表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/135

第85話 音楽会

 ウィッカーデイルの収穫祭の朝は、いつもより少しだけ騒がしい。

 遠くから聞こえてくる準備の喧騒と、焼き菓子の甘い匂い。


 だが、俺たちの新しい家の食卓を支配していたのは……。

 そんな陽気な空気とは真逆の、どうしようもなくぎこちない沈黙だった。


 原因は、俺と、俺の正面に座るソルヴァだ。

 昨日の、あの夕暮れの口づけ以来、俺たちはまともに顔を合わせられずにいた。

 ちらりと視線が合っては、慌ててパンに視線を落とす。

 その繰り返しだ。


 ……我ながら、四十過ぎのおっさんが、何をやってるんだか。


「……なんだお前たち、昨夜何かあったのか?」


 紅茶をすすりながら、シグルーンが面白そうに俺たちを見つめてくる。

 その、全てを見透かしたような視線に、俺とソルヴァの肩がびくりと跳ねた。


「な、なんでもない!」


「ええ、何もありませんでした!」


 声が見事に重なり、余計に墓穴を掘る。


 シグルーンは「ふぅん」と意味ありげに鼻を鳴らすと、それ以上は追及してこなかった。


 そんな、大人たちの不器用なやり取りをよそに、今日の主役は、完全に自分の殻に閉じこもっていた。


「ミーシャ、朝ごはん、ちゃんと食べないと力が出ないよ」


 ピヒラが心配そうに声をかける。


 だが、ミーシャは「……うん」と力なく頷くだけだ。

 スープにほとんど口をつけず、自慢の猫耳も尻尾も、だらりと力なく垂れ下がっている。


 無理もねえ。

 今日が、あいつにとっての初舞台なんだ。


「みーしゃ、だいじょーぶ!」


 見かねたクータルが椅子から飛び降り、ミーシャにぎゅっと抱きついた。


「失敗したっていいんだぞ」俺もミーシャの頭を撫でる。「お前がステージに立ってくれるだけで、パパは嬉しいんだからな」


 シグルーンも力強く頷いた。


「そうだ。お前ならできる。私たちがついている」


「……みんな」


 家族の温かい言葉に、ミーシャの瞳がわずかに潤んだ。

 彼女は、一度だけぎゅっと唇を噛み締めると、こくりと小さく頷いた。

 そうだ。

 この子の背中には、俺たちがいる。


 うまくいかなくてもいい。

 失敗したっていい。

 頑張ったなら、それでいいんだ。


◇◇◇


 ウィッカーデイルの中央広場は、これ以上ないほどの活気に満ち溢れていた。

 色とりどりの飾り付け、陽気な音楽、そして、どこまでも続く人々の笑顔の波。

 娘たちは、その喧騒に目を輝かせている。


「わーい! おまつり!」

「すごい人……!」


 俺は、そんな娘たちから目を離さないようにしながらも、意識の半分を、別の場所へと飛ばしていた。

 斥候としての、感覚を。


 ―――いるな。


 喧騒の中に、溶け込んでいるようで、明らかに異質な気配が、五つ。

 獲物を狙う、研ぎ澄まされた獣の匂い。

 祭りの熱狂とは無縁の、冷たい殺気。


 ヤンリケ皇国の刺客……だろうか。

 だとすると、狙いはルーミだ。


 俺は、視線だけでシグルーンに合図を送る。


 『五時の方角、屋根の上。弓兵』


 彼女は、俺の視線の先を一瞥しただけで全てを理解し、無言で頷き返した。


 次に、ソルヴァへと視線を移す。


 『九時の方角、露店の影。二人組』


 彼女は一瞬戸惑ったが、すぐに状況を察したようだ。

 その表情を引き締めた。


 俺たちは、娘たちに気づかれぬよう、ごく自然に立ち位置を変える。


◇◇◇


 やがて、陽が傾き、祭りの熱狂が最高潮に達した頃。

 広場に設えられた特設ステージに、司会者の声が響き渡った。


「さあ、皆様お待たせいたしました! 本日のメインイベント、音楽会の始まりです!」


