第86話 『お兄様』
「そして、私は、このウィッカーデイルで見つけました。クータル。あの子こそが、革命の鍵なんです」
月明かりが照らす静かな街道で、俺はルーミと向き合っていた。
革命の、鍵……だと?
俺は彼女の言葉を、すぐには理解できなかった。
あの無邪気な娘が、革命なんていう物騒な言葉と、一体どう結びつくっていうんだ。
「どういうことだ? クータルが、鍵だなんて……。まさか、お前、あの子の力を利用するつもりか?」
俺の言葉に、ルーミは表情を変えなかった。
ただ、ふっと、どこか自嘲するような、悲しげな微笑をその唇に浮かべた。
「……ええ。最初は、そのつもりでした」
その、あまりにもあっさりとした肯定。
俺は、思わず言葉を失う。
「目的のためなら、どんな犠牲も厭わない。そうやって、私は一人で戦ってきましたから。あの子の『創造の竜』としての力が、私の革命に必要だと、そう判断していました」
創造の竜?
俺にはわからない単語だらけだ。
彼女は、一度視線を落とす。
だが、再び顔を上げた時、その瞳には先ほどとは違う、温かい光が宿っていた。
視線の先は、俺たちの新しい家から漏れる、ささやかな灯りだ。
「あなたたちを私の戦いに巻き込むわけにはいかない」
絞り出すような、か細い声。
「私の問題に、これ以上あなたたちを……。あの温かい家を、危険に晒すわけにはいかないのです。だから、どうか……」
「待てよ」
俺は、ルーミの前に立ちはだかった。
「お前がどこかへ行ったところで、もう手遅れかもしれねえぞ」
「……え?」
「クータルの力は、もう隠しきれるもんじゃねえ。農場の一件も、収穫祭での奇跡も、街の連中はみんな知ってる。あの子を『女神様』だなんて呼び始めてる奴までいる始末だ。そんな存在を、連中が見逃すと思うか?」
俺の指摘に、ルーミは息を呑み、言葉を失う。
「お前がいようがいまいが、俺たちはもうとっくに面倒事のど真ん中にいるんだよ。だったら、事情をよく知ってる奴が一人でも近くにいてくれた方が、よっぽど心強い」
そして、俺は続ける。
これが、理屈を超えた、俺の本当の答えだ。
「それに……ミーシャの師匠を、みすみす見捨てる父親がいるか」
俺の、偽らざる本心だった。
「ルーミ。なぜだかわからんが、俺は、お前と一緒にいたいんだ」
彼女の肩がびくりと大きく震えたのが分かった。
「私がいると、災いが訪れますから」
俺は、まっすぐに見つめ返した。
「そんなの関係ねえ。降りかかる火の粉は俺達が払ってやる。お前は、この街で、俺の娘の大事な師匠になったんだ。それはもう、俺たち家族の一員ってことだ。違うか?」
ルーミは、何も言えない。
ただ、固く唇を結び、俯いてしまう。
その瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……本当に、もう行かなくちゃならねぇってのなら、仕方ない。でも、もう少しだけでも、俺達と一緒にいたいと思ってもらえるなら、一緒にいてほしいんだ」
俺は、ニヤリと笑ってみせた。
「俺たちの新しい城にはな、大事な客人をもてなすための『ゲストハウス』ができたところだ」
俺の言葉に、ルーミは苦笑した。
「……強引な人ですね。そうやって、皆を家族にしていったのですか?」
「そうだ」
ルーミは深く息を吐いた。
「ひとつだけ、条件を出してもいいですか?」
「なんだ?」
「……お兄様とお呼びしてもいいでしょうか?」
「はぁ?」お兄様だ?「まあ、好きに呼んだらいいが……。さあ、帰るぞ。腹、減っただろ?」
俺は、有無を言わさず、彼女の腕を掴んだ。
◇◇◇
まだ真新しい木の匂いがする、離れのゲストハウス。
そのリビングで、俺とシグルーンは、ルーミと向かい合って座っていた。
