第84話 今日の、お礼です
新しい我が家で迎える朝は、いつだって、幸せな騒がしさで満ちている。
「ぱぱー!」とクータル。「みてみて、ピヒラが作った目玉焼き、おひさまみたいだよー!」
「こら、クータル。お皿を揺らしたら落ちるだろ」と俺が注意する。
「にゃっふん! この完璧な焼き加減、チーフ・ガーディアンとして合格点を出すでありますにゃ!」
「ふふ、ミーシャ、ありがとう。さあ、みんな冷めないうちに食べて」
新しくなった、広々としたリビング。
大きな木のテーブルを囲んで、俺の家族たちが賑やかに朝食をつついていた。
シグルーンとソルヴァも、そんな娘たちの様子を、本当の母親のような優しい目で見守っている。
がらんどうだったあのボロ家が、嘘のようだ。
この、騒がしくて、手がかかって、どうしようもなく温かい毎日。
これこそが、俺が人生の最後に手に入れた、かけがえのない宝物だった。
「そういえば、もうすぐ『収穫祭』ですね」
ソルヴァが、ふとそんな話題を口にした。
その一言に、ミーシャの猫耳がぴくんと反応し、クータルは「おまつり!」と目を輝かせる。
「今年の収穫祭の目玉は、なんといっても音楽会だ。ミーシャとクータルの初舞台、パパは楽しみにしてるからな」
俺がそう言って笑いかけると、ミーシャは「にゃ、にゃっふん!」と照れくさそうに胸を張り、クータルは「くー、がんばるー!」と小さな拳を握りしめた。
だが、その隣で、ピヒラが心配そうな顔で小首をかしげた。
「でも、ミーシャとクータルがステージに立つ時の、お洋服はどうするの? いつものお洋服じゃ、少し寂しいかもしれないよ」
その、あまりにも的確な指摘。
しん、と食卓が静まり返った。
……そうだった。
肝心の、二人の晴れ舞台に着ていく一張羅が、どこにもねえ。
俺は、ガシガシと頭を掻いた。
こういう時、普通の父親なら、さっとお洒落な店に連れて行って、可愛い服の一つでも見立ててやるんだろうが……。
生憎、俺にはそういう服とか、まったくわからないんだよなぁ。
俺は助けを求めるように、この家で一番、そういうことに詳しそうな人物に視線を送った。
「……すまん、ソルヴァ。その……フリフリしたやつのこと、俺にはさっぱり分からん。一緒に、来てくれんか?」
◇◇◇
結局、その日の昼下がり、俺は三人娘とソルヴァを連れ、ウィッカーデイルの街へと繰り出すことになった。
もちろん、目的はミーシャとクータルの舞台衣装探しだ。
「わーい! おでかけ、おでかけー!」
「ミーシャ、どんなお洋服がいい?」
「う、うーんと……。あたし、なんでもいいにゃ……」
娘たちが、きゃっきゃと楽しそうに俺の周りを駆け回る。
その賑やかさが、どうしようもなく心地いい。
やがて、ソルヴァに案内されてたどり着いたのは、俺一人じゃ絶対に足を踏み入れられないような、小洒落たブティックだった。
色とりどりのドレスや、繊細なレースがあしらわれたブラウスが、所狭しと並んでいる。
完全に、アウェイだ。
俺は、店の隅で仁王立ちしたまま、居心地の悪さに身を縮こまらせていた。
「ミーシャ、こっちに来て」とソルヴァ。
ソルヴァは手際よく何着かのワンピースを手に取ると、ミーシャを手招きした。
「あなたのその髪の色と、琥珀色の瞳には、きっと、この深い青が映えるはず」
彼女が選んだのは、夜空を思わせるような、深い藍色のワンピースだった。
星屑のように、銀色の糸で繊細な刺繍が施されている。
派手さはないが、凛とした気品を感じさせる、見事な一着だった。
「わ、わぁ……」
鏡の前に立ったミーシャが、感嘆の息を漏らす。
普段の活発な姿とは打って変わって、知的な雰囲気をまとっている。
「そしてクータルは……そうね、あなたはその太陽のような明るさが魅力だから、この純白のドレスなんてどうかしら」
