表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

触れるもの全てを殺す『死神公爵』様、なぜか魔力ゼロの私だけ触れても平気なようです〜「ようやく触れられた」と溺愛モードの旦那様が離してくれません。今さら復縁を迫る元婚約者? 知らない方ですね〜

【ヒーロー視点】触れるもの全てを殺す『死神公爵』ですが、彼女に触れた瞬間、愛しさが暴走してキャラ崩壊寸前でした

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/01/04

こちらは本編

触れるもの全てを殺す『死神公爵』様、なぜか魔力ゼロの私だけ触れても平気なようです〜「ようやく触れられた」と溺愛モードの旦那様が離してくれません。今さら復縁を迫る元婚約者? 知らない方ですね〜

の続編(ヒーロー視点)です。

▼本編のリンクはこちらです▼

https://ncode.syosetu.com/n7783lo/

 世界は、いつだって「騒音」に満ちていた。


 私の過剰すぎる魔力は、他者が発する魔力の波長を、不快なノイズとして拾ってしまう。


 人のざわめきは耳障りな羽音のように。

 魔法の光は目を焼く閃光のように。


 聖夜祭。

 街は浮かれた人々の放つ魔力で溢れかえり、私にとっては地獄のような騒々しさだった。


 頭痛をこらえて広場を通り抜けようとした時――ふと、その「静寂」を見つけた。


 雪の中に、ぽつんと跪く少女。

 リリエル・アークライト。


 彼女の周りだけが、奇跡のように静かだった。


 彼女は魔力を持たない。だからこそ、私にとって彼女は、この世界で唯一の安らぎであり、遠くから見つめることしか許されない「聖域」だった。


(……リリエル?)


 彼女が、泣いている。

 私の愛しい花が、冷たい雪の上で震えている。


 その目の前に立っているのは、あの愚かなセオドア王子か。


 彼の腕には別の女が張り付いている。


 二人は、あろうことかリリエルを見下ろし、嘲笑っていた。


「この聖なる夜に、私の視界から消え失せろ!」


 その言葉が聞こえた瞬間、私の頭の中で何かが切れる音がした。


 ドクン、と心臓が早鐘を打つ。


 激しい怒りが、血液の温度を一気に押し上げた。


(……消え失せろ、だと?)


 どの口が言っている。


 貴様らが消えろ。私の視界から。私の世界から。


 リリエルを傷つける雑音(ノイズ)どもが。


『……退け』


 無意識に、低い声が漏れた。

 それだけで、広場の空気が凍りついたのがわかった。


 人々が私に気づく。


「ひっ……あ、あれは、まさか……」


「クラウス・ヴァン・ノイマン公爵!?」


「『死神』だ! 目が合うと殺されるぞ!」


 悲鳴が上がり、群衆が左右に割れる。

 まるで海が割れるように道ができた。

 いつもなら疎ましいだけの反応だが、今日だけは感謝しよう。


 おかげでリリエルの元へ最短距離で辿り着ける。


 私は雪を踏みしめ、彼女の前へと歩を進めた。


 セオドアと女が、私を見て真っ青になっている。


「ク、クラウス公爵……。ここは貴公のような危険人物が来ていい場所では……」


 セオドアが引きつった顔で何か喚いている。


 危険人物?


 ああ、そうだろうな。


 今の私は、貴様をこの場で塵に変えてやりたい衝動を必死で抑えているのだから。


「邪魔だと言った」


 私は吐き捨て、彼らを一瞥もしなかった。


 そんな羽虫に構っている時間はない。

 私はリリエルの前に膝をついた。


 雪の上に、上等なコートの裾が広がることなど、どうでもよかった。


 彼女が見上げる。

 涙で濡れた瞳が、私を映している。


 ああ、なんて酷い顔をしているんだ。寒かったろう、怖かったろう。


 彼女の指先は紫色に変色し始めていた。

 このままでは、彼女は凍えて死んでしまう。


 抱きしめてやりたい。温めてやりたい。

 だが、恐怖が足を止める。



 ――私の手は、呪われている。



 触れれば、壊す。



 もし、唯一の「静寂」が、私のせいで永遠の「沈黙」に変わってしまったら?


