【六】
「おみよ! いるのか! おしず! おみよには手を出さないでくれ!」
煮売屋に飛び込んだ茂次はそう叫びながら、二階への階段を駆け上がった。はたしておみよはそこにいた。おしずも一緒だ。
「茂次さん! ああ、井筒屋の旦那に聞いたのね」
「聞いた。お前、おしずなんだろう?」
おしずは隠すことなくはっきり頷いた。
「なんで黙ってた? なにを企んでる? 俺のことはどうしてくれてもいい。だけど、おみよには手を出さないでくれ」
詰め寄る茂次を無視しておしずは階下に下りていってしまった。
「おしず!」
後を追おうとした茂次の目が、おみよの前に置かれた皿の上に止まった。
「これは……」
「そう。蕨の煮物。はい、茂次さんの分も持ってきた」
階下から戻ってきたおしずが皿を茂次の前に差し出した。
「おしず、これは……」
「食べてみて」
茂次はおしずから箸を受け取って、蕨を口に運んだ。
「やっぱり……このアク抜きがいい加減でエグ味の残った味。おふくろの煮物だ」
「そう。このエグ味。最初はウエッてなるんだけど、慣れると癖になるのね」
「なんでおしずがこの味を知ってるんだ?」
「憶えてないの? 村八分に遭っていつもお腹を空かせてた私に、茂次さんはよく食べ物を持ってきてくれた。特にこの蕨の煮物はよく食べたの憶えている」
「そうだったな……」
「それに茂次さんだけは私に手を出すことなかった」
「本当に?」
おしずがゆっくり頷いた。
「俺は本当に一度も手を出してないのか?」
「一度もね」
「でも俺は皆を止めることができなかった……いや、止めようともしなかった」
「うん。だから茂次さんも同罪。許してあげるなんて言うつもりない。いくら悔やんでも取り返しはつかない」
「ああ、そのとおりだ」
茂次は項垂れるしかなかった。おしずは暫く茂次を黙って見ていた。
「でも」
おしずの声に茂次が顔を上げてみると、こちらを見るおしずの顔は穏やかだった。
「何事もなかったみたいに平気で生きてる人より、悔やんでくれる人のほうがずっといい。取り返せなかったとしても、上書きすることはできる。許すことはできなくても、新しい関係を作ることはできる」
「おしず……」
「茂次さんがあのことを悔やんでいると知ったから、何も言わずに新しい関係を作ろうって思った」
「そうだったのか……俺はどうすればいい?」
「おみよちゃんのことを考えて。この娘、苛められるのは自分が悪いからだって思い込んでた。やっとそうじゃないって、おみよちゃんは何も悪くないって、解ってくれるようになった。おみよちゃんが苛められるのは茂次さんの過去の報いだって言うんなら……私はそうは思わないけど……茂次さんが違う今を上書きしてあげなきゃいけないんだと思う」
茂次はまた項垂れてしまった。しかし今度はさっきと違って、心の中で何かが湧き上がってくるのを感じていた。顔を上げておしずを見た。おしずが力強く頷いた。おみよを見た。これまで見たことないような強い眼差しで茂次を見つめ返してきた。
「長屋のモンに話してみる。どうなるかは分からん。下手したら長屋にいられなくなるかもしれんな……」
茂次の決意におしずが微笑んで応えた。
「そのときはウチに来ればいいよ」
〈おわり〉