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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第97話 元夫

「俺たちは、もう家族なんだ。夫婦なんだ。お前は……俺の、大事な人だ。一人で抱え込むな。お前の悩みも、苦痛も、全部まとめて俺が引き受けてやる」


 だが、シグルーンは強い女だった。

 娘たちの手前、気丈に振る舞おうと、ゆっくりと俺から身を離す。


「あとで話す。ひとまず、食事に、しよう」


 湖畔でのピクニックは、重く、ぎこちない空気に包まれていた。

 空はどこまでも青く、湖面はキラキラと輝いている。

 それなのに、俺たちの間に流れる時間は重かった。


「ママ、これ、おいしいよ!」


 クータルが、ピヒラが作ったサンドイッチを頬張りながら、無邪気にシグルーンに話しかける。


「……そうか」


 シグルーンは、ただ短く応えるだけだった。

 サンドイッチにほとんど口をつけず、ただ、湖の向こう側を、虚ろな目で見つめている。


 そのただならぬ様子に、ミーシャもピヒラも、何かを察したように口数を減らしていった。

 楽しいはずのピクニックが、まるで通夜みてえな雰囲気だ。


 俺は、ただ黙って、そんな彼女の横顔を見守ることしかできなかった。


◇◇◇


 食事が終わると、俺は娘たちに向かって、努めて明るい声を出した。


「よし、お前ら。少し、向こうで遊んでこい。ただし、あまり遠くへ行くんじゃないぞ」


「「「はーい!(にゃ!)」」」


 娘たちが、きゃっきゃと笑いながら駆け出していく。


 娘たちの見張りはソルヴァとルーミに頼むことにした。


 小さな背中を見送り、俺はシグルーンの隣に、そっと腰を下ろした。


「……シグルーン」


 俺が静かに声をかけると、彼女の肩がびくりと震えた。


「二人きりだ。もう、無理はするな」


 俺は何も言わず、力強く抱き寄せた。


「大丈夫だ。話せ」


 シグルーンは、懐から例の手紙を取り出した。


「……読んでくれ」


 俺は無言で受け取り、その文面に目を通し始めた。


「『シグルーン様へ……私は、数年前に亡くなりましたウィッカーデイル孤児院の院長、アクセラの一人娘、アイノと申します』……」


 俺がAランク冒険者として旅をしている最中に、亡くなったという話はきいていた。

 何度か墓参りにも行ったが、最近ではご無沙汰だった。


 とにかくやさしい人で、いつもにこにこしていた。

 そんなことを思い出した。


 その娘からの手紙ということか……。

 俺は院長の娘とは面識がなかったと思う。


「『今回相談したいのは、父の遺志を継ぎ、はじめた孤児院についてなのです。シグルーン様の長年のご支援のおかげで、子供たちを育てることができていました。しかし……ひと月ほど前に赴任してきた新しい領主が、私達に立ち退きを迫っております』」


 すべてが初耳の話だった。

 院長の娘が孤児院を開いているというのも初耳だし、シグルーンが支援をしていた、というのも初耳だ。


 俺は、シグルーンの横顔を見る。

 彼女は、ただ固く唇を結んでいた。


「『……そのやり口は、十数年前に父が、ウィッカーデイルの土地の権利を盾に、ある貴族から脅迫を受けていた時と、あまりにも似ているのです。……どうか、この理不尽に立ち向かうための、あなた様のお力とお知恵を、ほんの少しでもお貸しいただけないでしょうか。これが、私からの、最後の願いです』」


 読み終えた俺は、手紙を静かに畳んだ。


◇◇◇


 俺は、黙ってその全てを、頭の中で反芻していた。


 手紙の内容もそうだが……それ以上に、この手紙を読んでいる間のシグルーンの様子が、異常だった。

 ただの厄介事じゃない。


「……シグルーン。その、院長先生を脅迫したっていう貴族は、誰なんだ?」


 俺の言葉に、彼女は観念したように、ふっと息を吐いた。


「『ヘンリク伯爵』。私の……元夫だ」


 ぽつりと、絞り出すような声だった。


 そういえば、シグルーンはかつて結婚していたことがあったという噂はきいていた。

 だが、子供ができなかったので捨てられた、という話もきいていたので、詳しくはきいていなかったのだ。


「愛など、欠片もなかった。あれは、ただの……取引だった」


 シグルーンは話をつづける。


「お前がウィッカーデイルを出て冒険者として旅をしていた頃……私もまた、自分の力を試したくて、がむしゃらに依頼をこなしていた。幸い、実力は認められ、冒険者としてそれなりに名は知られ、金にも困らない生活をしていたんだ」


 彼女は、俺たちの育った、今はもうない故郷を懐かしむように、遠い目をした。


「そんな頃だった。ヘンリク伯爵と出会ったのは。奴は、私に求婚してきた。もちろん、断った。お前以外の男には興味がなかったからな。……だが、あの男のプライドを、私は甘く見ていた。奴は、断られた腹いせに、私の全てを調べ上げ……私の、一番大切な場所を、見つけ出したんだ」


 彼女の声が、憎悪に震える。


「ある日、突然、孤児院に立ち退き命令が出された。領主である伯爵の権力を使って、ありもしない理由をでっち上げてな。『衛生管理の不備』だの、『経営難による子供への悪影響』だの……!」


 シグルーンの拳が、白くなるほど強く握りしめられる。


「冒険者としての私の力なんて、国家権力の前では無力だった。私が剣を抜けば、反逆者として孤児院ごと潰されるだけ。院長先生も、愛する弟や妹たちも、路頭に迷う寸前だった。私が……私がどうにかしなければと、そう思って……」


 絶望に満ちた声だった。


「そんな時、あの男は現れたんだ。人の良い、救世主のような笑みを浮かべて。そして、こう言った」


 シグルーンは深く息を吐いて言った。


「『私の妻になってくれるのなら、この話は全て撤回しよう。君の愛する『家族』には、私が生涯にわたって援助することを約束する。だが断れば――お前は目の前で、愛する者たちが全てを失い、絶望の淵に沈んでいくのを見ていることしかできんぞ』と」


 彼女は、俺の目をまっすぐに見つめ返した。

 その瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちる。


「……私に残された道は、一つしか、なかったんだ」


 彼女は、涙を拭うこともせず、続ける。


 愛のない結婚生活。

 毎日のように浴びせられる、屈辱的な言葉の暴力。

 心を殺し、ただ耐えるだけの日々。


「だが、結局……守れなかった」


 その声は、絶望に満ちていた。


「私がいくら耐えても、あの男の嫌がらせは続いた。孤児院は少しずつ追い詰められ……私が離縁した頃には、もう手遅れだった。ウィッカーデイルの家は……。院長先生も……心労で……っ!」


 言葉にならない、魂の叫び。


「だから……せめて、先生の娘のアイノだけはと……! 私が、陰から支えなければと、そう思っていたのに……! また、同じなんだ……! また、私のせいで、私の大切な場所が、あいつに……っ!」


 俺は、ただ、その全てを受け止めていた。


◇◇◇


「そうか。……辛かったな」


 俺の声は、自分でも驚くほど、静かだった。


「すまなかったな」と俺は言った。


「え?」シグルーンは驚いたような顔を見せた。「どうして、謝るんだ?」


「お前がそんなに苦しんでいたとは知らず、俺は冒険ばかりしていたからな」


「……それは仕方ない。ダンスタン、お前は英雄パーティーとして、冒険をしていたんだからな」


 俺は、さらにシグルーンを強く抱きしめた。


「守ってやれなくてすまなかった。だが、いまは違う。俺が、片をつけてやる」

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