 もし彼女を壊してしまったら、私は私を許せないだろう。


(……だが)


 彼女が消えてしまうことの方が、もっと怖い。


 賭けだ。


 私は震えそうになる右手を叱咤し、革手袋を口で咥えて引き抜いた。


 寒空の下に、白い素手が露わになる。


「……リリエル」


 名前を呼ぶ声が、祈るように震えた。


 頼む、壊れないでくれ。拒絶しないでくれ。


 ふわり。


 指先が、彼女の氷のような頬に触れた。


 ――壊れない。弾けない。


 そこにあるのは、柔らかい感触と、冷え切った肌の温度だけ。


(……ああ)


 息が止まるかと思った。

 歓喜が、雷のように全身を駆け巡る。


 触れられた。


 私の指が、誰かの肌に触れている。


 そして彼女は、生きて、私を見つめている。


「……よかった」


 安堵のあまり、本気で泣きそうになった。


 視界が滲むのを誤魔化すように、私はもう片方の手袋も脱ぎ捨て、両手で彼女の顔を包み込んだ。


 生きている。彼女は私の手の中で生きている。


 その事実だけで、私は一生分の幸福を使い果たした気分だった。


「待て! クラウス! その女は呪いを使う犯罪者だぞ! 私が追放したんだ!」


 セオドアが背後で喚いている。


 追放?


 この愚か者は、宝石をドブに捨てたと言っているのか?


 私はリリエルを抱きしめたまま、ゆっくりと振り返った。


 自然と魔力が溢れ出し、噴水の水が一瞬で凍りつく。


「……追放、だと?」


 怒りと共に、昏い悦びが湧き上がってきた。


 これは好機だ。


 彼が捨てたのなら、私が拾っても文句はあるまい。


「感謝するよ、無能な王子。……これほど美しい『唯一』を、私のために捨ててくれたのだから」


 私は腕の中のリリエルを強く抱きしめた。


 彼女の心臓の音が、私の胸に直接響いてくる。


「――これは、今日から私のものだ。……この女が流した涙の一滴、吐息の一つまで、誰にも、精霊にさえ一分も分けてはやらない」


 口に出した瞬間、独占欲が腹の底から湧き上がってきた。


 もう離さない。絶対に誰にも渡さない。

 彼女の涙も、笑顔も、その体温も、すべて私が管理する。


 私が、彼女と共に生きる。いや……彼女が、私を生かす。





 ◇◆◇





 屋敷に連れ帰り、私は彼女をソファに座らせた。


 濡れた彼女を世話しなければならない。


 使用人を呼ぶ?


 いや、私がやる。


 他の誰かに――たとえ侍女であっても、今の彼女に触れさせたくない。


 それに、私は知りたいのだ。


「誰かの世話を焼く」という、普通の人間が当たり前にやっている、温かい営みを。


 タオルを持って戻り、彼女の頭を包み込む。


 髪を拭く。ただそれだけの動作が、私にとっては新鮮で、尊い儀式のように感じられた。


「あ、あの、クラウス様。自分でやります……」


「……いや、やらせてくれ」


 断り、彼女の髪を掬い上げる。


(……柔らかい)


 絹糸のような髪が、私の指に絡みつく。

 本来なら触れるだけで灰にしてしまうはずの私の手が、彼女の髪の水分を拭い、乾かしている。


 ただそれだけの行為が、私には奇跡のように思えた。


「ずっと、こうしたかったんだ。……君の髪に触れて、温度を感じて、君の世話を焼きたかった」


 口をついて出た言葉は、自分でも驚くほど甘ったるかった。


 だが、止まらない。


 長年溜め込んでいた想いが、ダムが決壊したように溢れ出してくる。


「私の魔力は強すぎて、他人の魔力の音が『騒音』のように聞こえる。この世界は私にとって、うるさすぎるんだ」


 彼女は不思議そうな顔をしている。


 無理もない。彼女は知らないのだ。私がずっと、彼女だけを見ていたことを。


「だが、君だけは違った。……学園の温室で、君がひとりぼっちで花の世話をしている時だけ、世界が静かになった。君の周りだけが、私にとって唯一の『静寂』だったんだ」


 そう、あの日々。


 私は魔力の騒音から逃れるために彷徨い、温室の陰から彼女を見つけた。


 誰も見ていないところで、枯れかけた花に水をやり、優しく語りかけていた彼女。


 誰かのために、指に針を刺しながら一生懸命刺繍をしていた彼女。


(……ああ、なんて綺麗な魂なのだろうと思った)


 魔力がないから「空っぽ」だと?