「わーい! おひめさまみたい!」
クータルは、フリルが何層にも重なった真っ白なドレスを前に、その場でくるくると嬉しそうに回っている。
その姿は、まさにおとぎ話から抜け出してきたお姫様そのものだった。
あまりの変身ぶりに、ピヒラも「二人とも、すごくきれい……!」と、うっとりとため息をついている。
俺は、そんな娘たちの姿と、その隣で満足そうに微笑むソルヴァの横顔を、ただ黙って見つめていた。
すごいな、こいつは。
俺には到底できねえことを、いとも容易くやってのける。
◇◇◇
買い物を終えた帰り道。
新しい服が入った箱を大事そうに抱えた娘たちは先に家に帰らせることにした。
少しだけ、野暮用がある、と嘘をついて。
本当は、少しだけ、こいつと話がしたかったんだ。
「すまんな、付き合わせちまって」
俺たちは、街角の小さなカフェで、向かい合って座っていた。
二人きりになるのは、ずいぶんと久しぶりな気がする。
何を話せばいいのか分からず、気まずい沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは、俺の方だった。
「……あいつら、喜んでたな」
「ええ。とても、よくお似合いでした」
ソルヴァも、どこか嬉しそうに微笑む。
その顔を見ていたら、俺も自然と、口元が緩んだ。
「そういや、思い出したぜ。お前の兄貴……オーウェンの奴も、昔、同じようなことで悩んでたな」
「兄様が?」
「おう。お前の誕生日に、何か贈り物をしたいんだが、何がいいかさっぱり分からねえって、俺に泣きついてきてな。結局、二人で一日中、王都中の店を歩き回って、お前に似合いそうな髪飾りを、必死に探したんだ。俺にも、プレゼントなんて、わかるわけないのにな。あいつ、誰よりもお前のことを想ってた、最高の兄貴だったぜ」
俺がそう言って笑うと、ソルヴァの瞳が、みるみるうちに潤んでいくのが分かった。
「……知りません、でした。兄様が、そんな……」
ぽろり、と。
彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
だが、その顔は、悲しんでいるんじゃない。
心の底から、幸せそうに、彼女は微笑んでいた。
「……お兄様は、人を見る目だけはありましたから。貴方のような人が、兄の最後の友人であり、そして、私の家族になってくれて、本当に良かった」
その、あまりにも真っ直ぐな感謝の言葉。
俺は、照れくさくて、ただガシガシと頭を掻くことしかできなかった。
◇◇◇
カフェを出る頃には、空は美しい茜色に染まっていた。
夕暮れの帰り道。
俺たちは、言葉もなく、ただ並んで歩く。
家の前の、最後の角を曲がろうとした、その時だった。
「……ありがとうございます、ダンスタンさん」
ふと、隣を歩いていたソルヴァが、足を止めた。
そして、俺の方に、ゆっくりと向き直る。
夕日を背にした彼女の顔は、逆光でよく見えない。
だが、その声が、どうしようもなく震えているのだけは、分かった。
「今日の、お礼です」
彼女は、そう囁くと、すっ、と背伸びをした。
ちゅ、と。
柔らかくて、温かい何かが、俺の頬に、ほんの一瞬だけ触れた。
「…………へ?」
俺の、四十二年間の人生で、一度も発したことのないような、間抜けな声が漏れた。
頬に残る、柔らかな感触。
鼻腔をくすぐる、甘い香り。
時間が、止まった。
俺の脳は、目の前で起きた出来事の処理を、完全に放棄していた。
思考が、真っ白に染まっていく。
そんな、完全にフリーズしている俺の横顔を。
ソルヴァは、頬を夕焼けよりも真っ赤に染めながら、幸せそうに、しかし、どこか泣き出しそうなほど切なそうに、ただ、じっと見つめていた。