 万雷の拍手の中、ミーシャが、クータルに手を引かれてステージへと上がっていく。

 深い藍色のワンピースが、夕暮れの光を浴びて、星空のようにきらきらと輝いていた。

 その小さな体は、まだ恐怖で微かに震えている。


 舞台袖で、ルーミが優しくその背中を押した。


 ミーシャは、一度だけ客席にいる俺たちの方を不安そうに見た。


 俺は、力強く頷き返す。


 大丈夫だ。

 お前の背中は、俺たちが守る。


 静まり返る広場。


 ミーシャは、目をぎゅっと瞑ると、震える指で、そっとリュートの弦を弾いた。


 ぽろん、と。

 紡がれた最初の音は、まだ少しだけ、おぼつかなかった。

 だが、その音色には、確かに魂が宿っていた。

 震えながらも、必死に紡がれる旋律。

 それは、ルーミが教えてくれた、あの懐かしい故郷の歌。

 この街に来て、俺たちと出会って、彼女が感じた全ての喜びと、悲しみが、その音色に込められている。

 聴衆が、息を呑む。誰もが、その小さな体から放たれる、あまりにも痛々しく、あまりにも純粋な魂の音に、心を奪われていた。


 だが、俺には分かった。

 まだ、本当のミーシャの音じゃない。

 恐怖が、その才能を薄い膜のように覆っている。


 その、張り詰めた沈黙を破ったのは、もう一人の、小さな女神だった。

 ステージの上で、ミーシャの手をぎゅっと握りしめていたクータルが、すう、と息を吸い込んだのだ。


「ふん、ふふん……」


 最初は、小さなハミングだった。

 ミーシャの奏でるリュートの旋律に、そっと寄り添うような、優しい歌声。

 だが、その声には、聴く者の魂を直接揺さぶるような、不思議な力が宿っていた。

 あの農場で、死んだ大地を蘇らせた、生命そのものの歌。


 クータルの歌声に、ミーシャの肩から、ふっと力が抜けたのが分かった。

 恐怖の膜が、破れた。

 彼女は、ゆっくりと目を開ける。

 そして、隣で歌うクータルを見て、ふわりと、はにかむように微笑んだ。


 もう、一人じゃない。

 その確信が、ミーシャの指に、本当の力を与えた。

 リュートの音色が、変わる。

 切なく、優しく、そして、どこまでも力強い、魂の旋律へと。


 姉妹の奏でる奇跡のデュエット。

 その、あまりにも美しく、神々しいまでのハーモニーが、収穫祭の夜空に響き渡る。


 ――そして、影が動いた。


 屋根の上の弓兵が、聴衆の注意がステージに集中している隙を突き、音もなく矢を番える。

 その狙いは、舞台袖でミーシャを見守る、ルーミだ。


 だが、その引き金が引かれることはなかった。


 いつの間にか背後に回り込んでいたシグルーンが、露店の影から投げた石一つで、弓兵の意識を正確に刈り取っていた。

 崩れ落ちる人影は、祭りの喧騒の中に、誰にも気づかれることなく消えていく。


 姉妹の奏でる奇跡のデュエットが、少しだけ力強い、リズミカルな旋律を奏で始める。

 その音色に合わせるように、俺は動いた。

 人混みをすり抜け、露店の影に潜む二人組の背後を取る。

 一人目の首筋に、手刀を音もなく叩き込む。

 二人目が異変に気づき振り返るより早く、その鳩尾に、柄頭を深く、静かにめり込ませた。


 ソルヴァもまた、動いていた。

 彼女は、何気ないふうを装って、残る二人の刺客の足元に、ジュースを「こぼして」みせる。

 次の瞬間、こぼれた液体は、誰にも気づかれぬまま、極薄の氷の膜となって刺客たちの動きを完全に封じた。

 身動きが取れなくなった二人の背後に、回り込んでいた俺とシグルーンが、同時にその意識を闇へと沈める。


 全てが、ほんの数十秒の出来事。

 ミーシャとクータルの魂の演奏をBGMに、俺たちは、音もなく、血も流さず、完璧に脅威を排除してみせた。


◇◇◇


 やがて、最後の音が、静かな余韻を残して、夕暮れの空に溶けていく。

 一瞬の静寂。

