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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第91話 『過去からの招待状』

「ん……ふわぁ……」


 テーブルの向かい側で、シグルーンが小さくあくびを漏らした。

 眠い目をこすり、少しだけ潤んだ瞳で俺を見て、ふにゃり、と気の抜けた笑みを浮かべる。

 その仕草の一つ一つが、なんだかやけに……その、なんだ。色っぽい。


 赤ん坊から元の姿に戻ったはいいが、どういうわけか、彼女は少しだけ若返っていた。

 二十代後半、といったところか。

 元々整っていた顔立ちは、瑞々しいまでの美しさを取り戻し、正直、まともに顔を見れねえ。


「ダンスタン……。おはよう」


 とろんとした声で、俺の名前を呼ぶ。

 そして、まるでそれが当たり前であるかのように、椅子から立ち上がると、俺の隣にぴたりと寄り添い、肩にこてん、と頭を乗せてきた。

 亜麻色の髪が、ふわりと俺の首筋をくすぐる。甘い匂いがした。


「……っ、お、おい、シグルーン!」


「んー……? なんだ、騒々しいぞ……」


 完全に無意識だ。

 赤ん坊だった頃の記憶が残っているのか……。

 ここ数日、彼女はこうして無防備に甘えてくるようになった。

 その度に、俺の心臓はやかましいくらいに跳ね上がる。

 四十過ぎのおっさんの顔は、情けなくも真っ赤に染め上がる。


「パパとシグルーンママ、またイチャイチャしてるー!」

「朝からご馳走様ですにゃ」

「ふふ、パパ、お顔が真っ赤ですよ」


 クータル、ミーシャ、ピヒラが、テーブルの向こう側でニヤニヤしながらこちらを見ている。

 やめろ、そんな生暖かい目で見るのは。


「これは違う! 断じて違う!」


 俺が慌てて身をよじると、シグルーンは「むぅ……」と不満げな声を漏らしながらも、ようやく自分が何をしているのか気づいたらしい。

 はっとしたように俺から身を離すと、顔を真っ赤にして、自分の席へと戻っていった。


 そんな、俺たちのぎこちないやり取りを見て、ソルヴァが「ふふふ」と楽しそうに笑い、ルーミは「……朴念仁」と呆れたように呟いていた。


 まあ、なんだ。

 騒がしくて、手がかかって、どうしようもなくむず痒い。

 だが、このどうしようもなく温かい朝が、俺の、俺たちの新しい日常なんだ。


◇◇◇


 平和な昼下がりだった。

 俺は新しい家のポーチで、気持ちよく吹き抜ける風を感じながら、年季の入った剣の手入れをしていた。

 庭では娘たちが、きゃっきゃと笑い声を上げながら駆け回っている。

 そんな、ありふれた、かけがえのない日常。


 その穏やかな空気を破るように、一人の訪問者が現れた。


「ダンスタンさん、いらっしゃいますか!」


 声の主は、新しいギルド支部長のヒルルヤだった。

 彼女は少しだけ息を切らしながら、一通の封筒を俺に差し出してきた。


「ミーシャちゃんに、お手紙です。差出人は……ミーシャちゃんのご両親を名乗る方から、と」


「……なんだと?」


 駆け回っていた娘たちの足がぴたりと止まる。

 家の中から様子を窺っていたシグルーンたちも、驚いたように顔を見合わせている。


「ミーシャの、パパとママ……?」


 クータルが、不思議そうに小首をかしげた。


「本当ですか!?」とソルヴァ。

「ミーシャの両親については、聞いたことがなかったな」とシグルーン。


 シグルーンとソルヴァが、駆け寄ってくる。


 二人の顔には、驚きと共に、喜びの色が浮かんでいた。

 そうだよな。

 ミーシャが、本当の家族と再会できる。これ以上の祝福があるはずない。


 だが。

 祝福ムードに包まれる家族の中で、一人だけ。

 当事者であるはずのミーシャの反応は、俺たちの予想とは、あまりにもかけ離れていた。


 彼女は、ヒルルヤが差し出す手紙を、ただ見つめている。

 顔は真っ白を通り越して、青ざめていた。


「ミーシャ……?」


 ピヒラが心配そうに声をかける。

 だが、その声は届いていない。


 ミーシャは後ずさった。

 そして、踵を返し、家の中へと駆け込んでいってしまった。

 向かった先は、先日完成したばかりの、彼女専用の『防音室』だ。


 ガチャン、と。

 内側から鍵をかける音が響き渡った。

 後に残されたのは、呆然とする俺たちと、一通の手紙だけだった。


◇◇◇


「一体、どうしたというんだろうか……」


 シグルーンが、固く閉ざされた扉の前で途方に暮れたように呟く。

 誰もが、ミーシャのあまりに異常な反応を、理解できずにいた。


 だが、俺だけは分かっていた。

 いや、分かってしまったんだ。

 あいつの、あの怯えきった瞳。

 あれは、俺が初めて会った時と、まったく同じ目だった。

 奴隷商に追われ、心も体も擦り切れて、世界の全てを拒絶していた、あの時の目だ。


 手紙の差出人が、誰であろうと関係ない。

 ミーシャにとって、あの手紙は『過去からの招待状』なんだ。

 思い出したくもない、地獄への。


「……すまん。少しだけ、一人にしてやってくれ」


 俺は、心配そうにする家族たちを手で制した。

 そして、一人、ミーシャが閉じこもる扉の前へと、ゆっくりと歩み寄る。


 俺は扉を叩かなかった。

 ただ、その冷たい木の扉に背中を預け、どさりと、その場に座り込んだ。


 しばらくの沈黙。

 俺は、扉の向こう側にいるであろう、小さな背中に向かって語りかけた。


「……聞こえるか、ミーシャ」


 返事はない。

 だが、俺は構わず、言葉を続ける。


「無理にとは言わねえ。話したくないなら、話さなくていい。扉を開けたくないなら、開けなくていい。お前が、そうしたいと思うまで、俺はずっと、ここにいる」


 俺は、一度言葉を切る。

 そして、一番伝えたかった言葉を、ありったけの愛情を込めて告げた。


「もし辛いなら、パパにだけ話してくれないか。お前がどんな過去を背負っていても、俺がお前の父親であることに、変わりはねえんだからな」


 理屈じゃない。

 ただ、それだけが、俺がこの子にしてやれる、全てだった。

 俺の、無条件の愛を告げる言葉。

 それが、扉の向こうの、凍てついた小さな心に届くことを、ただ、祈りながら。


◇◇◇


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 俺は、ただ黙って、扉に背を預け続けていた。

 焦りはない。

 あいつが、自分の力で一歩を踏み出すのを、信じて待つだけだ。


 やがて。


 カチャリ、と。

 扉の向こう側から、小さな、金属音が聞こえた。

 鍵が、開いた音だった。


 ぎぃ、と。

 重い扉が、ほんの少しだけ開かれる。

 その隙間から、涙でぐしゃぐしゃになった、小さな顔が、ひょっこりと覗いた。


 ミーシャだった。


 彼女は、俺の顔をじっと見つめると、しゃくり上げながら、消え入りそうな声で、言った。


「……パパ」


「おう」


「あのね、パパ……。あたしの本当の……いや、前のパパとママはね……、あたしを……売ったの」

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