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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第94話 やさしい偽物

「ミーシャ。お前は、どうしたい?」


 俺の問いかけに、ミーシャは答えられない。

 ただ、潤んだ琥珀色の瞳で、俺と、目の前で涙を流す男女の顔を、不安そうに行き来させるだけだった。


「……どうか、お願いします」と母親が言った。


 彼女は俺に向かって深々と頭を下げた。


「私達に、娘との時間を取り戻させてはいただけないでしょうか。もちろん、今すぐ一緒に帰ろうなどとは言いません。ただ、三日間だけでいいのです。この街で、もう一度だけ、この子と『家族』として過ごす時間を……どうか……!」


 その声は、悲痛な響きを帯びていた。

 父親もまた、言葉もなく、ただ何度も頭を下げている。


 その姿に、ミーシャの心が、ぐらりと大きく傾いたのが分かった。

 彼女は、俺の服の裾を、祈るようにぎゅっと握りしめる。

 その瞳が、助けを求めるように、俺を見上げていた。


 俺は、一度だけ、ぎゅっと目を瞑った。

 そして、腹を括る。


「……分かった。そうだな。ひとまず、三日一緒にいてみるってのは、良いかもしれないな」


 俺の言葉に、夫婦の顔がぱっと輝いた。

 ミーシャの強張っていた肩から、ふっと力が抜ける。


 さびしい。

 さびしいぞ、ミーシャ……。


◇◇◇


 俺はミーシャたちとは別の、安宿に部屋を取った。

 わざと一番安い、窓の外の景色も望めないような、薄暗い部屋を選んだ。

 今の俺には、それくらいがちょうどいい。


 扉を閉める。

 すると、やけに静かに思えてならなかった。

 いつもなら、この時間には「パパ、お腹すいたー!」だの「今日の夕飯はなぁに?」だの、娘たちの賑やかな声が響いているはずなのに。

 がらんとした部屋の静けさが、どうしようもなく落ち着かなかった。


 夕食の時間になっても、腹は少しも減らなかった。

 俺はあてもなく、宿場町の雑踏を彷徨い歩く。

 そして、一軒の安食堂の前で足を止めた。


 窓越しに見える、温かい光景。

 小さなテーブルを囲み、料理を三人が笑いながら頬張っている。

 ミーシャと、その両親だった。

 母親が、ミーシャの口の周りについたソースを、ハンカチで優しく拭ってやっている。

 父親が、何か面白い話でもしたのだろう。

 ミーシャが微笑んでいた。


 その、あまりにも完璧で、幸せな「家族」の光景。

 それを見た瞬間、俺の胸は、ずきりと痛んだ。


(……ああ、そうか。これが、本当の……あいつの、幸せな姿なのかもしれないな)


