第74話 幸せの設計図
俺の腕の中で、ソルヴァが穏やかな寝息を立てている。
うーん、なんだかんだで一緒に寝ることになってしまった。
祝宴の酒と、ウィッカーデイルに帰ってきたという安堵感。
その心地よい疲労に身を任せ、俺もすぐに眠りに落ちる……はずだった。
だが、どうにも目が冴えちまっている。
無理もねえか。
結婚式だの、新しい家だの、あまりにも幸せな未来の予定が、一気に決まりすぎたんだ。
四十過ぎのおっさんの脳みそには、処理しきれねえほどの幸福量だった。
そっと、音を立てないようにベッドを抜け出す。
俺は一人、リビングのランプに火を灯した。
ぱち、と小さな音がして、温かい光が、がらんとした部屋をぼんやりと照らし出す。
テーブルの上に、羊皮紙とインク、そして羽ペンを広げる。
俺は、すう、と息を吸い込んだ。
目を閉じれば、瞼の裏に、俺の大事な家族たちの顔が、次から次へと浮かんでくる。
まずは、シグルーンと俺の寝室だ。
日当たりのいい、一番大きな部屋がいいだろう。
あいつ、朝は少し機嫌が悪いからな……。
太陽の日差しでいい感じに目が覚めたら良い。
クータルとミーシャは、二人で走り回れるくらい、だだっ広い部屋がいい。
壁には、クータルが好きなだけお絵描きできるスペースも作ってやろう。
ピヒラには、専用の厨房が必要だ。
ギュンターの店に負けないくらい、本格的なやつをな。
いつか、あいつが自分の店を持つ日のための、練習台だ。
ソルヴァには、静かに読書や研究に没頭できる書斎を用意してやらねえと。
あいつの知性は、この家族の宝だからな。
羽ペンが、羊皮紙の上を滑り始める。
かつて、ダンジョンの地図を描き、敵の配置を記したこの手が、今、家族の未来を描いている。
不思議な気分だった。
だが、どうしようもなく、胸が温かい。
斥候としての空間把握能力と、サバイバルで培った建築知識。
俺がこれまで生きてきた全てが、この一枚の設計図に注ぎ込まれていく。
窓の位置、風の通り道、冬の暖炉の熱効率。
そして何より、家族全員が、笑って顔を合わせられる、広くて温かいリビング。
夜が白み始める頃。
俺の目の前には、完璧な『俺たちの城』の設計図が、完成していた。
◇◇◇
「うわぁ……! すごい! パパ、これ、本当におうちなの!?」
「迷子になりそうだにゃ……!」
「私の、厨房まで……! ありがとうございます、パパ!」
翌朝、俺が披露した設計図に、娘たちは目をキラキラと輝かせて歓声を上げた。
シグルーンも、ソルヴァも、そのあまりに緻密で、愛情に満ちた設計に、感嘆の息を漏らしている。
「恐れ入ったよ、ダンスタン。お前に、これほどの建築の才能があったとはな」
「ええ。動線設計も完璧です。これなら、五人……いえ、もっと大勢でも快適に暮らせますね」
どうだ。
父親の威厳、見せてやったぜ。
俺が内心で胸を張った、まさにその時だった。
「でも、パパ」
ピヒラが、純粋な瞳で、不思議そうに小首をかしげた。
「こんなに大きなお家、どこに建てるんですか?」
しん、と。
あれだけ騒がしかったリビングが、水を打ったように静まり返った。
……そうだった。
完璧な設計図はできた。だが、肝心の、それを建てるための広大な『土地』が、どこにもねえ。
俺が「うっ……」と頭を抱えた、その時だった。
「――その問題でしたら、解決済みです」
ソルヴァは懐から一枚の、やけに豪華な羊皮紙を取り出した。
そこには、シルヴァンテ王家の紋章と、何やら小難しい文字がびっしりと記されている。
「実は、父上……マグナル公爵から『早めの結婚祝いだ。好きに使え』と……。この、ウィッカーデイルの街の南側に広がる、未開拓の土地、その全ての所有権を譲渡する、と」
「…………」
俺は、言葉を失った。
街の南側……だと?
あそこは、見渡す限りの、ただの広大な荒れ地じゃねえか。
「なんじゃそりゃ!」
俺の魂からのツッコミが、リビングに木霊した。
◇◇◇
俺たちは、早速その土地を見に行くことにした。
ウィッカーデイルの南門を抜け、眼前に広がる、見渡す限りの荒れ地。
正直、途方に暮れるほどの広さだ。
岩がごつごつと転がり、太い木の根が地面を蛇のように走っている。
「……本当に、ここ全部が俺たちの土地なのか?」
「ええ。権利書にはそうあります」とソルヴァが答えた。
俺たちが、そのあまりのスケールに呆然と立ち尽くしていると。
背後から、聞き慣れた、野太い声が響いた。
「よう、ダンスタン! 聞いたぜ、家を建てるんだってな!」
振り返ると、そこにはギュンターをはじめとした、街の屈強な男たちが、クワやスコップを手に、にやにやと笑いながら立っていた。
どこから聞きつけたんだか、本当に噂の広まるのが早い街だ。
「俺たちに任せとけ!」
「まずは、この岩だらけの土地を平らにするところからだな! 一週間もあれば、なんとかなるだろう!」
その、あまりにも温かい申し出に、俺の胸が熱くなる。
だが、その必要は、もうどこにもなかった。
「みんな、ありがとう。でも、大丈夫だ」
俺は、娘たちに向かって、にやりと笑いかける。
そして、一番小さな、銀髪の娘の頭を、ぽん、と優しく撫でた。
「――うちには、世界最高の土木技師がいるんでな」
俺の言葉に、クータルはこくりと頷く。
彼女は、俺たちの前に、とてとて、と歩み出た。
そして、広大な荒れ地に向かって、小さな両手を、いっぱいに広げる。
そのルビーみたいな瞳が、神々しいほどの黄金の光を宿した。
「おうちの土地、がんばれー!」
その、あまりにも無邪気な一言が、引き金だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!
地鳴りだ。
大地が、鳴いている。
俺たちの足元が、凄まじい振動で揺れ動く。
街の男たちが、何が起きたのか分からず、悲鳴を上げて尻餅をついた。
目の前の、岩だらけの荒れ地が。
まるで意思を持った生き物のように、その形を変え始めた。
巨大な岩は砂のように砕けて地中に吸い込まれていく。
邪魔な木の根はひとりでに身を捩って大地へと還っていく。
地面が、まるで粘土のように隆起し、平らにならされていく。
天変地異。
神の御業。
どんな言葉も、目の前で起きている奇跡の前では、陳腐に聞こえた。
やがて、地鳴りが収まった時。
そこに広がっていたのは、俺が設計図に描いた通りの、完璧な基礎工事が施された、広大な、美しい更地だった。
「…………」
ギュンターたちが、あんぐりと口を開けて、ただ呆然と立ち尽くしている。
その中で、一人が、震える声で呟いた。
「……俺たちは、今、神話の目撃者になったのかもしれねえな……」
俺は、そんな仲間たちの前で、誇らしげに胸を張る娘の元へと歩み寄る。
そして、用意していた、最初の柱となる一本の丸太を、家族全員で、その土地の真ん中に、高々と突き立てた。
ズドン、と。
新しい家のはじまりの音が、ウィッカーデイルの青い空に響き渡った。




