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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第95話 ……パパ、私、わかってたニャ

 約束の三日目の朝が来た。


 俺は、ミーシャとその両親が泊まる宿屋へと、一人で向かっていた。


 心は、不思議なほど凪いでいた。もう、迷いはない。


 部屋の扉をノックすると、中からミーシャの元気な声がした。


「はーい! ……あ、パパ!」


 扉を開けたミーシャは、俺の顔を見てぱっと笑顔になった。

 その背後では、人の良さそうな夫婦が、こちらを見てにこやかに会釈している。

 その完璧な「幸せな家族」の光景に、俺の胸の奥がわずかに軋んだ。


「ミーシャ、おはよう」


 俺は努めていつも通りに振る舞うと、部屋の中へ一歩足を踏み入れた。

 そして、できるだけ優しい声で告げる。


「すまんな、ミーシャ。お前のパパとママに、少しだけ話があるんだ。先に下の食堂で、ジュースでも飲んで待っていてくれるか?」


「うん、わかったにゃ!」


 ミーシャは素直に頷くと、階段を駆け下りていった。

 その小さな背中を見送り、俺は静かに扉を閉める。

 さあ、ここからが、大人の時間だ。


「……何の、ご用でしょうか」


 父親の方が、探るような目で俺に問いかける。


 俺は、テーブルの上に、二つの羊皮紙の巻物を、とん、と置いた。

 一つは、興行師との契約の覚え書き。

 もう一つは、元奴隷商人の、決定的な証言録だ。


「読めば分かる」


 俺の言葉に、二人の顔から表情が消えた。

 父親の方が、震える手で羊皮紙を広げた。

 読み進めるにつれて、その顔がみるみるうちに青ざめていく。


「な……なんだ、これは……! 何かの間違いだ! 俺たちは、こんなもの知らないぞ!」


 見苦しい言い訳だ。

 だが、声は情けないほどに上ずっている。


「ほう。じゃあ、この筆跡鑑定書も、何かの間違いか?」


 俺が懐から三枚目の羊皮紙を取り出すと、夫婦は完全に言葉を失った。


「そ、そんな……! お前は、一体何者なんだ……!?」


「ただの、しがないCランク……Bランク冒険者だ。成り立てだけどな」


 俺は、懐からずしりと重い金袋を取り出す。

 そして、テーブルの上に、じゃらり、と無作法に放り投げた。


「手切れ金じゃねえ。契約金だ」


◇◇◇


「……契約?」


「ああ、そうだ。お前たちに、新しい仕事をくれてやる」


 俺は、二人の哀れな役者に、その配役を告げる。


「お前たちの仕事は、この先一生、ミーシャの『理想の両親』を演じ続けることだ」


 俺は、冷徹に「取引」を持ちかける。


「年に数回、心のこもった手紙をミーシャに送れ。そこには、娘の幸せを遠くから願う、愛情深い言葉だけを綴れ。もし、ミーシャがお前たちに会いたいと言ってきたら、今日この時のように、涙ながらに過去を悔い、娘を愛しているという仮面を被って、会いに来い」


 俺は、二人の凍りついた瞳を、まっすぐに見据えた。


「ミーシャの記憶の中では、お前たちは『娘の将来を想い、断腸の思いで手放した、悲劇の良い両親』であり続けろ。あいつの美しい思い出を、お前たちの汚い欲望で、これ以上穢すことは許さん。……これは、俺が金で買う、永遠の嘘だ」


 しばらくの沈黙。

 やがて、父親の方が、わなわなと震える声で言った。


「……分かった。あんたの言う通りにする。……だ、だが、もし、俺たちがこの話を断ったら……どうするつもりだ」


「断る? 賢明じゃないな」


 俺は、氷のような声で言い放った。


「断れば、この証拠は衛兵団とギルドに渡る。お前たちは一生牢獄暮らしだ。ミーシャは真実を知って深く傷つくことになるだろう。……だが、俺の契約を受け入れれば、金も手に入るし、お前たちの罪も闇に葬ってやる。ミーシャも傷つかずに済む。どっちが得か、ガキでも分かるだろう?」


 俺は、二人に選択の余地などないことを、はっきりと突きつける。


「……分かった。契約しよう」


「賢明な判断だ。……ただし、忘れるな。お前たちが少しでも契約を違えたり、ミーシャに余計なことを吹き込んだりすれば、その時は……容赦はしねえ。俺はお前たちを、どこまでも追い詰める」


