【四】
「おみよのやつ、今日も遅いな……」
このところ、おみよは毎日昼過ぎに出かけていき、すっかり暗くなってから帰ってくる。長屋で仕事をしている茂次には都合が良かったので放っておいたが、こう続くと流石に心配になってくる。ただ、おみよの帰りが遅くなるようになってから、服が汚れていたり、かすり傷があったりといったような、明らかに苛められてきたと判るようなことがなくなった。
「おみよ、このところいつも帰りが遅いな。ああ、怒ってるんじゃない。心配してるんだ。いやな……それにもし……なんかいい隠れ場所を見つけたってんなら、それでもいいし……」
帰ってきたおみよにこう訊いてみるが、おみよは何も答えない。
「こんなとき女親がいれば違うんだろうがな」
「誰かいい人はいないの?」
「いたらこんな処には来てねえよ」
「こんな処とは随分だこと」
茂次がおかみ相手に吐き出す愚痴の中身は苛めのことよりも、娘が何を考えているのか判らない、という話のほうが多くなった。
「気ぃ悪くすんな。こんな俺の愚痴に付き合ってくれるおかみに申し訳ねえって気持からの言葉だ」
「はいはい。こっちも商売ですからね。茂次さんがいい人みつけるまでは付き合ってあげますよ」
「そんな気はねえよ。もう女は懲り懲りだ」
この頃は、以前のように悪酔いをしなくなった。気持ち良いまま、ちろり二本を空け、おかみの手を煩わせることなく長屋に帰る。流石にその時間にはおみよも帰ってきていて、奥の壁際に丸まって眠っている。茂次はその隣に寝転び、おみよの寝顔を眺めながら考える。
おみよが心を開いてくれないことに変わりはないが、服を破られたり怪我をしたりして帰ってくることもなく、おみよの表情も柔らかくなっているように見える。だから今は無理に詮索することもあるまい。
そんな日々が一月ほど続いた後のことだった。仕上げた簪を問屋に納めた帰り。いつものように煮売屋の縄暖簾をくぐろうとしたら、奥からおかみの声が聞こえてきた。
「もう関わりはないのですから、ここへは来ないでください!」
「志津! そんな冷たいことを……」
「ごめんなさい。言い過ぎました。でも客と遊女の間は郭の内だけのこと。年季の明けた私はもう関わりのない身。分かってください」
少しして、店から男がとぼとぼと出てきた。茂次のことなど目に入らないように通り過ぎ、去っていきそうになった。
「もし」
茂次は咄嗟に声を掛けていた。男がぼんやりした顔で振り返った。
「ここのおかみの知り合いかい?」
「知り合い? ああ、そうだが。なにか?」
「いえね、志津と呼んでたようだったんで、俺の知り合いじゃねえかと思ったのさ」
「本人に確かめればいいじゃないか」
「違ってたら気まずいじゃねえか。変な誤解されてもいやだしな」
「そうかい。で、なにを知りたいんだい?」
「立ち話もなんだから」
茂次は少し離れた茶屋に男を連れて入った。