第83話 我が家
ひんやりとした初秋の空気が、心地いい。
俺は、目の前にそびえ立つ、真新しい我が家を、ただ黙って見上げていた。
長かったような、あっという間だったような。
クータルの天変地異から始まり、ピヒラの森の助け……。
そしてゴードン棟梁たち街の仲間たちの汗と技術。
その全てが、今、この一つの形になっている。
俺が羊皮紙に描いた、ただの夢物語だったはずの設計図が、完璧な形で目の前に建っている。
俺は、最後の一本となる真鍮の飾り釘を、玄関扉の脇框にそっとあてがった。
手にした金槌に、ぐっと力を込める。
カン、と。
澄んだ、最後の槌音が、ウィッカーデイルの青い空に響き渡った。
俺は、完成した我が家をもう一度、ゆっくりと見渡す。
込み上げてくる、どうしようもないほどの達成感と、胸が熱くなるような幸福感。
俺は、腹の底から、ありったけの声を張り上げた。
「―――よし、できたぞ! 俺たちの、城が!」
その声に、控えていた三つの小さな竜巻が、弾丸のように飛び出してきた。
「「「わーい! できたーっ!」」」
クータル、ピヒラ、ミーシャ。
三人の娘たちが、完成したばかりの我が家をきゃっきゃと笑いながら駆け回り、俺の足に代わる代わる抱きついてくる。
その、どうしようもなく愛おしい重みを全身で受け止めながら、俺は、柄にもなく、少しだけ滲んだ視界で、天を仰いだ。
オーウェン、見てるか。
俺、ちゃんとやれてるみたいだぜ。
◇◇◇
その日の昼下がり。
俺たちの新しい城には、ウィッカーデイルの仲間たちが、続々と集まってきていた。
「……おいおい、ダンスタン。いい家じゃねえか!」
一番乗りでやってきたギュンターが、あんぐりと口を開けたまま、目の前の建物を呆然と見上げている。
彼の隣では、リーネさんも「素敵なおうちですね……」と、感嘆の息を漏らしていた。
ゴードン棟梁をはじめとした大工仲間たちも、自分たちが建てた傑作を前に、満足げな、そして誇らしげな顔で酒を酌み交わしている。
俺たちの新しい家は、街の仲間たちの温かい祝福と、娘たちの賑やかな笑い声に包まれていた。
かつて、静寂と孤独だけが満ちていた俺の人生が、嘘のようだ。
俺は、そんな喧騒の中心で、ただ、どうしようもなく幸せな気持ちで、エールを呷った。
「さて、と」
俺は立ち上がると、集まってくれた仲間たちに向かって、ニヤリと笑いかける。
「せっかく来てくれたんだ。自慢の城の中を、案内させてくれよ」
◇◇◇
俺の言葉に、仲間たちから「おおっ!」と歓声が上がった。
俺は、胸を張り、家族の夢が詰まった我が家を、一歩ずつ案内していく。
「まずは、ここだ」
玄関を入ってすぐ右手。
そこには、ギュンターの店に勝るとも劣らない、広々とした厨房が広がっていた。
最新式の石窯、磨き上げられた調理台、そして、壁一面に設えられたスパイスラック。
「すごい……! 私の、厨房……!」
ピヒラが、目をキラキラと輝かせ、夢見るような表情で、自分の城を見つめている。
次に案内したのは、二階の奥にある、静かで、落ち着いた一室。
窓からは、ウィッカーデイルの森が一望できる。
壁一面に作り付けられた巨大な本棚には、まだ一冊の本も収まっていない。
「……素晴らしい」
ソルヴァが、感極まったように、そっと本棚の木肌に触れた。
彼女の知性が、この家を、そして俺たちの未来を、さらに豊かなものにしてくれるだろう。そのための、ささやかな投資だ。
クータルとミーシャの部屋は、とにかく広く、日当たりがいいことを最優先した。
壁の一面は、クータルが好きなだけ落書きできるように、特殊な漆喰で仕上げてある。
二人は、完成したばかりの自分たちの部屋を、きゃっきゃと笑いながら、靴下のままスケートみたいに滑り回っていた。
そして、最後。
俺は、仲間たちを、一番奥にある、少しだけ小さな部屋の前へと導いた。
「ここは……?」
ギュンターの問いに、俺は答えなかった。
ただ、ミーシャの背中を、ぽん、と優しく押してやる。
彼女は、こくりと一つ頷くと、おそるおそる、その扉を開けた。
部屋の中には、何もない。
ただ、壁と天井が、分厚い、特殊な吸音材で覆われているだけ。
部屋の奥には、小さな、一段だけのステージ。
ミーシャのための、『防音室』だ。
彼女は、その部屋に一歩足を踏み入れたまま、固まっていた。
人前で歌うことを恐れていた、この優しい娘。
だが、彼女は、俺のために、そして街のみんなのために、ステージに立つことを決意してくれた。
そんな彼女の、大きな一歩を、俺は全力で応援したかった。
誰にも邪魔されず、心ゆくまで、自分の音と向き合える場所を、どうしても作ってやりたかったんだ。
「……っ」
ミーシャの肩が、小さく震え始めた。
ぽろり、と。
その大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
彼女は、ゆっくりとこちらに振り返ると、ぐしゃぐしゃの、涙で濡れた顔のまま、これまでで一番、幸せそうな笑顔で、言った。
「パパ……ありがとう、にゃ……!」
その声に、俺の涙腺も、あっけなく決壊した。
……なんだか、歳をとると涙もろくなるんだよな……。
◇◇◇
仲間たちが帰り、夜の帳が下りる頃。
俺たちの家には、静かで、温かい時間が戻ってきた。
俺は、新しくなったリビングの、大きな暖炉に、初めての火を入れた。
パチパチ、と。
心地よい薪のはぜる音が、高い天井に響き渡る。
やがて、その温かい光に吸い寄せられるように、家族が一人、また一人と、暖炉の前に集まってくる。
シグルーン、ソルヴァ、そして、眠い目をこする娘たち。
全員が、思い思いの場所に腰を下ろし、ただ、揺れる炎を黙って見つめている。
言葉はない。
だが、この場にいる誰もが、同じことを感じているんだと思った。
(ああ、ここが、帰る場所なんだ)
長い旅は、終わった。
俺たちは、ようやく、本当の意味での『我が家』にたどり着いたんだ。
俺は、隣でこくりこくりと船を漕ぎ始めたクータルの頭を、そっと自分の肩にもたれさせてやる。
その、どうしようもなく愛おしい重みを感じながら、俺は、これからの、騒がしくて、手がかかって、そして間違いなく幸せな毎日を想い、一人、静かに微笑んだ。