 愚か者どもめ。彼女ほど、愛と優しさに満ちた人間はいない。


 その姿を見ている時だけ、私の頭痛は消え、心に凪が訪れた。


「君が誰かのために刺繍をしている姿も、誰も見ていないところで枯れた花を助けようとしていた優しさも、知っていた。……触れたかった。でも、怖かったんだ。私の手が、君まで壊してしまうんじゃないかって」


 告白しながら、胸が締め付けられる。


 あの時、何度駆け寄って抱きしめたいと思ったことか。


 だが、私は「死神」。


 彼女の美しい日常を、私の手で壊すのが怖くて、ただ遠くから見つめることしかできなかった。


「だが、広場で君が泣いているのを見たら、もう我慢できなかった。……壊れてもいい、君の涙を拭いたいと、そう思ってしまった」


 私は彼女の指先を包み込み、自らの頬に当てた。


 温かい。


 私の冷たい肌に、彼女の熱が移ってくる。


「……温かいです、クラウス様」


 彼女が微笑んだ。


 その瞬間、胸の奥がきゅっと音を立てて締め付けられた。


 可愛い。


 どうしようもなく、愛おしい。


 理性のタガが外れそうになるのを、私は必死でこらえて彼女を抱きしめた。


「ありがとう。私を受け入れてくれて」


 壊さないように、優しく。


 けれど内心では、彼女を自分の中に埋め込んでしまいたいほどの独占欲と、大切すぎてどうにかなりそうな愛おしさが渦巻いていた。



 ◇◆◇



 彼女の顔色が戻ってきた。だが、まだ唇は青白い。


 体の内側から温めるものが必要だ。


「……待っていてくれ」


 私は部屋を出て、厨房へと向かった。


 普段は近づきもしない場所だ。だが、今の私は「死神公爵」ではなく、一人の女性をケアする従僕でありたい。


 棚からココアの粉を取り出し、ミルクを温める。


 私の手は剣を振るうのには慣れているが、マドラーで鍋をかき混ぜる行為は酷く頼りなかったかもしれない。


 だが、真剣だった。魔術の構成を練る時よりも慎重に、火加減を調整する。


(……甘味だ。甘いものが必要だ)


 私は蜂蜜の瓶を手に取った。


 今日の彼女は、あまりにも苦い経験をした。


 婚約者に裏切られ、衆人環視の中で罵られ、雪の中に捨てられた苦しみ。


 そのすべてを中和するには、並大抵の甘さでは足りないはずだ。


 とろり、と黄金色の蜜がココアに溶けていく。


 スプーン一杯。いや、足りない。


 もう一杯。……まだだ。


(もっとだ。彼女の心まで溶かすくらい、甘くて温かいものでなくては)


 結局、私は瓶の半分近くを使ってしまったかもしれない。


 甘すぎるだろうか?


 いや、今の彼女には、これくらいの甘さが必要なはずだ。


 部屋に戻ると、彼女はソファで小さくなっていた。


 私は湯気の立つマグカップを差し出した。


「さあ、まずは温かいココアを飲んでくれ。……君のために、蜂蜜をたっぷり入れておいた」


 彼女が両手でマグカップを受け取る。


 その小さな手が、カップの温もりに触れてほっとしたように緩むのを、私は息を飲んで見つめていた。


 彼女が口をつける。


 コクン、と喉が鳴る。


「……ん」


 彼女の瞳が見開かれ、次にふわりと表情が緩んだ。


「……甘くて、おいしい」


 その言葉を聞いた瞬間、私の肩から力が抜けた。


 よかった。


 私の不器用な味付けが、彼女に拒絶されなかった。


 彼女はマグカップに顔を埋めるようにして、はふはふとココアを飲んでいる。


 その姿は小動物のように愛らしく、見ているだけで胸が締め付けられる。


 カップを持つ指先。湯気で少し上気した頬。


(……ああ、なんて愛おしい生き物なんだろう)


 もし許されるなら、一生こうして彼女に温かい飲み物を作り続けたい。


 外の世界の苦味など、私がすべて甘い蜂蜜で塗りつぶしてやりたい。


 空になったマグカップを受け取りながら、私は密かにそう誓った。





 ◇◆◇




「落ち着いたか?」


「はい。ありがとうございます、クラウス様」


 なんて、眩しいのか。彼女自身がまるで、宝石のように、太陽のように、明るく私を照らしてくれる。愛おしい。ただただ……愛おしい。


「なら、次は着替えだ。……そのドレスはもう着られないだろう」


 私がクローゼットからドレスを取り出すと、彼女は驚いたような顔をした。


 無理もない。


 いつか彼女を迎える日のために、私が密かに用意していたものだ。


 ストーカーだと思われても仕方がない。


 それでも、彼女に似合うものを贈りたかった。


「着替えは……すまないが、自分で頼めるか? 私が手伝いたいのは山々なのだが、その……」


 言いながら、自分の耳が熱くなるのがわかった。


「君の肌を見ると、理性が働く自信がない。……大切にしたいんだ」


 これは本心だった。


 今の彼女は弱っている。ここで私が欲望のままに彼女の肌に触れれば、それは彼女を傷つけることと同義だ。


 私は彼女を守りたい。私自身の欲望からさえも。


 私は彼女に背を向け、部屋の隅へと移動した。


 視界は遮断された。


 だが、聴覚までは遮断できない。


 カサリ。


 背後で、衣擦れの音がした。

 濡れた重たいドレスが、床に滑り落ちる音。


 ドクン。


 心臓が、嫌な音を立てた。


(……落ち着け)


