7話 希に宿る可能性
ラングに命を救われ、神獣へと存在進化を遂げた子蜘蛛は、目の前で無残に奪われた母と多くの兄弟たちの命を背負い、唯一残された希望として生きることとなった。
その想いを込め、ラングは彼女に『希』と名を与え、家族として迎え入れた。
スキル【悪食】を持つ希は、なんと魔石をボリボリと食べることで急激な成長を遂げていく。
主であるラングの役に立ちたい――もっと強くなって主を守りたい。
その純粋で切実な願いが、やがて従者としての究極のスキル、【常に共に】の発現へと繋がっていった。
※「94話 特訓の日々に灯った光明」ご参照下さい。
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ラングと共に修行に明け暮れる日々。
その力はすでに常識の範疇を超え、もはや“化け物じみた”と形容するほかないほどだった。
中でも――新たに得た二つのスキルが、希をさらに別次元の存在へと押し上げることになる。
【眷属生成】
無精卵によって自らに従う子を生み出す権能
【身体分離】
自らの一部を分離し分体を生み出す権能
この二つの能力は、一見すると似ているようでいて、その本質はまったく異なる。
『眷属生成』とは、千にも及ぶ無精卵を産み落とし、生命としての眷属を生み出す力である。
その姿は、希が進化する前の種――黒き八脚蜘蛛の面影を残している。
孵化直後、彼らはごく短い間だけ親である希の庇護を受ける。
だがすぐに外の世界へと放たれ、熾烈な生存競争の中へと投げ込まれるのだ。
そこを生き抜いた強者のみが、再び母のもとへ帰還し、真の眷属として仕えることを許される。
その存在は、他の魔物とは明確に異なる。
神獣によって生まれた彼らは“聖”の性質を帯び、魔や悪を攻撃することはあっても、人に仇なすことは決してない。
これに対し、『身体分離』は自らの存在値を割合として切り離し、もう一人の“希”を作り出す能力だ。
たとえば――全体の五%ずつを分離して二体の分体を生成した場合、
それらは希本人と感覚を共有し、思考のままに行動する。
ただし、能力値もまた五%となるため、戦闘能力は限定的。
主に偵察や情報収集など、補助的な用途に向く。
逆に戦闘を目的とする場合は、切り離す割合を増やせばよい。
だが、それには代償がある。
もし分離体が破壊された場合――その分だけ本体も弱体化し、
一定期間、力の回復を待たねばならないのだ。
こうして希は、数多の眷属と分体を自在に操る“群れの主”として覚醒した。
その存在はもはや、一個の生物ではなく――
一つの生態系そのものと呼ぶべき領域に至っていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
希の念話による呼び出しに応じ、どこからともなく二体の巨大蜘蛛が姿を現した。
全身を黒い外骨格に覆われ、棘のついた太い八本の脚をうねらせるその姿は、見るからに凶暴。
日の光を浴びて輝く希の純白と、闇そのもののような黒が鮮烈な対比を成していた。
突如現れた異形に、タナス一行は驚愕のあまり身をすくめる。
ラングの説明を受けてようやく緊張を解いたものの、完全に恐怖が消えたわけではない。
誰もが無意識のうちに、わずかに腰を引いていた。
希が神獣であると明かされた今でさえ――理屈では理解できても、本能が“畏れ”を覚えてしまうのだ。
「えっと……希君? それとも希ちゃん?
ラングさんの従者で、忠誠心が強くて頼りになる子だってのは分かったけど……
正直、まだ心が追いついてない感じなのよね~。無意識に警戒しちゃうって言うか。」
「ですよね。見た目ちょっと怖いですから……。
あ、ちなみに希は女の子ですよ♪」
「クラウよ、ラング殿の言葉は真実であろう。
我らに嘘をついたとて、何の得もないしな。
今こうして我らの目前で大人しくしている、それが何よりの証拠だ。」
「さすがアイファさん。希はとってもかわいい、いい子なんです!」
「それにしても、こんなデケー蜘蛛達を従えるとはさすが『甘味の王』ラングさんだな! アタイも甘味の王を信じるぜ!」
「甘味の王って……なんか響きが微妙ですけど。でも、ありがとうブレイネさん!」
「ブレイネ、ラングさんは“甘味の王”より“トイレの神様”の方がよくない?」
「え、トイレ? トイレの神様ってどいういうこと? てかロエルさんが気にするところはそこなの?」
ラングのツッコミに、どっと笑いが広がった。
ロエルの天然っぷりが炸裂したおかげで、場の空気が一気に和らぐ。
「とりま、希ちゃんの眷属たちは、今は一定の距離を保ってついてきてるって感じ?
