1話 旅立ちから20日目
見渡す限り広がる草原に、鈍い打撃音が響き渡った。
直後、低い呻き声とともに一陣の風が舞い上がる。
鋭い爪を備えた巨大な手が周囲を薙ぎ払うも、その一撃は虚しく空を切った。三つの影が一斉に身をかわし、三方へ散って武器を構える。
熊に似た魔物に、とどめを刺す時が来たのだ。
「ドグマ師は正面から軽く攻撃してヘイトを稼いで!
ジョンジョンは9時方向へ回り込んで待機。
背後から希が不可視糸で動きを止めたら、一斉攻撃!
ナタリンは保険で遠距離攻撃の準備を!」
「おう」「うん!」「わかったわ、ダーリン」
三者三様の返事が飛ぶが、その動きには統率が取れていた。
熊はドグマに引き寄せられるように一歩、また一歩と前進。
その隙にジョンジョンは回り込み、希が気配を殺して不可視糸を吐き出す。
絡め取られた巨体が動きを止めた瞬間、ジョンジョンが如意棒めいた鉄棒で殴打。よろめいたところへ、ドグマが斧で首を刎ねた。
「みんなお疲れ。やっぱりこの辺の魔物なら、俺のスキルを使わなくても余裕だね」
ラングが労いの声をかける。
「確かにな。ポルトニア平原は慣れた地だが、未到達のエリアに足を踏み入れたせいか、少し骨のある魔物も出てきたようだ」
ドグマは「おっこらしょ」と腰を下ろし、休憩に入る。
「皆さんは慣れっこでしょうけど、僕はまだ怖いです。……今だって武器を持つ手が震えてますから」
怖がりなジョンジョンも、ドグマに倣って腰を下ろした。
「ダーリン、ご褒美のチュー♡」
最近欲望を隠さなくなったナタリンのおねだりが飛ぶ。
「だめ。ナタリンは今回は何もしてないでしょ。それに、そういうのはちゃんとお付き合いしてからね!」
ラングは冷たく突き放す。
ナターシャの想いには気づいていたが、もう一歩踏み出せずにいた。
(ナタリンのことは好きだけど……旅の途中で関係を変えたら歯止めが利かなくなりそうだし。それに……)
思い浮かんだのは、港町ポルテアの人気店『エ・マルシーア』で副料理長として奮闘する女性の姿。
学業と修業を両立させ、必死に努力を重ねるエマルシアのひたむきな姿は、ラングにとって「自分も頑張らなきゃ」と思わせてくれる大切な存在だった。
そして、そんな彼女にも強く魅かれていたのだ。
「じゃあ、抱っこ♡」
チューが駄目なら抱っことは……赤ちゃんプレイにまで手を出す気か。
ラングは呆れ顔でナターシャを見つめる。
今や背丈が並ぶまで成長したラングは、まだまだ伸び盛りの青年。
下半身の制御に不安を覚える中、容赦のない誘惑に「この先が思いやられる」と頭を抱えた。
「「相変わらずお熱いですな(ね)」」
食傷気味な他の二人の仲間からツッコミが入るまでが形式美だ。
☆ ☆
ラング一行が旅立って二十日目。
15歳で成人を迎えたラングは、カイエイン商会から暖簾分けする形で独立し、『プラント商会』を立ち上げていた。
カイエイン商会は元々、海運・貿易業を主とする組織だった。
だが、ラングの知識を活かした「衣」「食」に関わる新事業が急速に発展し、その軸足を大きく移すこととなった。
結果、商会内外に軋轢が生じ、事業を分離するに至ったのである。
こうして「衣」と「食」を担うのがプラント商会となった。
立ち上げからの一年は組織作りに心血を注ぎ、まだ盤石とは言えないものの、各部署が責任者の裁量で動ける程度には整いつつあった。
なお、魔道具製造課はカイエイン商会に残留。
ドグマはラングと行動を共にしたが、自分が抜けても製造できるよう万全の準備を整えていた。
型に素材を流し込むだけで部品が作れる仕組みを構築し、誰でも扱える体制を築いたのである。
過去数年で開発された魔道具は、今後もカイエイン商会が製造・販売していく。
後を託されたマニフェスは寂しそうであったが、責任者に任じられたことで張り切っている。
変人ゴーレム研究家ドクターコポも残留を決め、マニフェスの良き相談役となった。
彼が求めていた神石は六年前に無事入手済み。
長年に渡るゴーレム研究は実を結び、今では背丈ほどもある新たな彼女たちとハーレム生活を満喫している。