 見えない。見てはいけない。


 そう自分に言い聞かせるほど、想像力は残酷なほど鮮明に働き出す。


 今、彼女は白い肌を露わにしているのだろうか。


 寒さに震えてはいないだろうか。


 シュウ、と新しいドレスの生地が擦れる軽やかな音。


 彼女が袖を通している音だ。


 喉が渇く。


 背後から聞こえる微かな音の一つ一つが、私の理性をジリジリと削っていく。


 振り返りたい衝動と、彼女を尊重したい理性がせめぎ合う。


 自分の心臓の音がうるさすぎて、彼女に聞こえてしまうのではないかと危惧するほどだった。


「……着替えました」


 彼女の声に、私は弾かれたように振り返った。


「……ああ」


 言葉を失った。


 藍色のドレスを纏った彼女は、雪の精霊のように美しかった。


 私が選んだ服を、彼女が着ている。


 その事実に、胸が熱くなる。


 私は近づいて彼女の手を取り、跪いて甲に口づけを落とした。


 これくらいの接触なら、許されるだろうか。


 お姫様扱いをされて戸惑う彼女の顔が、赤く染まっていく。


 可愛い。その反応だけで、何時間でも見ていられる。





 ◇◆◇





 そして、食事の時間。


 私は人生最大の幸福と、甘い試練を同時に味わっていた。


「さあ」


 スプーンで温かいスープを掬い、彼女の口元へ運ぶ。


 その前に、私は自然と息を吹きかけていた。


 ふー、ふー、と。


 スープを冷ますという、ごく当たり前の行為。


 だが、「死神」と呼ばれた私がそれをしているという事実が、どこか滑稽で、むず痒く。


 そして、泣けるほど幸せだった。


 私は今、誰かの命を「奪う」のではなく、「育んで」いるのだ。


 彼女が少し恥ずかしそうに、赤い唇を開く。


 スープを含み、ごくりと喉を鳴らす。


「……おいしい」


 彼女がとろりと目を細めて微笑んだ。

 その瞬間、私はスプーンを取り落としそうになった。


(……っ!?)


 なんだ、その顔は。


 熱を持った頬、潤んだ瞳、無防備に開かれた唇。


 彼女自身は無自覚なのだろう。だが、私を見つめるその瞳は、あまりにも甘く、蕩けるように誘惑的だった。


 私のすべてを委ねています、と言わんばかりの信頼しきった表情。


 可愛い。美しい。


 食べているだけでこれほど、私の心をときめかせるとは、どういうことだ?


 心臓が痛い。


 愛しさで胸が張り裂けそうだ。

 もっと食べさせたい。もっとその口元を緩ませたい。


「さあ、もう一口」


 私は自分の動揺を悟られないよう、必死に平静を装って次のスプーンを差し出した。


 雛鳥のように口を開ける彼女を見ていると、胸の奥が熱くなる。ああ、なんて、なんて尊いのだろう。


(守りたい……)


 ただ、そう思った。


 この無防備な姿を、誰にも傷つけさせたくない。


 あまりの愛おしさに、ただ力いっぱい抱きしめてしまいたくなる衝動を、私は必死で理性で抑え込んでいた。





 ◇◆◇





 食事を終え、満腹になった彼女がとろんと目を細める。


 その顔は、日向ぼっこをする猫のように無防備で、見ているだけで私の心の角が削れ、丸くなっていくのがわかった。


「……ふふ。いい子だ」


 空になった皿を見て、私は自然と彼女の頭を撫でていた。


 大きな手のひらで、彼女の小さな頭を包み込む。


 彼女が気持ちよさそうに目を閉じる。

 その信頼しきった姿に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


(ああ、愛おしい)


