第75話 ただのおっさん
翌朝、俺は誰よりも早く目を覚まし、例の土地へ向かっていた。
昨日、俺たちの手で打ち立てられた一本の柱が立つ、広大な土地へと向かった。
ひんやりとした朝の空気が、心地いい。
さすがに俺ひとりじゃ家は建てられん。
大工たちの力が必要だ。
もちろん、プロの仕事をただで手伝わせるわけにはいかねえ。
しっかりと日当を払う約束で、街で腕利きのゴードンさんと、その仲間の大工たちに声をかけていたんだ。
「よう、ダンスタンさん。ずいぶんと早いお着きだな」
背後から声をかけられ、振り返る。
街の大工の棟梁、ゴードンさんだった。
その手には、年季の入ったノミと金槌が握られている。
彼の後ろからは、ぞろぞろと、他の大工たちも姿を現した。
その数、十数人。
全員が、やる気に満ちた、いい顔をしていた。
「おはようさん、ダンスタンさん!」
「今日は一日、よろしく頼むぜ!」
彼らの真っ直ぐな視線が、少しだけ気恥ずかしい。
俺は照れ隠しにガシガシと頭を掻くと、懐から丸めていた設計図を取り出し、地面に広げた。
「おう、おはようさん。こちらこそ、よろしく頼む。専門家のお前さんたちを前に、素人が口出しするのもなんだが……まずは、この図面通りに墨出しから頼めるか?」
俺の言葉に、ゴードンさんはニカッと笑って頷いた。
「おう、任せとけ! よし、野郎ども! 仕事の時間だ!」
◇◇◇
作業は、驚くほど順調に進んだ。
だが、昼を過ぎたあたりで、俺たちは最初の、そして最大の壁にぶち当たることになる。
「ダンスタンさん……こりゃ、まずいかもしれねえ」
ゴードンさんが、渋い顔で俺に言った。
「家の骨組みに使う、巨大な柱や梁が、どうにも数が足りねえ。これだけの規模の家となると、森の奥深くまで入って、樹齢数百年クラスの大木を何本も切り出してこなきゃならん。……今の俺たちの人手と時間じゃ、正直、厳しいと言わざるを得ねえな」
その言葉に、他の大工たちからも、重いため息が漏れた。
無理もねえ。
ちょっと、俺のつくった設計図が夢見すぎだった。
現実的な路線に修正するか……。
もう少しランクを落とした木ならなんとか……。
「あの……パパ」
声の主は、俺たちのために昼食の用意をしてくれていた、ピヒラだった。
彼女は、俺と、大工たちを交互に見つめると、少しだけはにかむように、だが、芯の通った声で言った。
「その木のことなら、私に、任せてもらえない?」
◇◇◇
俺たちは、ピヒラに導かれるまま、ウィッカーデイルの森の奥深くへと足を踏み入れていた。
一歩、また一歩と進むにつれて、空気が変わっていくのが分かる。
ただ、生命の息吹だけが満ちる、神聖な静寂が訪れる。
「……ここなら、大丈夫」
ピヒラは、陽光が木々の隙間から差し込む、小さな広場で足を止めた。
そして、俺たちに「少し静かにしていてくださいね」とだけ言うと、ゆっくりと目を閉じ、すう、と深く息を吸い込む。
次の瞬間。
空気が、震えた。
ピヒラの体が、淡い、柔らかな若葉色の光に包まれ始める。
風が止み、鳥の声が止み。
ただ、彼女の祈りのような声だけが、静かな森に響き渡った。
「お願い、みんな」
それは、言葉というより、歌だった。
森の木々に、土に、そして風に語りかける、生命そのものの歌。
「パパのお家を建てるのを、手伝ってほしいの。あなたのその、強くて、優しい体を、少しだけ、私たちに貸してはくれないかな」
彼女の祈りに、森が応えた。
ミシミシ……ゴゴゴゴゴ……ッ!
