤く光って……あの犬は私を憎んでるのよ……私……あの犬に何もしてないのに……」
ルーラは涙声で言うと、首を大きく左右に振った。
「あいつらはルーラを憎んでるじゃない。人間を憎んでるんだ。あいつらは……たぶん、人間に捨てられたんだ」
「!!捨てられたって?……」
「ロマネスでは犬を飼ってはいけない、ってされてるけど、アルシュランの全部の国がそうじゃない。犬を飼い犬にして服従させて、言うことを聞かないとわかった途端、森や山に捨てる人間がいるんだ
……」
「そんな……犬は友達なのに……」
ルーラの瞳から大粒の涙が落ちた。
同情の眼差しを、道の向こうにいる野犬に転じる。
「あの野犬も、人に捨てられたのね……」
ヴォルンが大きく頷いて、ルーラの涙を舌でなめた。
「だからって、ルーラが泣くことはないんだ。奴らにも悪い所はある。人間に服従していれば食べ物がもらえる、と甘えて、野良犬になるまで安穏な日々を送ってきたんだ。自己主張しないで人間にいい顔して、気に食わなかったことがあると、急に態度を変える――そんなことされたら、人間だって困るよ。犬と人間は言葉が通じないんだ。仕草で気持ちを表現するしかないのに、奴らは面倒がって怠った
……」
「ヴォルンには、あの野犬たちの言葉がわかるの?」
「オレには奴らと同じ獣の血が流れてるんだ、奴らの言葉はわかるよ。わからないのは……人間を嫌う奴らの気持ちだよ。ルーラみたいな……」
照れているのか、ヴォルンは目を逸らし、やや躊躇した。
ぼそりと呟く。
「優しい人間もいるのにな……」
「ヴォル……!!」
ルーラはヴォルンの背に抱き付こうとして――スルリと彼に逃げられた。
呆然としていた所へ、ヴォルンがこちらを振り返り、ニッと笑う。
「オレ、行ってくるよ」
「だめ、ヴォルン。やっぱり。私、恐い……お願いだから、ここにいて。私を一人にしないで」
ルーラは、前足を一歩踏み出したヴォルンの背に、しがみついた。
ヴォルンがやられる――拭い切れない不安が、ルーラに身勝手な行動を取らせた。
ここに来るまで、ルーラたちの旅は魔物に出くわすこともなく、強盗や変な人間に引っかかりもせず、順調に進んでいた。それが、いきなり最悪な場面に陥ったのだ。視界は真っ白な霧で覆われ、空へ飛び立ったサクラは未だ帰っては来ず、腹を空かした野良犬どもが、刻一刻とルーラの方に迫りつつある。
ルーラは生まれてから現在に至るまで、孤独とは無縁な環境の中で育った。彼女の住まう城は、いつも賑やかで、人々の笑い声に満ちあふれていた。物心ついた時にはルーラの傍らにサクラがいて、その後、ヴォルンが加わることとなる。二匹は彼女の身を守護するだけでなく、ルーラが寂しくないよう常に側にいた。
「一人になるのは、嫌……」
ルーラは涙声で訴えると、しきりに首を振った。
頭を垂れ――視界に入ってきた薄紅色のドレスが見る見る間ににじむ。
「……霧の中で一人になるのは、嫌……」
しゃくり上げた。
困惑したのだろう。ヴォルンが深い嘆息を漏らす。
ルーラをどう慰めていいものか考え、正面をじっと見やった。
二人の様子を伺ってるらしい野犬のボスと目が合う。
カサッ
物音に驚き、ルーラが顔を上げる。
「!!」
真っ青だった顔色が白になり、唇が青ざめた。
口を塞いだ指のすき間から、かすれた声がこぼれた。
「……や、野犬が三匹に増えてる……」
「真ん中が野犬たちのボス。両脇にいるのが手下だ。奴らはオレたちが脅えて、背中を向けるのを待ってるんだよ。ルーラ、泣いちゃダメだ。泣いたら、奴らの思うツボになる。奴らは、ルーラが怖がるのを心の内で笑って見てるんだよ。自分たちの敵は、オレだけ。人狼のオレさえ倒せば自分たちの勝ちだ、ってね」
語尾を冗談っぽく締めくくったヴォルンが、ちらとこちらを振り向いた。
「ヴォルン……」
ルーラはヴォルンが微かに微笑するのを見て、幾分心が落ち着くのを感じた。
と、たっぷりと毛の生えたヴォルンの長い尾が内側に巻かれた。
尾の先はヒラヒラと揺れるや、ルーラの頬の涙を優しくぬぐう。
「!!」
「ルーラ、オレは遠くに行く訳じゃない。ルーラの近くにいるんだ。霧でオレの姿が見えなくなっても、ルーラに居場所がわかるように、鳴きながら奴らと戦う。そうすれば、ルーラにオレがどこにいるかわかるだろう?」
ヴォルンは穏やかな声で言うと、正面を向いた。
敵を迎え討つためだろう。爪が地面にめりこむぐらい、重心を四肢にかける。そして、低いうなり声を上げ、全身の気を一気に集中し始めた。そのせいで、体温が上昇する。熱気が離れているルーラに伝わるほどだ。
ルーラの涙が止まった。
「ヴォルン……」
熱気に誘われるように、ヴォルンの背に手を振れた。
「!!」
ルーラは愕然とし――やがて、ヴォルンの背を撫でるにつれ、体が暖かくなる。
人でも獣でも、誰かの体温を感じるというのは、気持ちを落ち着かせ、ほっとさせる。ルーラも例外ではなかった。
ルーラの恐怖に脅え縮こまっていた体が、ピンとなる。不規則な鼓動は規則正しく波打ち、唇に赤みが戻る。
カサ
草を踏み締める音が、さっきよりも大きくなった。
ルーラは、ヴォルンから野犬へ、視線を移した。
(私の方を見て、笑ってる)
ヴォルンの指摘した通り、三匹の野犬は、口の端を裂けんほど高く持ち上げている。意気地のないルーラを、せせら笑っているのだろう。
ガサガサガサ
自分たちの勝ちを見て取ったのか、姿を潜めていた数匹の野犬が、ぞろぞろと姿を現す。
十五匹の野犬が一斉に身構えた。
もはや、ルーラが四の五の言っている暇はない。彼女がヴォルンから離れなければ、二人共野犬たちに襲われ、共倒れしてしまう。
野犬のボスが、ルーラの喉元を食いちぎる、といわんばかりにガッと口を開けた。まるで、脅迫している風だ。
ルーラの本能が叫ぶ。
(二人とも、殺される!!)