 彼女が欠伸を噛み殺した。


 緊張の糸が切れたのだろう。今日は彼女にとって厄災のような一日だったのだから。


「眠いか?」


「あ……ごめんなさい。なんだか、急に……」


「無理もない。今日は辛いことばかりだっただろう」


 私は彼女を横抱きに抱き上げた。


 軽い。やはり軽すぎる。


 これからは毎日、栄養たっぷりの食事を用意させよう。甘い菓子もだ。


 そんな幸福な計画を立てながら、私は彼女を天蓋付きの大きなベッドへと運んだ。


 ふかふかの羽毛布団に、彼女を降ろす。


 彼女が布団に沈み込む姿は、まるで童話の中の姫君のようだ。


 名残惜しいが、ここで立ち去るのが紳士というものだ。


「……あの、クラウス様は?」


「私はソファで寝る。君はゆっくり休んでくれ」


 私は彼女の肩まで布団を掛け、背を向けようとした。


 ――その時だった。


 ガシッ。


 袖を引かれる感触。


 振り返ると、リリエルが布団から手を伸ばし、私の袖を握りしめていた。


「リリエル?」


「行かないで……ください」


 潤んだ瞳が、私を見上げている。


 その声は甘く、不安げで、私の理性を根底から揺さぶる破壊力を持っていた。


「……ここに、いてほしいです」


 ドクン、と心臓が跳ねた。


 彼女はわかっているのだろうか。


 男の寝室で、ベッドの上から、そんな瞳で懇願することがどういう意味を持つのか。


(……神よ。これは何の試練だ?)


 襲いたいわけじゃない。


 だが、愛する女性にここまで無防備に求められて、平静でいられる男がどこにいる?


 彼女を抱きしめて、そのすべてを自分のものにしてしまいたいという衝動が、猛獣のように喉元までせり上がってくる。


 だが、今の彼女は傷ついている。


 私がすべきは「搾取」ではなく「守護」だ。


「……君は、残酷なことを言うな。私の理性が持つか、賭けでもしているのか?」


 冗談めかして言ったが、半分以上は本音だった。


 しかし、彼女はさらに上目遣いで瞳を揺らしながら私を見つめてきた。


「ダメ、ですか……?」


 ――陥落。


 私の理性は白旗を上げた。


 勝てるわけがない。この愛くるしい生き物に、私が「No」と言えるはずがないのだ。


「……わかった。君が眠るまで、ここにいよう」


 私は深い溜め息をついて、ベッドの縁に腰を下ろした。


 彼女の手を握る。


 それだけでは足りなかった。


 私は彼女の指の間に自分の指を滑り込ませ、しっかりと絡め合わせた。


 恋人繋ぎ。


 指と指が密着し、体温が直接伝わってくる。


「……クラウス様の手、温かい」


「君が温めてくれたんだ」


「……ずっと、こうしててくれますか?」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


 彼女はずっと孤独だったのだ。私と同じように。


 私はもう片方の手で、布団の上から彼女を優しくトントンとあやした。


 一定のリズム。そして、彼女が安眠できるように、ほんの僅かな、優しい魔力をこめて。


「ああ、誓おう。……おやすみ、私の愛しいリリエル」


 私はリリエルの額に、優しくキスをした。

 心からの愛を込めて。


 しばらくすると、彼女の呼吸が深くなり、やがて安らかな寝息へと変わっていく。


 部屋には、時計の針の音と、彼女の寝息だけが響いている。


 世界で一番静かで、満ち足りた夜。


(……夢じゃないんだな)