地鳴りのような、凄まじい音が響き渡る。
俺の目の前で、信じられない光景が繰り広げられた。
樹齢数百年はあろうかという巨大な樫の木が、まるで意思を持った生き物のように、その根を大地からゆっくりと引き抜き始めたのだ。
一本、また一本と。
森の木々が、自らの意志で立ち上がり、ピヒラの前に、まるで敬礼するかのように、その巨体を静かに横たえていく。
そして、その木が、みるみるうちに例の土地へと運ばれていく。
森自身が蠢き、木を運んでいるのだ。
それは荘厳で、神聖な奇跡だった。
……というか少しホラーかもしれない。
俺は、ただ言葉を失い、目の前で起きている奇跡と、その中心に立つ、俺の誇らしい娘の姿を、呆然と見つめていた。
さすが、エルフの姫だ。
いや、さすが、俺の娘だ。
◇◇◇
「さて、と。最高の材料は揃った。ここから先は、俺たち人間の出番だ」
俺は、シャツの袖をまくり上げると、運ばれてきたばかりの巨大な丸太の前に立った。
手にするのは、ただ一本の、使い古された手斧だけ。
「おいおい、ダンスタンさん。いくらなんでも手斧一本じゃ無茶だ。まずは墨付けをして、みんなで大鋸を使わねえと……」
ゴードンさんが心配そうに声をかけてくるが、俺は笑ってそれを制した。
「いや、大丈夫だ。こいつが一番手に馴染んでるんでな」
シュッ、と空気を切り裂く音。
カンナも、ノミも使わない。
ただ、手斧一本で、巨大な丸太の表面を滑らかに削り取っていく。
長年、サバイバルで培ってきた、自然の理を読み解く知識と、ミリ単位の狂いも許さない身体能力。
その全てが、今、この『家づくり』のために、完全に解放されていた。
木材の繊維の流れを読み、最小限の力で、最大の効果を生み出す。
あっという間に、巨大な丸太は、寸分の狂いもない、美しい角材へと姿を変えた。
「…………」
プロである大工たちが、完全に言葉を失っていた。
「……ダンスタンさん、あんた、一体何者なんだ?」
誰かが、呆然と呟く。
「いや、ただのおっさんだが」
「あんたがただのおっさんなら、我々はどうしようもないおっさんだぞ。謙遜するな。あんたは本当にすごいよ」
いや、そこまで褒められると照れるなぁ……。
「ダンスタンさん、次はどの木材を加工すればいい!?」
「あんたの言う通りにやるのが一番早そうだ! 指示をくれ!」
俺は照れくささを感じながらも、指示を飛ばしていく。
俺が加工した木材を、大工たちが運び、組み上げていった。
カン、カン、カン!
希望に満ちた槌音が、ウィッカーデイルの空に、高らかに響き渡った。
◇◇◇
夕暮れ時。
太陽が西の空を茜色に染め上げる頃、それは、ついにその威容を現した。
巨大な、俺たち家族の住む家の骨組み。
俺が設計図に描いた通りの、完璧な姿だった。
俺と、娘たち、そして街の仲間たち。
みんなの協力で完成したんだ。
「……やったな、みんな」
ゴードンさんが、感極まった様子で俺の肩を力強く叩いた。
「ああ。参ったよ、ダンスタンさん。今日の棟梁は、文句なしにあんただ」
その言葉に、若い大工の一人が、悪戯っぽく笑いながら付け加える。
「いや、もう俺たちの『親方』でいいんじゃねえか?」
その一言に、現場がどっと笑いに包まれた。
俺は、照れくさくてたまらず、ただガシガシと頭を掻くことしかできない。
そんな、温かい空気の中。
ピヒラが、俺の隣に、とん、と立った。
「パパ、すごい」
「すごいのはお前だ」
「ううん。パパがいないと、私、こんなことできないから。本当に、パパのおかげだよ」
「俺も、お前がいないと、こんなことできないから」
「ふふふ」ピヒラは微笑んだ。「お互い様だね」
ピヒラは、巨大な厨房スペースの骨組みを、愛おしそうに見つめていた。
「パパ」
「どうした?」
「私、この厨房で、いつか街の人たちのための、小さなお店を開いてみたいです」
「……おう。お前なら、きっとできるさ」
「本当にありがとう」ピヒラは言った。「私の素敵な旦那様」
その、あまりにも不意打ちで、あまりにも破壊力のある呼び方。
俺の心臓が、どきり、と大きく跳ねた。




