10話 急襲
希の分身体消滅の事実を受け、慎重に進み出した二組の集団。
とはいえ、荷馬車――正確には荷牛車――を伴う移動である以上、もとより速度は出せない。
加えて、道の整備も十分とは言い難く、警戒をしながら行軍したとてなんら支障はなかった。
警戒の任に当たるクラウにとっては負担が増えた。
斥候なのだから当たり前などと言ってはさすがに気の毒だろう。
ここまでさほど脅威となる魔物がいなかった中進んできたのに、ここに来て未知の脅威に備えなければならなくなったのだから。
感覚を研ぎ澄まし、物音や気配を探り続けるのは体力よりも神経を削る作業である。
そこで、彼女の疲れを回復させるためにここ最近は脳のエネルギーを補充する措置が取られた。
「はぁ~~このプルプルほろ苦スイーツ! 最高においしいんだけど~~っ! 脳みそに染み渡るっていうか~♡ 脳力がみなぎってくるっていうか~♡ 私、斥候になってよかったって初めて思ったわ!」
「くそ~うらやましいぜ! アタイも斥候になってりゃよかった」
「同感だ。任務に必要だと承知はしているが……その艶やかな質感、指で触れれば形を変える弾力……欲しい、プリンが欲しい!」
「もう! アイファ、揉まないで! これはプリンじゃないってば!」
「はいはい、小芝居は終わり! 脳の栄養補給にはスイーツが一番って話、この前しましたよね? クラウさんにはここ最近とても頑張ってもらってるんですからこの調子でお願いしますよ!」
「は~い♡ 私頑張っちゃうよ~♪」
クラウに力を発揮してもらうための措置とはつまり糖分の補給の事だ。
普通に生活する分には日々の食事で十分であろう。
だが頭脳労働をする場合には意識して補給する必要がある。
「体が甘い物を求めるというのはつまり、糖が不足しているということなんですよ~!」
「そうそう。 私の体が甘味を欲してるのよ! 任務頑張ってるからね♪」
「てか、お前、元から甘味好きじゃねーか。何が“任務頑張ってるから”だ!」
「こらこら、喧嘩しない。皆にも時々プリンをあげてるでしょ!」
「うむ、それはとても感謝している。だが、もう一声、もう一プリンお願いできないだろうか」
「だ~か~ら~! 卵が足りないんですってば~。 チキ達は毎日ちゃんと卵を産んでくれてますけど、食事にも使うしスイーツ分も必要だし、無理なものは無理!」
日々加熱する女子からの要望に、ラングもさすがにお疲れ気味である。
共に過ごす時間も増え、仲間意識も芽生えた。
だからこその当初の約束を超える待遇を与えているのだ。
真面目なところ、この先増々警戒が必要となる。
日々近づく未知なる脅威の存在への恐れは強まるばかりだからだ。
そしてついにその時が来た。
「みんな、止まって! 何かおかしい!」
クラウの叫びが響く。地平線の遥か先をじっと見つめ、何かを察知したようだ。
「まだ皆には見えないかもしれないけど、遠くで砂煙が上がってるの。それに、音……地を踏み鳴らす無数の足音。まずい、こっちに向かってる! とんでもない数よ!」
信じがたい報告に、ラングは目を凝らすがすぐには見えない。
そこで道具袋から取り出したのは、小さな円形部位を両目に当て、対象を拡大するための『双眼鏡』だ。
「うわ――本当だ! 何かの群れがこちらに向かって来る!」とラングが仰天して叫ぶ。
「何だって? 確かか? そのいびつな筒を貸してくれないか……まずい、魔物のスタンピードだ! 巻き込まれたら命の保証はないぞ!」
アイファの声は、いつもの余裕を失っていた。
「え?ほんとですか? それは不味いことになりましたね。今すぐ逃げなければ……」
タナスは不安げに呟き、積み荷を見つめて考え込む。
「ねぇラング君、スタンピードって何?大変な事なの?」
「そうだジョナサン。スタンピードとは魔物が群れをなして暴走する事を言う。これに巻き込まれるとただではすまない。街一つが無くなるなんて話も聞くぞ」
ドグマの説明にジョナサンが真剣に聞き入る。
さすが長命種のドワーフ、物知りなのだ。
「わたくしも聞いた事がありますわ。大災害とも言われるものとまさか鉢合わせるかもしれないだなんて、なんて事でしょう。こういう時は身をかわすのが最善なのでしょうが、今の私達の状況では……」
ナターシャは憂いのある表情を浮かべ、ふとタナスに視線を落とす。
逃亡をためらう理由がそこにあったからだ。
「ええ、荷物は諦めます。損害は……大きいですが、命あってのものですからね。身一つであれば逃げ切れますし、また一から出直せばいいのですから」
タナスは覚悟を決めたようだ。
ここで荷物を諦めきれず、のろのろと避難すれば全滅の憂き目にもあいかねない。
商人としては痛恨の極みだが、自分のみならず周囲を危険に晒すわけにはいかないのだ。
だがそんな張り詰めた空気を打ち破る声が響く。
「皆さんまずは落ち着きましょう。ちと、作戦会議といきますか♪」
絶体絶命の危機とも言えるこの状況に似合わぬ緩い口調。
ラングの真意は如何に。彼らの命運は、一体どうなるのか──。