 私は空いている手で、そっと彼女の頬に触れた。


 温かい。柔らかい。


 彼女の髪を撫でる。サラサラとした感触。


 眠るなんて惜しくてできなかった。


 私は一晩中、彼女の寝顔を見つめ続けた。


 悪夢が彼女に近づかないように。


 彼女が寒さを感じないように。


 絡ませた指に、ぎゅっと力を込める。


 絶対に解けないように。


 彼女がどこかへ行ってしまわないように。


 視界が滲んだ。


 一雫、熱いものが頬を伝って落ちた。


 誰にも触れられなかった私が。忌み嫌われる「死神」の私が。


 こうして愛しい人の手を握り、その温もりに包まれて朝を待つことができるなんて。


 ありがとう、リリエル。


 私を見つけてくれて。


 私の手の中で、生きていてくれて。


 私は誓った。


 この温もりを脅かすものがあれば、神であろうと滅ぼしてみせる、と。





 ◇◆◇





 翌朝。


 カーテンの隙間から、薄い光が差し込んでくる。


 私は、ただ彼女に触れて、寄り添い、瞳を閉じて彼女をもっと深く、近くに感じていた。


「……おはようございます、クラウス様」


 彼女の優しい声を合図に、私は目をゆっくりと開く。


 目の前には、天使がいた。


 朝日を浴びて輝くリリエルの微笑み。


 ああ、最高だ。


 これ以上の幸福が、この世にあるだろうか。


「……おはよう、リリエル。よく眠れたか?」


「はい。おかげさまで、悪い夢ひとつ見ませんでした」


「そうか。……なら、よかった」


 彼女は美しい。

 彼女の全てが美しく、輝いている。


 一生見ていられる。いや、一生見ていたい。


 私は思わず、彼女の手の甲に、恭しく口づけを落とした。


「……ん……」


 頬を少し赤く染め、とろりとした彼女の瞳が、私を捉える。


 彼女もまた、私から視線を逸らさない。

 暫く見つめ合い、彼女は照れたように、思い出したように言った。


「ク、クラウス様! 体、痛くないですか? ずっと座ったままで……」


「問題ない。……君の寝顔を見ていたら、退屈しなかったからな」


 これは事実だ。退屈どころか、至福の時間だった。


「えっ、み、見てたんですか!?」


 赤面して布団に潜り込む彼女。


 なんて甘い朝だろう。


 これから毎日、この幸せな時間が続くのだと思うと――。



 ドォォォォン!!



 世界が揺れた。


 屋敷の結界が破られ、扉が吹き飛ばされた轟音。


 硝子戸がガタガタと悲鳴を上げ、その音に驚いたリリエルが「な、何!?」と小さく叫び、怯えて体を縮こまらせた。


「……チッ」


 私の口から、乾いた舌打ちが漏れた。

 一瞬前までの、天国のような幸福感は霧散した。


 代わりに、腹の底からドス黒いマグマのような殺意が噴き上がる。


 理解した。昨日の害虫どもだ。


(……許さない)


 私の愛しい花を怯えさせたこと。


 私が一晩かけて守り抜いた安眠の余韻をかき消したこと。


 そして何より、私と彼女の「神聖なる朝のひととき」を台無しにしたこと。


 万死に値する。


 いや、死ごときでは生温い。


「朝から騒々しい害虫どもだ」


 私の声から温度が消える。


 表情筋が固まり、「死神」の仮面が張り付くのがわかった。


「ここにいろ、リリエル。私が掃除してくる」


 もはや慈悲はない。


「私……私も行きます。私のことですよね? セオドア様たちが来たのなら、ちゃんと話をしたいです」


 リリエル……君という人は……。どこまで……。


「……君が傷つくかもしれないぞ」


 そんなことは断じてない。指一本たりとも、誰にも触れさせなどしない。

 だが、危険から遠ざけたい。あんなゴミ共の視界に、君を入れたくない。


「平気です。だって、クラウス様がいてくれるから」


 リリエルは私の腕をギュッと掴み、そう言った。


 ……ああ。そうか。そうだな。私はその為にいる。私は、君を守ると誓った。


 私を……必要としてくれているんだ。


 今はそれが、嬉しくてたまらない。


 思わず、口元も緩んでしまう。


「……そうか。私の背中に隠れていろ。指一本触れさせはしない」


 ……リリエル、君は俺の全てだ。




 ◇◆◇




 破壊された玄関ホールへ降りると、そこには予想通りの愚か者たちがいた。


 近衛騎士を引き連れたセオドアと、その腕に隠れる小娘。


 王子の顔は怒りで真っ赤に染まり、女はわざとらしいほど怯えたふりをしている。


「出てこい! 人攫いの死神公爵め! 私の元婚約者を返してもらおうか!」


 セオドアの大声がホールに響く。


 醜いな。ただただ醜いだけの滑稽な男だ。


 私の腕の中で、リリエルが冷ややかな目で元婚約者を見ている。


 彼女も感じているのだ。この男の品性のなさを。


「……朝から大声を出さないでいただきたい。私の大切な人が、怯えてしまう」


 私は氷のような声で応戦し、彼女の肩を抱き寄せた。


 その体温で彼女を守るように立ちはだかる。


「き、貴様……! リリエルを洗脳したな! その薄汚い闇の魔力で!」


「洗脳? ふん、愚かな」


 私は鼻で笑うと、見せつけるようにリリエルの髪に口づけを落とした。


 チュッ、とあえて音を立てて。


 貴様らが捨てたこの最上級の宝石は、今は私のものだ。指一本触れさせない。


「彼女は自らの意志で私を選んだ。……君のような、見る目のない男ではなくな」


「なっ……!?」


「それに、返せとはどういう了見だ? 昨夜、雪の中で彼女をゴミのように捨てたのは君だろう。拾ったのは私だ。所有権は私にある」


 私の言葉が目の前のゴミにナイフのように突き刺さると、今まで黙っていた小娘が、気色の悪い声色で演技を始めた。


「ひどい……っ! リリエル様、騙されないで! その人は悪魔よ! 精霊さんたちが言ってるの、『その人の側にいたら魂を食べられちゃう』って!」


 小娘が芝居がかった仕草で胸を押さえる。


 魂を食う?


