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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第78話 妹と革命

 昨日、俺が「ミーシャにリュートを買い与えたいんだが」と相談した。

 そのとき、ルーミさんは「最初の楽器選びはとても重要ですから」と言って同行を申し出てくれた。


 そういうわけで、俺、ミーシャ、ルーミさんの三人でウィッカーデイルで唯一の楽器屋へ向かった。

 古びた木の扉をくぐる。

 壁一面に飾られたリュートや笛、見たこともない異国の弦楽器が、俺たちを出迎えた。

 その光景に、ミーシャは目をキラキラと輝かせている。


「さて、ミーシャちゃん」


 ルーミさんは、ずらりと並んだ楽器には目もくれず、まずミーシャの前にしゃがみ込む。


「初心者が最初に手にする楽器こそ、一番大切なものなの。安物や作りの悪い楽器は、才能の芽を摘んでしまうことさえある。音が悪くて、練習が少しも楽しくなくなってしまうから。でも、本当に良い楽器は、持ち主と一緒に歌ってくれる。あなたの、最高の友達になってくれるの」


 ほーん。

 そうなのか。

 音楽のセンスがない俺は、ただ感心して頷くことしかできない。


「だから、焦らないで。心の声に、耳を澄ませてみて。きっと、あなたを呼んでいる楽器が、この中のどこかにあるはず」


 ルーミさんの言葉に、ミーシャはこくりと頷いた。

 そして、楽器の間を歩き始める。

 やがて、彼女の足は、店の隅に置かれていた一本のリュートの前で止まる。

 その胴に使われている木材は、まるで虎の毛皮のような美しい縞模様を描いている。


 ミーシャはしばらく見とれていたようだが、値札を見て、さっと目をそらしていた。

 そして、急ぎ足で他の品へと移動する。


「これがいいのか?」


 俺が声をかけると、ミーシャはびくりと肩を震わせ、慌てて首を横に振った。


「う、ううんにゃ! こっちの、安いやつで十分だにゃ!」


 彼女が指さす先には、何の飾り気もない、ただの練習用のリュートが数本並んでいる。


 俺は、そんな娘の頭をわしわしと撫でてやった。

 そして店の主人に向かって、にやりと笑いかけた。


「おやじさん。すまねえが、そっちの虎柄のやつ、包んでくれるか」


「えっ!? パパ、でも……!」


「いいんだよ。たまにはパパに格好つけさせろ」


 俺の言葉に、ミーシャの大きな瞳が、みるみるうちに潤んでいく。


 店を出ると、ミーシャは真新しいリュートを、そっと胸に抱きしめた。


 本当に嬉しそうにしている。

 その顔を見られただけで、もう十分すぎるほど元は取れた気分だった。


◇◇◇


 その日の午後。

 俺たちの家の庭で、早速、ルーミ先生による最初のレッスンが始まった。


「では、ミーシャちゃん。まずは、このリュートの持ち方から。そう、優しく抱きしめるように」


 ルーミさんは、一つ一つ丁寧に、音楽のイロハを説いていく。

 ミーシャは、そっと構え、真剣な顔でその言葉に耳を澄ませている。


「じゃあ、簡単な音階を弾いてみるね。よく聴いて」


 ぽろん、ぽろん、と。

 ルーミさんが、澄んだ音色で手本を見せる。


 ミーシャは、こくりと一度だけ頷くと、そっと弦を弾いた。

 最初は、ぎこちない音が数回。

 だが、彼女はすぐに何かを掴んだようだった。


 数分後には、彼女はルーミさんが弾いた音階を、一音の間違いもなく、滑らかに奏でてみせた。


「……すごい」


 師匠であるルーミさんですら、感嘆の息を漏らす。

 その飲み込みの速さは、常軌を逸していた。


 レッスンは驚異的な速度で進んでいく。

 ミーシャは、ルーミさんの教えを次から次へと吸収していった。


 やがて、太陽が西に傾き始める頃。

 レッスンは、もはや一方的な指導ではなくなっていた。


 ルーミさんが楽しそうに簡単なメロディを奏でれば、ミーシャがそれに、覚えたばかりの和音を重ねて応える。


 どうだ、すごいだろう、俺の娘は。


◇◇◇


「驚きました。あの子は、間違いなく天才です」


 ルーミさんは、まだ興奮冷めやらぬといった様子で、ミーシャの才能を絶賛している。

 ミーシャ本人は、褒められすぎて照れくさいのか、俺の足元で丸くなって、尻尾をぱたぱたと揺らしていた。


 そんな、和やかな空気が流れる中だった。


「皆様お揃いで。楽しそうですね」


 家の奥から声が聞こえてきた。

 ソルヴァだった。

 彼女は、手にしていた本を閉じると、優雅な足取りでこちらへやってくる。


「ああ、ソルヴァ。ちょうどいいところに」


 俺は、立ち上がると、ルーミさんを紹介しようと口を開いた。


「ルーミさん、こいつはソルヴァだ。俺の……その、なんだ。妻であり、妹のような……」


 しん、と。


 急に空気が変わったように思えた。


 あれ?

