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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第82話 月夜の演奏会

 ウィッカーデイルの街が、浮き足立っていた。

 もうすぐ、年に一度の『収穫祭』がやってくる。

 その準備で、街中がそわそわとした、心地よい熱気に包まれている。

 俺たちの家にも、その楽しげな空気は届いていた。


「今年の収穫祭の目玉は、なんといっても音楽会です!」


 昼下がり、俺たちの家にやってきた新ギルド支部長のヒルルヤが、目をキラキラと輝かせながらそう切り出した。


「そこで、ぜひ、ミーシャちゃんとクータルちゃんに、特別ゲストとしてステージに立っていただきたいのです! お二人の奇跡の歌声は、もう街中の噂ですから!」


 農場の一件以来、娘たちはすっかりこの街で人気者だ。

 ヒルルヤの提案に、クータルは「くー、うたうー!」と大喜びで飛び跳ねている。


 だが、俺の隣にいたミーシャの肩が、びくりと小さく震えたのを、俺は見逃さなかった。


「……あたしは、いいにゃ」


 消え入りそうな、か細い声。


「え?」とヒルルヤが不思議そうに首をかしげる。「どうしてです? ミーシャちゃんの演奏をききたい人、たくさんいると思いますよ」


 その、あまりにも無邪気な一言が、引き金になった。


「あたしなんて、可愛くないし、隅っこにいるのがお似合いだにゃ……」


 ぽろり、と。

 ミーシャの大きな瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 彼女は、そのまま俺の後ろに隠れるようにして、小さな声で嗚咽を漏らし始めた。


 まずい。

 ミーシャは自己肯定感が低いときがたまにあるんだよなぁ……。


「あ、あの……わ、私は、そんなつもりじゃ……」


 狼狽するヒルルヤに、シグルーンが「気にするな。お前が悪いわけじゃない」と静かに声をかける。


 結局、その話は立ち消えになり、重苦しい空気だけが、後に残った。


◇◇◇


 その夜、俺は一人、師匠であるルーミの元を訪ねていた。


「なるほど」と話を聞いたルーミはうなずいた。


「どうしたらいいと思う?」


「そうですね……。無理にステージに立たせるのも違うと思いますし。でも、ステージに立つことで得られる経験も、かけがえのないものです。ひとまず、あの子の心を癒やす方法を考えてあげてください」


 ああ、そうだよな。

 俺は、なんて馬鹿な父親なんだ。

 一番大事なことを見落としていた。


 俺は、覚悟を決めた。

 まず、ミーシャの心の傷を、俺がこの手で癒してやらなきゃならねえ。


◇◇◇


 月明かりが、屋根裏部屋を静かに照らしていた。

 ミーシャは、膝を抱え、窓の外をただ、ぼんやりと眺めている。

 俺は、音を立てないように、その小さな背中に、ゆっくりと近づいた。


「……ミーシャ」


 俺の声に、娘の肩がびくりと震える。


「昼間は、悪かったな。無理なことを言っちまって」


「……ううん。パパは、悪くないにゃ」


 俯いたままの、か細い声。


 俺は、彼女の隣に、そっと腰を下ろした。


「なあ、ミーシャ」


 俺は、できるだけ優しい声で、語りかけた。


「パパ一人にだけ、お前の曲を聴かせてはくれないか?」


 俺の言葉に、ミーシャは、はっとしたように顔を上げた。


「街のみんなのためじゃなくていい。誰かに褒めてもらうためでもない。ただ、俺のためだけに。お前の、その最高の音色を、パパ一人にだけ、聴かせてほしいんだ。……だめか?」


 しばらくの沈黙。


 やて、彼女は、こくりと一つ、小さく頷いた。

 そして、震える手で、壁に立てかけてあった、虎柄のリュートを、そっと胸に抱きしめる。


 ぽろん、と。

 月明かりの下で、最初の音が、静かに紡がれた。


 それは、ルーミが教えてくれた、あの懐かしい故郷の歌。

 だが、俺が今まで聴いた、どの演奏とも違っていた。

 そこには、技術や正確さを超えた、魂そのものの響きがあった。


 切なくて、優しくて、どうしようもなく温かい音色にアレンジされている。


 それは、この子の心の叫びそのものだった。

 怖いよ、と。

 でも、パパに聴いてほしいんだ、と。

 その、あまりにも美しく、あまりにも痛々しい音色に、俺は、もう涙をこらえることができなかった。


 ぽろり、と。

 俺の頬を、熱いものが伝っていく。

 格好悪いとは思う。

 だが、どうしようもなかった。

 この、俺のためだけに奏でられる、世界でたった一つの、魂の演奏。

 それを前にして、涙を流さずにいられるほど、俺の心は強くはなかった。


◇◇◇


 やがて、最後の音が、静かな余韻を残して、月明かりの中に溶けていく。

 ミーシャは、リュートを抱きしめたまま、おずおずと俺の顔を窺っていた。


 俺は、涙を拭うこともせず、しゃがみ込むと、その小さな体を、力いっぱい抱きしめた。


「……世界一の演奏だったぞ、ミーシャ」


 俺の声は、情けないくらいに、震えていた。


「お前の音には、人の心を幸せにする力がある。パパは、今、世界で一番幸せな男だ。本当に、ありがとうな」


 それを聞いたミーシャの体から、ふっと力が抜けていくのが分かった。

 張り詰めていた、最後の糸が切れたのだろう。

 俺の胸に顔を埋め、声を上げて泣きじゃくり始めた。


 俺は、その小さな背中を、何度も、何度も、優しくさすってやる。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 やがて、泣き疲れたミーシャが、しゃくり上げながら、か細い、だが、確かな声で言った。


「……パパ」


「ん?」


「あたし……やってみる、にゃ。祭りの、ステージ……。みんなにも、聴かせてみたい、にゃ。パパが、幸せになったみたいに……」


 その、震えながらも、ひたむきな決意。

 俺は、込み上げてくる熱いものをこらえきれずに、ただ、娘の頭を、もう一度、力強く撫でてやった。


「おう。お前なら、きっとできる」


 小さな音楽家が、自らの意志で、大きな、大きな一歩を踏み出した。

 その、あまりにも尊い瞬間を。

 月だけが、静かに、優しく、照らし出していた。

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