テーブルの上には、ピヒラが淹れてくれた湯気の立つハーブティーが三つ。
「……捕らえた刺客は、ギルドに引き渡した。街の衛兵団が、今頃、詳しい事情を聞いているだろう」
シグルーンが、元ギルド支部長としての冷静な口調で切り出す。
その言葉に、ルーミは観念したように、ふぅ、と深いため息をついた。
彼女は、カップを両手で包み込むように持つと、ぽつり、ぽつりと、自分の正体と、その背負った宿命を語り始めた。
「私の本当の名は、ルーミ・ヴィンタークラーグ。滅ぼされたヤンリケ皇国の旧貴族、その生き残りです」
やはり、ただの吟遊詩人じゃなかったか。
「私を追っていたのは、皇国の刺客だけではありません。彼らの背後には、もっと巨大な、そして狂信的な組織が存在します。―――その名は、『古竜教団』」
『古竜教団』。
やばそうなやつらだ。
隣に座るシグルーンの表情が、一瞬で凍りついた。
「馬鹿な……」
彼女の声が、震えている。
「禁書に記されただけの、神話時代の狂信者だと思っていたが……実在していたとは」
「ええ」とルーミは頷く。「そして、彼らが狙っているのは、私だけではありません。先日、街の農場を襲った、あの不気味な呪術。あれも、おそらくは教団の仕業です。彼らが、ある『力』を観測するために行った、大規模な実験でした」
「『力』を観測……?」俺は話についていけなくなっていた。「一体、何のだ?」
ルーミは、俺の目を、まっすぐに見つめ返した。
「教団が狙っているのは、この世界の『リセット』です。神話に謳われる『終焉の竜』を復活させ、この腐敗した世界を、一度、無に還そうと目論んでいます。そして、その復活の儀式を阻むことができる、唯一の対抗存在。それこそが……」
彼女は、一度言葉を切ると、苦しげに、だがはっきりと告げた。
「『創造の竜』の末裔。―――あなたたちの娘、クータルちゃんなのです」
しん、と。
部屋が、水を打ったように静まり返った。
うーん、なんだかスケールのでかい話になってきやがった。
ホーコンの野郎も、この世界をやり直せるなら……みたいなことを言っていたか。
あいつも関係者だったということか?
俺たち家族のささやかな日常の裏で、とんでもない物語が動き出していた。
その中心に、あの無邪気な娘がいる。
ぞくり、と。
背筋を、冷たい汗が伝った。
◇◇◇
張り詰めた、重苦しい空気。
それを破ったのは、あまりにも場違いで、あまりにも優しい音だった。
こん、こん。
ゲストハウスの扉が、控えめに叩かれる。
俺たちが、はっとしたように顔を上げると、ぎぃ、と音を立てて扉が開いた。
そこから小さな影が二つ、ひょっこりと顔を覗かせる。
パジャマ姿のミーシャと、その背後から顔を出すクータルだった。
ミーシャは、目にいっぱいの涙を溜めながら、一目散にルーミの元へと駆け寄ってきた。
そして、その服の裾を、小さな手でぎゅっと掴む。
「先生……!」
嗚咽が漏れる。
言葉にならない、心の叫び。
「いなくならないで、くれて……ありがとう、にゃ……っ!」
その、あまりにも純粋な言葉。
「……ミーシャちゃん」
ルーミは、その小さな体を、壊れ物を扱うように、だが力いっぱい抱きしめた。
「ごめんね……ごめんね……!」
クータルが、そんな二人の頭を、お姉さんぶった仕草で「よしよし」と優しく撫でている。
◇◇◇
俺は、涙ぐむルーミと、その胸で安心しきって眠ってしまった娘たちを、優しい目で見守りながら、改めて告げた。
「聞こえただろ、ルーミ。ここが、お前の新しい居場所だ。これからは、俺たち家族が、何があってもお前を守る」
「ありがとうございます。『《《お兄様》》』」
そう言って、ルーミは微笑んだ。