現在彼には戦闘や労働補助用のゴーレム開発を依頼しており、それぞれプロトタイプの製造は完了している。今後はそれらの実戦データをもとに改良を進める段階なのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今回旅に出た理由は、大きく三つある。
一つ目は、例の神石を手に入れた件と深く関わっている。
とある島で出会った遺跡守護者から、神石製造の秘法を授かる代わりに「他の遺跡守護者の様子を確認してほしい」と頼まれたのだ。
今回目指すのは、アインラッド王国の南端に聳える山脈にあるという――
「失われた天空都市マイチューラ」と呼ばれる遺跡である。
二つ目は、ドグマの故郷を訪ねること。
奴隷解放後も商会に残り、力を尽くしてくれた親子ほど離れた友人。その気がかりを少しでも晴らしてあげたい。
かつて彼が暮らしていた町に、元の妻がまだ住んでいるのなら、ぜひ会わせてやりたい。
三つめは異世界をもっと知りたいという欲求だ。
単純に冒険者の真似事がしたかったというのもある。
まだ見ぬ広い世界を巡り、この世界に俺を転生させ、地獄に突き落とした女神の尻尾を掴むために。
そして、いまだ行方不明のまま生き別れた妹を探し出すために。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
休憩を終え再び歩き出した一行の前方で、何やら騒ぐ人影が見えた。
二頭立ての馬車二台のうち、一台が傾いて立ち往生している。原因はその辺りにありそうだ。
互いの顔が分かる距離まで近づいた俺は、その一団の責任者らしき人物に声をかけた。
「お困りのようですが、どうかなさいましたか?」
「旅のお方、実は馬車の車輪が轍にはまってしまいまして……。その際に車軸が折れ、動けなくなってしまったのです」
言われてみれば確かに、車輪がはまり込み、部品も壊れている。責任者らしき男は途方に暮れた顔をしていた。
「それは大変ですね。よろしければ、手伝いましょうか?」
俺の申し出に男は一瞬喜色を見せたが、すぐ困惑を浮かべる。
「ありがたいお話ですが……ご覧の通り荷は満載。このままではびくともしません。やはり一度、荷を降ろさねば……」
そう言ってため息をつく。
(普通はそう思うよな)
俺は内心うなずきつつも、自信ありげに告げた。
「確かに重そうですね。ですが――騙されたと思って、俺たちに任せてみてください」
「……ええ、それならぜひ」
男は了承したものの、その瞳に期待の色はない。半信半疑というより、諦めの境地に近い表情だった。
俺はスキル【言霊】を発動し、傍らにいたジョンジョンへ声をかける。
「というわけで、ジョンジョン。サクッと持ち上げちゃって!」
俺の言葉と同時に、ジョナサンの体が淡い光に包まれた。
【言霊】が作用するとき、対象者はこうして発光するのが特徴だ。
「うん、やってみるよ!――よいしょっ!」
するとどうだろう。荷馬車はまるで玩具のように軽々と持ち上がり、轍から抜け出した。
ここ数年でさらに大きく育ったジョンジョン。その力にスキルの補正効果が加われば当然の結果だった。
「え、ええぇ~~っ!」
間近で見ていた男は、目を剥いて驚いた。信じられないものを見るような眼差しで一部始終を凝視している。
「荷馬車が……いとも簡単に……。私は夢でも見ているのか?」
素直な感想を漏らすその男。だが、これはまだほんの序の口。
このあと彼は、次々と常識を覆されていくのだ。
「荷馬車は持ち上がりましたね。ただ、部品までは……あ、そうだ。ドグマ師がいるから直せるんじゃ?」
俺がそう言ってドグマを見やると、彼は親指を立ててにやりと笑った。
「ついでと言ってはなんですが、車軸も直してしまいましょうか?」
「え、ええ~~っ! こんな何もない場所で、直せるんですか?」
その驚きも束の間。ドグマが車輪周りを器用にいじり始めると――本当に直ってしまった。
ただし、彼によれば長時間の傾きで荷馬車全体に歪みが生じており、このまま旅を続けるのは難しいということだった。