その瞬間。彼女の手がヴォルンの背から離れた。
ヴォルンが雄叫びを上げるや、地面を足の爪で削り、空高くジャンプする。
「アオォォォーン!!」
野犬に向け、全力疾走した。
ヴォルンの声を追いかけるように、野犬たちが吠え出す。
「ウォーン!ウオォォォーン!!」
彼の回りを囲んだ。
「ヴォルン!!」
焦燥感に駆られたルーラは、木の側から離れ、直立不動の姿勢を取った。
固唾を呑み、ヴォルンの姿を見つめる。
「!!霧が――」
霧がさらに濃くなり、ヴォルンや野犬たちの姿を白いベールで覆い尽くす。
ルーラは、ただ目を凝らした。
「私にできること……今、私にできることはないの?……ヴォルンを助けることは、私にはできないの?」
頭を抱え、必死で考える。
焦る心をどうにかして押さえ、冷静になろうとつとめた。
緊迫した場面に出くわしたのは、初めてである。すぐには答えがでてこない。
ババッ!!
白い空間に赤い火花が散った。ヴォルンが身を呈して、野犬に体当たりしたのだろう。
ドンッ!!
続いて、肉がぶつかりあうような鈍い音。
「ヴォルンが一人で野犬と戦ってる」
ルーラは、何の力もない自分自身に腹を立て、唇を強く噛み締めた。
彼女に自分の居場所を知らせているつもりなのか、ヴォルンが一声吠えた。
「アオォォォーン!!」
声には覇気が感じられた。
ルーラは瞳を大きく見開き――ヴォルンは大丈夫だ、と確信する。
ツッと一歩前に出、地面を踏み締め、ありったけの声で叫んだ。
「ヴォルン、がんばって!!」
「アオォォォーン!!」
彼女のそれに応えて、ヴォルンが再び吠える。
ババッ!!
二度目の赤い閃光が森を深紅に変えた。
キャウン!
キャギャウン!!
野犬たちの悲痛な叫び声がした。
追い打ちをかけるように、ヴォルンの気合の込もった咆哮が、二度、三度と周囲の空気を振動させる。
「アオーン!アオォォォーン!アオォォォォォーン!!」
それでもなお、野犬たちは抵抗を試みているのか、彼らの黒い影が霧の中を踊った。
ルーラは両手を組み、口の前まで持っていく。
「ヴォルン。お願い。負けないで」
誰に対してというわけではないが、心の底から願う。
ビュツ!!
光の軌跡が白の空間を走る。ヴォルンが四肢の長い爪で、野犬たちの体を裂いたらしい。
キャウゥゥゥン!!
野犬の絶叫が聞こえた。
(怖い!!)
ルーラは身を震わせ、耳を塞いだ。そして、背中を木にピタリとくっつける。
両腕で自分の体を抱き締め、絶え絶えに呟いた。
「……私が……傷つけられてるみたい……」
嫌悪感が背を伝い、首の産毛が立つ。
正面――ヴォルンと野犬が戦っているだろう様――を直視できず、頭を垂れた。
霧で彼らの戦う様が見えないのは、ルーラにとって、いいことだったのかもしれない。
グルルルルッ
野犬たちを威嚇しているだろう。ヴォルンの低い唸り声が彼女の耳に届いた。
ルーラは顔を上げ、ヴォルンが宙を蹴るのを、一瞬だが見た。
「!!私は……」
頬を強ばらせ、自分の行為を恥じた。
「自分のことしか考えていない……」
(ヴォルンは一人で戦ってるのに)
胸の内で呟くと、毅然とした眼差しを正面に向けた。
それでもまだ、どこか脅えた様子が、全身から滲み出ている。一人になるのは生まれて初めてだ。寝る時でさえ、サクラ、ヴォルンが一時も離れず彼女の側にいた。
ルーラは心細さを振り払おうと、首を左右に大きく振り、自分に強く言い聞かせる。
「ダメよ。怖がっちゃ。ヴォルンはすぐ側にいる……」
パッ!!
森に弾けた光に目が眩む。
バシッ!!
凄まじい衝撃音と共に森を染めた赤い火花が、木々のシルエットをほんのわずか浮かび上がらせ、消えた。
キャゥンッ!
キャアァァウンッ!!
空気を引き裂くような野犬たちの断末魔の悲鳴が轟き――
辺りは静寂に包まれた。