◇◇◇


 食堂でジュースを飲んでいたミーシャは、俺たちの姿を認めると、ぱっと顔を輝かせた。


 俺は、やつれた顔の夫婦と共に、彼女のテーブルへと向かう。

 これから始まる、最後の舞台の幕が上がる。


 夫婦はミーシャの前に立つと、その場に崩れるように膝をついた。


「ミーシャ……」


 父親が、涙ながらに語り始める。

 それは、俺が書いた脚本通りの、完璧な芝居だった。


「この三日間、お前と過ごせて、本当に幸せだった。そしてな、パパとママは、よく分かったんだ。お前は……私達と一緒に田舎に帰るより、あのダンスタンさんと一緒にいたほうが、もっともっと大きく成長できる。お前の素晴らしい才能を、私達が縛り付けてはいけないんだ」


 母親も、嗚咽を漏らしながら言葉を継ぐ。


「そうよ、ミーシャ……。寂しいけれど、これが、あなたのための、一番の選択なの。私達は、遠くから、ずっとあなたのことを応援しているからね……!」


 ミーシャは、何も言わない。


 そして、俺の顔を一度だけ、じっと見上げた。

 その瞳が、何かを理解したように、深く、澄んだ光を宿す。


 ミーシャは笑顔で言った。


「……うん、わかったにゃ。……パパ、ママ、元気でね」


 俺は、奥歯を強く、強く噛み締めた。

 今すぐこの茶番をやめさせ、娘を力いっぱい抱きしめてやりたい衝動を、必死でこらえた。


◇◇◇


 帰り道の馬車の中は、ひどく静かだった。

 俺は、隣で俯いたまま、微動だにしない小さな背中に、どう声をかけていいのか分からずにいた。


「……ミーシャ」


 俺が、ようやく絞り出した声。

 慰めの言葉を、続けようとした、まさにその瞬間だった。


 こてん、と。

 小さな頭が、俺の肩に、優しく寄りかかってきた。


「……パパ、私、わかってたニャ」


「え……?」


 驚く俺に、彼女は続ける。


「あの人たちに会って、思い出したのニャ。小さな頃、あたし、何もできなくて、いつも怒られてばかりで……。よく叩かれてたこと。お金にならないから、売られちゃうんだって、そう言ってたのも、全部」


 淡々と語られる、あまりにも痛々しい記憶。


 俺は、言葉を失った。


「だから、あの人たちが今更あたしを愛してるなんて、嘘だって、すぐに分かったニャ。……でもね」


 ミーシャは、俺の顔を、潤んだ瞳で見上げてきた。


「パパ、あたしのこと、心配してたニャ? ギンの時みたいに、本当のパパとママと一緒の方が、あたしが幸せだって、そう思ってくれてたの、わかってたニャ」


 その、あまりにも健気な言葉に、俺は胸を突かれた。


「だから、パパを悲しませたくなくて……。パパが、あたしのために用意してくれた優しい嘘に、あたしも付き合いたかったニャ。パパが、あたしのために、優しい『パパとママ』でいさせてくれようとしたの、わかってたから」


 そして、顔を上げ、俺の目をまっすぐに見つめ返す。

 その琥珀色の瞳は、夕日を映して、どこまでも美しく輝いていた。


「……ありがとう、パパ。私の、本当のパパ。ミーシャのパパは、パパだけだニャ。大好きだニャ」


 もう、こらえきれなかった。


 俺は、街道の脇に馬車を止めると、その小さな体を、壊れ物を扱うように、だが力いっぱい、抱きしめた。

 熱いものが、目の奥から、後から後からとめどなく溢れ出してくる。

 情けないとは思う。

 だが、もうどうしようもなかった。


「う……うわあああああっ!」


 俺は、声を上げて泣いた。

 娘の前で、子供のように。

 ミーシャもまた、俺の胸の中で、声を上げて泣いていた。


「愛してる。愛しているよ。本当に……」


「私も愛してるニャ。ずっとそばにいるニャ……」


 夕暮れの、茜色の空の下。

 俺たちは、ただ、互いの温もりだけを確かめるように、長い、長い時間、抱きしめ合っていた。

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