 それを破ったのは、誰かの、堰を切ったような拍手だった。

 それは、一人、また一人と伝染し、やがて、ウィッカーデイルの街を揺るがすほどの、万雷の喝采へと変わった。


「すごいぞ、嬢ちゃんたち!」

「ブラボー!」


 ミーシャは、呆然とした顔で、自分に降り注ぐ称賛の嵐を見つめている。

 やがて、その瞳から、ぽろり、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それは、恐怖の涙じゃない。

 安堵と、喜びと、そして、どうしようもないほどの達成感に満ちた、温かい涙だった。


 俺は、人混みの中で、ただ、涙をこらえながら、誰よりも大きな拍手を娘に送っていた。

 よくやった。

 本当によくやったな、ミーシャ。


◇◇◇


 ステージの周りには、瞬く間に人だかりができていた。

 興奮した街の連中が、口々に称賛の言葉を送り、姉妹の頭を撫でようと手を伸ばしてくる。


 よし。

 この喧騒こそが、絶好の好機だ。

 俺は、シグルーンとソルヴァに「刺客を片付けてくる」とだけ目配せし、音もなくその場を離れた。

 娘たちの晴れ姿を、もう少しだけ見ていたい気持ちを振り払いながら……。


 俺が裏路地に転がしておいた刺客たちを尋問しようとした、その時だった。

 ふと、嫌な予感が胸をよぎる。

 舞台袖にいたはずの、ルーミの気配が消えている。


 まずい。

 俺は刺客たちを放置し、急いで広場へと戻った。

 家族はまだ、街の連中にもみくちゃにされている。

 だが、やはりルーミの姿だけがどこにもない。


「ルーミさんを知らないか!?」


 俺のただならぬ様子の声に、シグルーンがはっとした顔で答える。


「わからない。気づいたときには、もう……」


 俺は斥候としての全感覚を解放し、彼女の痕跡を追い始めた。

 ルーミの発するかすかな魔力を追う。

 人混みを抜け、裏路地を駆け……その魔力の痕跡は、ウィッカーデイルの南門へと続いていた。


 門の外、月明かりが照らす街道に、その人影はあった。

 リュートを背負い、ただ一人、静かに佇んでいる。


「……行くのか。挨拶もなしか」


 俺の声に、ルーミはゆっくりと振り返った。

 その顔に、驚きはない。


「ええ。あなたなら、追いついてくると思っていました」


 彼女は、俺の目をまっすぐに見つめると、静かに、だが重い言葉を紡ぎ始めた。


「刺客たちの狙いは、私です。私がこの街に長居すれば、いずれ、あなた方家族にも危害が及ぶ。……もう、そんなことはたくさんですから」


「ヴィンタークラーグ、だったか。お前は、一体何者なんだ」


 その名を聞いた瞬間、ルーミの瞳が、鋭い光を宿した。

 彼女は、諦めたように、ふっと息を吐く。


「……私の本当の名は、ルーミ・ヴィンタークラーグ。滅ぼされたヤンリケ皇国の旧貴族、その最後の……いえ、二人のうちの一人の生き残りです」


 二人……?

 もうひとり生き残りがいるということか。


「……お前が、あの農場に呪いをかけたのか?」


 俺の問いに、ルーミの肩が震えた。


「……違う! 断じて違います!」叫ぶように言葉をつむぐ。「あれこそが、私が破壊しようとしている、古い世界のやり方です。力で全てを捩じ伏せ、命を弄び、絶望を撒き散らす……。父様と母様を殺し、私たちの故郷を奪った、あの忌まわしい者たちの思想そのものです」


「革命、と言っていたな。お前は、一体何をしようとしているんだ」


「復讐ではありません。私が目指しているのは、この腐敗した世界そのものの、革命です」


 彼女は、月を見上げ、ぽつりと、つぶやいた。


「そして、私は、このウィッカーデイルで見つけました。クータル。あの子こそが、革命の鍵なんです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