 俺、なにか変なことを言ったか?


 ルーミさんの表情が、一気に冷たくなったように思えたのだ。


「初めまして、ルーミさん。ソルヴァと申します」


 声の主は、ソルヴァだった。

 ソルヴァは、ルーミさんの様子の変化に気づかないようだ。


「……妹さんなんですか? それとも、奥さん?」


 ソルヴァがにこやかに口を開いた。


「ふふ、どちらでもある、というのが正しいでしょうか。私は妻だと考えていますけれど」


「……ふぅん」


 ルーミさんは、それだけを言うと、興味深そうに、じっと俺とソルヴァの顔を交互に見比べた。


(な、なんだこの空気は……)


 なんだか居心地が悪かった。


 妹のような、婚約者。

 その言葉に、なぜルーミさんは引っかかっているんだろう。


 やがて、ルーミさんは、ふっと口元だけで微笑んだ。


「それはそれは、仲睦まじいことで」


 その声には、明らかに棘があった。

 ようやく、ソルヴァもその場の異様な雰囲気に気づいたのだろう。

 眉をひそめていた。


 気まずい沈黙が、まるで鉛のように重くのしかかる。


 俺が、何か言ってこの場を取り繕わなければと焦った、まさにその時だった。


「あ、あの……! そろそろ、レッスンの続きをお願いするにゃ!」


 声の主は、それまで俺たちのやり取りを見守っていた、ミーシャだった。

 我が家のチーフ・ガーディアンが、その鋭い危機察知能力で、この場の空気を読んでくれたらしい。

 ナイスだ、ミーシャ!


「そうですね。ごめんなさい、ミーシャちゃん。大事な時間を邪魔してしまいましたね」


 ルーミさんは、何事もなかったかのように、にこりとミーシャに微笑みかける。


 ソルヴァは、そんな二人の様子を、まだ少しだけ戸惑ったような顔で見つめている。

 俺は、ただ、早くこの気まずい時間が終わってくれと、心の中で祈ることしかできなかった。


◇◇◇


 その夜。

 今日はギルドから頼まれていた、夜の見回りの日だった。

 最近、街の治安が少しだけ悪化しているらしい。

 まあ、大したことじゃねえだろうが、これもCランク……いや、Bランク冒険者の大事な仕事だ。


 俺は、腰に剣を差し、静まり返ったウィッカーデイルの夜の街へと繰り出した。


 ひんやりとした夜気が、心地いい。

 月明かりが、石畳を淡く照らし出している。

 俺は、長年の経験で培った、斥候としての感覚を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと見回りルートを歩いていた。


 酒場の裏通りに差し掛かった、その時だった。

 前方の角から、見慣れた人影が、すっと現れた。

 月光に照らされた、雪のように白い髪。


 ルーミさんだった。


 彼女は、何かから逃れるように足早に歩いている。

 時折、不安そうに背後を振り返りながら。


 彼女の背後、数メートル離れた屋根の上と、路地の影。

 そこに、複数の気配が息を潜めている。

 素人じゃねえ。訓練された、プロの動きだ。


(……追われてやがる)


 俺がどう動くべきか判断するより早く、ルーミさんが俺の存在に気づいた。


 彼女は俺に向かって駆け寄ってきた。

 それは、パニックに陥った者の動きじゃない。

 何か、明確な意図を持った計算され尽くした動きだった。


「―――っ!」


 どん、と。

 柔らかくて、華奢な体が、俺の胸に飛び込んでくる。

 甘い香りが、鼻腔をくすぐった。


 彼女は、俺の体に、ぎゅっと、震える腕を回して抱きついてきた。

 そして、俺の耳元で囁く。


「すみません、話を合わせて。恋人のフリをしてください」


 俺が硬直していると、路地の角から、黒ずくめの男たちが数人、顔を覗かせた。

 男たちは、抱き合う俺たちを一瞥すると、小さく舌打ちし、音もなく闇の中へと消えていった。


 俺は、何が何だか分からないまま、ただ立ち尽くしていた。


「なんで追われてるんだ?」


 ルーミさんは俺から離れ、にっこりと笑い。

 そして、言った。


「ダンスタンさんは、革命って興味あります?」


 ん?

 何を言っているんだ、こいつは?

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