第93話 もし親が探しに来たら、その時は
ミーシャは、自分の両親を名乗る人物に会うと決めていた。
だが、まだ不安そうにしていた。
無理もねぇ。
いままでずっと、奴隷商人に売られたと思っていたんだ。
会うのは不安だし、怖いだろう。
「……なあ、ミーシャ。辛いなら、無理する必要はねえんだぞ。断りの手紙なら、俺がいつでも書いてやる」
俺の言葉に、ミーシャはふるふると小さく首を横に振った。
「ううんにゃ。行くって決めたから……。でも、やっぱり、ちょっと怖い、にゃ……」
俺は、何か良い知恵はないかと頭を巡らせ、一つの考えに思い至った。
「……そうだな。こういう時は、先輩に相談するのが一番だ」
「先輩?」
「ああ。頼れる先輩がこの家にいるだろうが」
俺はそう言って、にやりと笑う。
ミーシャは、はっとしたように顔を上げた。
俺たちは顔を見合わせると、どちらからともなく頷き、ピヒラの部屋へと向かった。
◇◇◇
「……そうだったの。ミーシャ、一人で悩んでたんだね」
俺とミーシャから事情を聞いたピヒラは、妹の手をぎゅっと握りしめた。
「私は、ミーシャとは違う部分も多いけど……。私の話をするね」
ピヒラは、森で本当の両親と再会した、あの日のことを語りはじめた。
「私は、すごく嬉しかった。もう二度と会えないと思ってた、お父様とお母様に会えたんだもん。でもね、それと同じくらい、怖かった」
「ピヒラも、怖かったニャ……?」
「うん。だって、もし、お父様たちと森に帰ったら、パパや、ミーシャや、クータルとは離れ離れになっちゃう。そう思ったら、胸がぎゅーってなって、苦しくて……」
ピヒラはそこで一度言葉を切ると、ミーシャの瞳をまっすぐに見つめ、ふわりと微笑んだ。
「でもね、私、決めたんだ。お父様たちには、いつでも会いに行ける。でも、私の帰る場所は、このお家だって」
その言葉は、かつて俺が扉の外で聞いたものと同じだった。
だが、今、ミーシャに直接語られるその言葉は、何倍も力強く、温かい。
「世界で一番大切な旦那様と、可愛い妹たちがいるんだもん。だから、大丈夫」
ピヒラは、ミーシャの頭を撫でた。
「ミーシャも、大丈夫だよ。たとえ、どんな答えを選んだとしても、私がミーシャのお姉ちゃんだってことには、何も変わりないんだから。ここは、ミーシャがいつでも帰ってこられるお家なんだからね。本当の……というか、血のつながった両親と過ごしてもいいし。そして、また戻ってきてもいいんだから」
血よりも濃い、姉妹の絆。
俺は、その尊い光景を見守っていた。
俺が口を挟む余地なんて、どこにもなかった。
◇◇◇
翌朝、ミーシャの顔にはもう迷いの色はなかった。
「パパ、行こうにゃ」
俺は「おう」とだけ短く返すと、馬車の準備を始めた。
家族に見送られ、俺たちは二人だけの旅に出る。
ウィッカーデイルの城門を抜け、街道を馬車が進んでいく。
揺れる馬車の中、俺たちはしばらくの間、言葉もなかった。
やがて、ミーシャがぽつりと、不安げに呟いた。
「パパ……あたし、ちゃんと話せるかにゃ……」
「大丈夫だ。お前は、もう一人じゃねえ。俺がついてる」
俺は小さな頭を優しく撫でてやった。
だが、その言葉とは裏腹に、俺の心の中は、別の葛藤で渦巻いていた。
ふと、思い出す。
少し前、ミーシャが子狐の『ギン』を拾ってきた、あの夜のことだ。
『もし親が探しに来たら、その時は、ちゃんと返してやるんだぞ。それが、こいつにとっての一番の幸せだからな』
あの時の自分の言葉が、ブーメランのように、今の俺の胸に突き刺さる。
ミーシャの親が、探しに来た。
だったら、俺は、あいつを「返してやる」のが正しいのか?
それが、ミーシャにとっての、一番の幸せなのか?
俺は、心のどこかで分かっていた。
俺は、ミーシャを手放したくない。
このまま、ずっと、俺の可愛い娘のままでいてほしい。
それは、父親としての愛情であり、同時に、どうしようもない俺のエゴだった。
ちらりと、隣に座る娘の横顔を盗み見る。
何を考えているのか、その表情からは読み取れない。
だが、どんな答えをあいつが出そうとも、俺はそれを受け入れる覚悟を決めなければならない。
父親として、な。
……たとえ、胸が張り裂けそうになったとしても。
俺は、そんな内心の葛藤を押し殺し、手綱を握る手に、ぐっと力を込めた。
◇◇◇
宿場町に着き、約束の宿屋の一室で待っていると、やがて、一組の中年夫婦が、おずおずと姿を現した。
その顔は、やつれてはいるが、確かに猫人族の特徴を備えている。
「ああ……! ミーシャ……!」
母親と思しき女性が、その場に崩れ落ち、声を上げて泣き始めた。
父親もまた、涙を流しながら、何度も、何度も「すまなかった」と繰り返す。
俺は、父親として、その光景を静かに見守っていた。
だが、同時に。
元Aランク斥候としての俺の五感は、目の前の夫婦が発する、いくつかの『不自然さ』を捉え始めていた。
妙な点がいくつもある。
まず、手だ。
長年、不作に苦しみ、土仕事に明け暮れていた村人の手にしては、あまりに綺麗すぎる。
爪は整えられ、土汚れ一つない。
苦労人の手じゃねえ。
服装もそうだ。
着ているものは粗末だが、不自然に真新しい。
まるで、裕福な人間が、慌ててみすぼらしい格好に着替えてきたみたいだった。
こいつらは、何かを隠している。
手紙に書かれていたことが、全てではない。
俺の直感が、そう告げていた。
やがて、夫婦は涙を拭うと、意を決したようにミーシャに向き直った。
「ミーシャ……。もう一度、私達と、一緒に暮らしてはくれないだろうか」
父親が、震える手で、娘に手を差し伸べる。
「今度こそ、お前を幸せにすると、約束する。さあ、一緒に帰ろう。私達の、本当の家へ」
ミーシャは助けを求めるように、俺の顔を潤んだ瞳で見上げてくる。
俺は、父親として、娘の選択を、その全てを受け入れる覚悟を決めた。
俺は、目の前の夫婦の、瞳の奥に潜む闇を見据えながら、問いかけた。
「ミーシャ。お前は、どうしたい?」