 三文芝居にも程がある。


 精霊の声など聞こえていないくせに、よくもぬけぬけと。貴様はそんな器ではない。ただの強欲で狡猾なだけの詐欺師だ。


「リリエル様は魔力がないから、操られやすいのね……かわいそう。私が助けてあげる。こっちへ来て、リリエル様!」


 女が手を差し伸べてくる。


 その瞳の奥にあるのは、優越感と、リリエルをまた足元に跪かせたいという暗い欲望だ。この女の安さが透けて見えるな。


 行くな、リリエル。


 そんな汚い手を取る必要はない。私が消し飛ばしてやる。


 そう思って彼女を抱きしめ直そうとした、その時だった。


 スッ。


 リリエルが、私の腕の中から一歩踏み出したのだ。


「リリエル?」


 私は焦った。


 なぜ離れる? まさか、彼らの元へ戻るつもりなのか?


 不安に駆られて彼女を見下ろすと、彼女は私を見て、静かに頷いた。


 その瞳は言っていた。「大丈夫」と。


 彼女はまっすぐにミナとセオドアを見据えた。


「……お断りします」


「え?」


「魂を食べられる? 洗脳されている? ……いいえ、違います。私はここで、生まれて初めて『人間』として扱われました」


 彼女が自分の胸に手を当てる。


 その言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。

 人間として、扱われた。


「死神」の私が、彼女を「人間」として扱えたと言うのか?


「セオドア様。貴方は私の『魔力のなさ』を欠陥だと嘲笑いましたね。ミナ様、貴女は私のことを『地味でつまらない女』だと陰で笑っていましたね」


「な、何を……」


「でも、クラウス様は違いました。私の空っぽな体を『唯一の安らぎ』だと言ってくれた。地味な私を『綺麗だ』と言ってくれた」


 彼女の声が、朗々と響く。

 それは私を庇うための言葉。


 世界中から忌み嫌われる私を、たった一人、肯定してくれる女神の福音。


「……ただ一度の温もりが、貴方たちと過ごした何年もの時間より、ずっと価値があるのです」


(……っ!)


 目頭が熱くなった。


 昨夜のスープの温かさ。繋いだ手の温もり。


 私が不器用に差し出したそれらを、彼女は「価値がある」と言ってくれた。


 それだけで十分だった。


 私は救われた。私の孤独な半生は、この一言のためにあったのだ。


 だが。


 その神聖な告白は、最も醜悪な罵声によって掻き消された。


「だ、黙れ黙れ! この売女め! どうせ体を使ったんだろう! 騎士たちよ、やれ! その女を捕らえて、広場で火炙りにしろ!」


 セオドアが狂ったように叫ぶ。


 近衛騎士たちが剣を抜き、殺気立って迫ってくる。


 ――プツン。


 私の頭の中で、理性の弦が完全に断ち切れる音がした。


 売女?

 火炙り?


 ……私の、リリエルを?


 この私が、ようやく手に入れた奇跡を?


 燃やすだと?


 ヒュオオオオオッ……!!


 屋敷の中だというのに、猛吹雪のような冷気が吹き荒れた。


 シャンデリアが揺れ、窓ガラスに一瞬で霜が走る。


 もう、我慢などしない。


 こんな汚らわしい世界ごと、凍らせてやる。


「……私の愛しい人に、『火炙り』だと?」


 私の魔力に呼応して、騎士たちの剣がパキン、パキンと音を立てて凍りつき、砕け散った。


「――死にたい者から、前に出ろ」


 私は一歩踏み出した。


 床の大理石が、メリメリと悲鳴を上げてひび割れていく。


「リリエルは私の心臓だ。彼女を傷つけようとする者は、王族だろうが精霊だろうが、塵一つ残さず消し去る。……試してみるか?」


 セオドアは腰を抜かし、失禁して震えている。ミナも顔面蒼白だ。


「う、うわぁぁぁぁ!! 化け物だぁぁぁ!!」


 セオドアが悲鳴を上げて、這うように逃げ出した。


 逃げる?


 私の聖域を汚しておいて、無事に帰れるとでも?


「……逃がすか」


 私は冷ややかに呟き、指先をくい、と動かした。


 ガゴォン!


 彼らの足元の床が陥没し、彼らは無様に転がり落ちた。


「あべしっ!?」


「きゃあっ!?」


「ま、待て! 私は次期国王だぞ! こんな無礼が許されると――」


 穴の底から聞こえる負け惜しみ。


 次期国王?