 俺がどれだけ愛情を注いでも、どれだけ必死に守ろうとしても。

 血の繋がった、本当の親との絆には、敵わないのかもしれない。

 俺は、所詮、偽物の父親で。

 俺が与えてやれる幸せもまた、偽物だったのかもしれない。


 強烈な孤独感と、父親としての無力感が、鉛のように重くのしかかってくる。

 俺は、その場に立ち尽くしたまま、ただ、ガラス窓の向こうに広がる、温かい光景を見つめていた。

 まるで、世界からたった一人、切り離されてしまったかのように思えた。


 俺は……自分のことはどうでもいい。

 ただ、ミーシャが幸せになってくれたら、それでいいんだ。


 だから、やるべきことをやる。

 ミーシャが傷つかないように。

 たとえ傷ついたとしても、また立ち上がれるように。


◇◇◇


 二日目の夜。

 俺は、動いた。

 父親としての感傷は、もう捨てた。

 ここから先は、元Aランク斥候としての、仕事の時間だ。


 俺は宿を抜け出すと、ミーシャたちが泊まる宿屋が見える、向かいの建物の屋根に陣取った。

 気配を完全に殺し、闇に溶け込む。


 しばらくして、宿屋の裏口から、二つの人影がこそこそと出てきた。

 ミーシャの両親だ。

 間違いない。


 俺は、屋根から屋根へと、音もなく飛び移りながら追跡を開始する。

 二人は、街の裏路地へと消えていった。

 俺もまた、壁のわずかな窪みに身を潜め、その先を窺う。


 路地の突き当たり。

 待っていたのは、一人の、派手な服装をした小太りの男だった。

 その指には、これみよがしに金の指輪がいくつも嵌められている。

 街の興行師だろう。


 俺は、息を殺し、彼らの会話に耳を澄ませた。


「……で、首尾は上々かね? 娘さんは、あんたたちの涙の再会話を信じ込んだのかい?」


 興行師が尋ねる。


 父親の方が、にやにやと下品な笑みを浮かべて答えた。


「ええ、もちろん。あの子は昔から人が良くて単純でしたから。まさか、一度自分を売り飛ばした親が、また金目当てで近づいてきたなんて、考えもしないでしょう」


 その声は、昼間の、涙ながらに謝罪していた男のそれとは、まるで別人だった。


「結構なことだ。まさか、はした金で売り払ったあのガキが、奇跡のリュート奏者、つまり『金のなる木』になって帰ってくるとはな。あんたたちも運がいい」


 興行師はそう言うと、懐からずしりと重そうな革袋を取り出し、父親に放り投げた。


「ほら、約束の前金だ。あの子を完全に取り戻し、あんたたちが『マネージャー』として興行権を握れば、この十倍、いや百倍の金が転がり込んでくる。せいぜい、父親と母親の芝居をうまくやりな」


 母親が、ひったくるようにその革袋を掴み、欲望に満ちた目で中身を確かめている。


「分かっております。あの子の才能は本物です。今度こそ、大儲けさせてもらいますよ。あの娘には、死ぬまで俺たちのために歌い続けてもらわねえと」


 俺の心の中で、何かが、音を立てて凍り付いていくのが分かった。

 父親としての、あの切ない葛藤も、苦悩も。

 全てが、馬鹿みたいだった。


 こいつらは、ミーシャの本当の両親だ。

 そして、その上で、金のために一度娘を売り、その娘に再び金儲けの価値を見出したから、またしても甘い言葉で騙し、取り戻そうとしている。


 見ていたのは、ミーシャの才能が生み出す『金』だけだったんだ。


◇◇◇


 俺は、感情を殺し、闇の中へと静かに姿を消した。

 怒りも、憎しみも、今は必要ない。

 ただ、最後の確証を得る。

 それだけだ。


 翌朝、約束の三日目の朝。

 俺は宿場町のギルド支部へと向かった。

 ウィッカーデイルを発つ前に、シグルーンに頼んでおいた件の確認だ。

 ギルドの通信網は、そこらの伝令よりもよっぽど速く、正確だ。


「お待ちしておりました、ダンスタン様。シグルーン様からご依頼の件、対象者は既に個室にて待機しております」


 受付の職員に案内されたのは、一番奥にある、窓のない小さな部屋だった。

 中には、一人の男が、椅子にふんぞり返って座っている。

 顔に大きな傷跡のある男。

 シグルーンが手配してくれた、獣人を専門に扱っていた元奴隷商人だった。


 俺は、男にミーシャの両親の人相と、彼らが語った村の名前を告げた。

 男は、しばらくの間、天井を仰いで記憶を辿っていたが、やがて、にやりと口の端を吊り上げた。


「ああ、思い出しましたぜ。確かに、数年前にその村で、猫人族のガキを一人、買い取りやした。特徴も、あんたの言う通りだ」


 男は、心底愉快そうに、言葉を続ける。


「不作? はっ、冗談じゃねえ。あの村は、ここ数十年、不作知らずの豊かな土地でさあ」


 そして、男は吐き捨てるように言った。


「あの夫婦は、ただの博打好きで、借金まみれになって、たった一人の娘を奴隷商に売り飛ばした、人間のクズだよ」


 俺は男に礼を言うと、静かに席を立つ。


 今日が約束の三日目だ。


 俺は、大切な娘を、迎えに行くことにした。

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