分離体のほうは、情報収集で先行してるのよね?」
「はい、そうです!」
「いやはや、希殿から漂うオーラは凄まじいものがあるな。敵に回せば恐ろしくもあるが――味方であれば、これほど心強い存在もないな。」
「ほんとそれ!」
納得の結論に至ると、ようやく一行の警戒心は霧のように晴れていった。
その後、改めて希を含めた全員で連携を確認しつつ、先へ進むこととなった。
もっとも、いきなりメンバーをシャッフルして戦闘を行うのは無理がある。
互いの戦い方を知らないままでは、連携どころの話ではないからだ。
そこでラングたち一行と「暁に眠るダイヤ」は、まず交互に戦闘を行い、お互いの実力を確かめ合うことにした。
「暁に眠るダイヤ」の戦いぶりは、個性的なメンバーが揃っている割に非常に堅実だった。
見た目はイケイケなブレイネですら、無謀に突っ込むような真似はせず、リーダーであるアイファの指示を忠実に守って戦っている。
それは長年、冒険者として幾多の死線を潜り抜けてきた証であり、ラングたちには信頼を寄せるに十分な姿に映った。
お互いの力量が分かれば、次はメンバーを入れ替えながら様々なパターンを試す段階だ。
個性を考慮して組み合わせを練り、実戦を重ねるうちに、数日もすれば動きもかなり噛み合うようになっていった。
ただ、希だけはすぐに戦闘から外さざるを得なかった。
何故なら、連携を確かめる間もなく単独で魔物を瞬殺してしまうため、とても訓練にならなかったからだ。
「主、まだ希、戦っちゃダメ? あんな雑魚、一瞬でひき肉にできるのに……」
「まだ待って! それだと連携の確認にならないし、倒した魔物は素材としても価値があるから、バラバラにしちゃうのはちょっと……」
「ヴ~。手加減、難しい。でも希、頑張るから戦わせて!」
「アハハ……できれば、頑張りすぎないでほしいんだけどね」
ラングから「手加減を覚えろ」と何度も言われても、なかなか上手くいかない希。
強くなりすぎたがゆえの悩みに、さすがのラングも途方に暮れるしかなかった。
しばらくは別メニューで、地道に手加減の練習を積んでもらうほかない。
そんな希の様子を見ていた女性陣の印象も、次第に変わっていった。
木や岩を相手にひたむきに特訓する姿や、ラングに注意されてしょんぼりする様子がいじらしく見えたのだろう。
「あらあら、希ちゃん落ち込んでるのね。ラングさんの腕にしがみついてる姿、なんか哀愁あるけど……かわいすぎない?」
戦闘を終え、馬車へ戻ってきたクラウが希ブレスレットを見て思わず声を漏らす。
小型化した希はまさに小動物。そんな小さな姿でシュンとする様子に、クラウは完全に心を撃ち抜かれたようだ。
「うむ。こうして見ると、一途に主の腕にしがみつく姿が愛らしいな」
そう言いながら手をワキワキさせるアイファ。普段は凛々しい彼女も、やはり可愛いものには弱いらしい。
ただ、その明らかに怪しい手の動きはやめたほうがいい。
「ね、希ちゃんに触っていい?」
クラウは言うが早いか、すでに撫で始めていた。
「その神々しい毛並みを撫でさせてもらえぬだろうか」
相変わらず堅苦しいアイファの言葉に苦笑しつつも、ラングは「優しく、ね」とだけ釘を刺す。
待ちわびたように、二人は希の毛並みを存分に堪能し始めた。
「うわ~、触り心地最高♡ しっとり手になじむ~!」
「うむ、素晴らしい手触りだ。それに、この香りもたまらぬ♡」
「アイファずるい! 私も頬ずりしたいよ~!」
「こ、こら! 頬ずりは禁止だから!」
ラングは暴走を始めた二人を呆れ顔で眺めながらも、心の底では嬉しく思っていた。
縁あって共に旅をするのだ。もっと、こうして仲良くなっていけたら——そう願わずにはいられなかった。