 ああ、そういえばそんな肩書きもあったか。ならば、外してやろう。


「次期国王? ……ああ、明日から平民になる男のことか」


 私は指を鳴らした。


 パリンッ――!!


 乾いた音が響き、王子の胸元で輝いていた『王位継承者の証』である魔石のブローチが、粉々に砕け散った。


 魔力供給が断たれ、彼の顔から血の気が引く。


「……あ、あ、あああぁ……!」


 それは、彼がただの「魔力だけの男」に成り下がった合図だ。


 すると、今まで彼にしがみついていたミナが、弾かれたように手を離して数歩後ずさった。


「……うそ。それがないなら、あなたただの『人』じゃない。精霊様が言ってるわ……『この男はもうおしまいよ』って!」


 泥沼のなすりつけ合い。


 醜い。見ているだけで目が腐りそうだ。


「連れて行け」


 私は控えていた影の者たちに命じた。


 王家には、元婚約者を雪の中に捨て、公爵家に仇なした罪人を送り返すと伝えておけばいい。二度と、日は拝めまい。


 ゴミ掃除は終わった。


 静寂が戻る。


 私はふぅ、と息を吐き、魔力を鎮めた。


 ……やってしまった。


 激情のままに、「死神」の力を見せつけてしまった。


 リリエルが見ていた。


 嫌われただろうか。


「やはり化け物だ」と、怯えられただろうか。


「……怖がらせてしまったか?」


 恐る恐る振り返る。


「かっこよかったです……! クラウス様!」


 ……へ?


 彼女が、私の胸に飛び込んできた。


 恐怖など微塵もない、キラキラとした瞳で私を見上げている。


「私を守ってくれて、怒ってくれて……嬉しかった。私、世界一の幸せ者です」


 その言葉を聞いた瞬間、私の全身から力が抜け、代わりに強烈な愛しさが込み上げてきた。


 ああ、敵わない。


 この女性には、絶対に敵わないな。


 私は震える腕で、彼女を抱き締め返した。


「……君という人は。あんな恐ろしい力を見ても、逃げないのか」


 思わず、問いかけていた。


 私の力は災害だ。普通なら、泣いて逃げ出すのが正常な反応だ。


 けれど、彼女はふわりと微笑んだ。


「逃げませんよ。だって、この手は私を温めてくれる手ですもの」


 彼女は私の手を取り、自分の頬に当てた。


 ――ああ。


 私の指が、彼女の柔らかな頬に沈む。


 さっきまで破壊を振りまいていたこの手を、彼女は愛おしそうに、すり寄せるように受け入れている。


「温かい。やっぱり、この温度が一番好き」


 彼女がそう言った瞬間、私の中で「死神」としての呪縛が完全に解け落ちた気がした。


 この手は、壊すためだけのものじゃない。


 彼女を温めるためのものだ。彼女を守るための剣であり、盾だ。


 胸がいっぱいで、言葉にならない。

 ただ、溢れ出る想いを止めることなど、もう不可能だった。


「……愛している、リリエル。もう誰にも渡さない」


 私の告白に、彼女の瞳が潤み、頬が花のように赤く染まる。


「はい。私も……大好きです」


 その言葉が、私の理性の最後の欠片を甘く溶かした。


 瓦礫の散らばる玄関ホールで、私たちは口づけを交わした。


 それは昨日のような一方的なものではなく、互いの想いを確かめ合う、甘く、深く、溶けるようなキスの味。


 もう、魔力の騒音なんて聞こえない。

 私の世界には今、彼女の鼓動の音だけが、愛おしく、力強く響き渡っていた。


 触れるもの全てを殺す死神公爵?


 ああ、勝手にそう呼べばいい。


 今の私は、この腕の中にある小さな温もりを守るためだけの、ただ一人の男なのだから。

ここまでお読みいただきありがとうございました!


「面白かった!」「また読みたい!」と思っていただけたら、

下にある【★★★★★】評価やブックマークで応援していただけると、創作意欲が爆発します!

★評価は『星1つ』からでも、とても嬉しいです!泣いて喜びます!


──────────────────


【スカッとしたい方へ】

『その聖水、ただの麻薬ですよね?』

https://ncode.syosetu.com/n7575lo/


【笑ってキュンとしたい方へ】

『冷徹公爵様の心の声 (テロップ)がピンク色で大暴走している件について』

https://ncode.syosetu.com/n8515lo/


【とろとろに甘やかされたい方へ】

『触れるもの全てを殺す『死神公爵』様、なぜか私だけ触れても平気なようです』

https://ncode.syosetu.com/n7783lo/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