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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第96話 そしてまた手紙

 ミーシャの一件が、ようやく本当の意味で片付いた。

 あの日、俺の肩で泣きじゃくった娘は、過去の全てを涙と一緒に流しきったのだろう。

 最近のあいつは、本当に晴れやかな顔で笑うようになった。


 そんな、本当の平和が俺たちの家に訪れた、ある晴れた日の午後。

 俺は、家族全員を連れて、新しくなった我が家の周りの森へ、散歩に出かけることにした。


「わーい! おさんぽ、おさんぽー!」


 クータルが、俺の足元できゃっきゃと嬉しそうに飛び跳ねている。

 ミーシャも、その隣で「森のパトロールでありますにゃ!」なんて言いながら、尻尾をぴんと立てていた。

 そんな二人を、ピヒラが「こら、二人とも、転ばないようにね」と、すっかりお姉さんらしい顔で見守っている。


 そして、俺の隣には。


「……いい天気だな」


 そう言って、ふわりと微笑む、若返った妻の姿。

 シグルーンだ。


 その後ろからは、ソルヴァが母親のような優しい目線で娘たちを見守り、少し離れた木陰では、ルーミが皆の様子を微笑ましげに眺めていた。


 妻が二人、娘が三人、そして義妹が一人。

 我ながら、とんでもねえ大家族になったもんだ。


 木々の隙間から、柔らかな陽光がキラキラと降り注ぐ。

 娘たちの賑やかな笑い声が、森の静寂に心地よく響き渡っていた。


 これ以上ないほどの、穏やかで、温かい時間。

 俺は、このどうしようもなく幸せなスローライフを、ただ、静かに噛み締めていた。

 こんな毎日が、ずっと続けばいい。

 心の底から、そう願っていたんだ。


◇◇◇


「―――ぎゃあああああああっ!」


 その穏やかな空気を、男の絶叫が引き裂いた。

 声は森の奥から聞こえていた。


 シグルーンの顔つきが、一瞬で変わる。

 ルーミとソルヴァも、即座に臨戦態勢に入った。


「ソルヴァ、ルーミ! お前たちは娘たちを連れてここを動くな! 周囲を警戒し、安全を確保しろ!」


「はいっ!」「承知しました!」


 二人の頼もしい返事を聞き、俺はシグルーンと顔を見合わせる。

 彼女はこくりと頷いた。

 俺たちは森の奥へと駆け出した。


 悲鳴が聞こえた場所は、そう遠くない。

 茂みを抜けた先、少し開けた場所で、俺たちはそれを見た。


 郵便配達員と思しき男が、地面に尻餅をつき、後ずさっている。

 その目の前には、涎を垂らしながら威嚇の唸り声を上げる、一頭の魔獣。

 最近、この辺りで目撃されるようになった、凶暴化した『レイジ・ボア』だ。


「……やれやれ。大したことなくて良かったな」とシグルーンが言った。


 Bランク冒険者の俺一人でも、余裕で片付けられる相手だ。


「派手にやるなよ、シグルーン。森を傷つけるんじゃない」


「言われずとも。任せておけ」


 レイジ・ボアが、配達員にとどめを刺そうと地を蹴った、まさにその瞬間だった。


「―――お前の相手は、こっちだ」


 俺は、魔獣と男の間に割り込んでいた。

 剣を抜き、低い姿勢で構える。


「グルルルルアアアッ!」


 獲物を邪魔されたことに怒り狂ったレイジ・ボアが、俺めがけて一直線に突進してくる。

 だが、その動きはあまりに直線的で、読みやすい。


 俺は一歩も引かない。

 突進を受け流す。


 牙が俺の鎧を掠める、その寸前。

 俺は、最小限の動きで半身をずらし、奴の突進のベクトルを、剣の腹を使ってわずかに逸らしてやった。


 凄まじい勢いで俺の横をすり抜けていく、巨大な猪。

 体勢を崩し、無防備な背中を、完全に晒している。

 生まれた、ほんの一瞬の、だが致命的な隙。


 それを、俺の妻が見逃すはずがなかった。


「――凍てつけ、『アイスランス』」


 シグルーンの詠唱。

 彼女の手から放たれた氷の槍が、寸分の狂いもなく、レイジ・ボアの無防備な背中に突き刺さった。


 魔獣はその場に崩れ落ち、絶命する。

 俺とシグルーンの、完璧な阿吽の呼吸。

 もはや、ただの『処理』だった。


◇◇◇


「あ、あ、あ……」


 助けられた配達員の男は、腰を抜かしたまま、目の前で起きた光景が信じられないといった顔で、俺たちを交互に見つめている。


「……大丈夫か?」


 俺が剣を鞘に納めながら声をかけると、男は、はっと我に返った。

 そして、その場に突っ伏すようにして、何度も、何度も頭を下げ始めた。


「ありがとうございます! ありがとうございます、英雄様! もう、ダメかと思いました……!」


 英雄か……。

 柄にもない呼ばれ方に、俺は照れくさくて、ついガシガシと頭を掻いてしまう。


 男は、涙ながらに感謝の言葉を繰り返していたが、ふと、何かを思い出したように、はっとした顔で自分の鞄を漁り始めた。


「そうだ! 大事な手紙を届ける途中だったんです! 崖崩れで道が塞がって、遠回りしてたら、あの魔物に……。ええと、確か宛名は……」


 男は、鞄の奥から一通の手紙を取り出した。


「これだ! 『シグルーン様』宛となっております。この辺りにお住まいだと伺ったのですが、ご存知ありませんか?」


 それを聞いた瞬間、俺の隣に立っていたシグルーンが前に出た。


「……私だ」


「ああ、それは良かった。それでは、ここでお渡ししてもよろしいですか?」


 シグルーンは無言でうなずき、手紙を受け取った。

 そのまま封を切る。


 そして……固まった。


「ママ、どうしたの?」


 クータルが、不思議そうに彼女の服の裾を引っぱる。


 だが、その声はもう彼女の耳には届いていなかった。


 シグルーンは無表情になっていた。

 瞳から光が消え、唇は固く引き結ばれていた。

 その全身から放たれる空気は、あの氷のように冷たい『ギルド支部長』そのものだった。


「シグルーン、大丈夫か? 何があったんだ?」


 シグルーンは、虚ろな目で俺を見た。


「……ダンスタン。お前を、頼ってもいいか?」


「当たり前だろうが」


 俺は、掴んだ彼女の腕をぐっと引き寄せ、その体を、力いっぱい抱きしめた。


「俺たちは、もう家族なんだ。夫婦なんだ。お前は……俺の、大事な人だ。一人で抱え込むな。お前の悩みも、苦痛も、全部まとめて俺が引き受けてやる」

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