第66話 両親と幸せに暮らせよ
松明の頼りない光が、牢の中をぼんやりと照らし出した。
「ピヒラが、あんたたちに会いたがっていた。だから、迎えに来たんだ」
俺はそれだけ言うと、奪った鍵束の中から、牢に合うものを手早く探し出す。
ガチャリ、と重い金属音を立てて、牢の扉が開いた。
リアムが真っ先に駆け寄り、感極まった様子で二人の鎖を解いていく。
まだだ。
まだ、終わっちゃいねえ。
ここはまだ、敵地のど真ん中だ。
「さあ、行くぞ」俺は、感傷に浸りそうな空気を断ち切るように言った。「話は、ここを抜け出してからだ」
俺はリアムにピヒラの両親を託し、先導して地下牢からの脱出を開始した。
ピヒラが示してくれた、完璧な地図。
それがある限り、俺たちは誰にも見つかることなく、この砦から抜け出せるはずだった。
―――その、はずだった。
俺たちが地下牢から地上へと続く、最後の階段を上りきった、まさにその瞬間だった。
ウウウウウウウウウッ!
砦中に、けたたましい警報が鳴り響いた。
それは、侵入者の存在を告げる、絶望の音色。
「なっ……!?」
ガヤガヤガヤッ!
遠くから、複数の足音と、怒声が急速に近づいてくる。
松明の光が、通路の向こう側を、いくつも、いくつも照らし出していく。
完全に、包囲されていた。
ちっ、と内心で舌打ちする。
ピヒラの予知が外れたんじゃない。
相手が、俺たちの動きを読んでいたんだ。
この砦には、俺と同等、あるいはそれ以上の腕利きがいる。
俺たちの潜入は、最初から筒抜けだったと考えるべきだ。
◇◇◇
「くそっ、ここまでか……!」
リアムが、悔しそうに歯噛みする。
ピヒラの両親は、衰弱しきっていて、まともに戦うことなどできやしない。
このままでは、全員、袋の鼠だ。
絶望的な状況。
だが、俺の頭は、不思議なほど冷静だった。
いつだって、俺はこういう土壇場で、活路を見出してきたもんだ。
俺は、リアムの肩を、ぽん、と一度だけ力強く叩いた。
「リアム。ピヒラの両親を頼む」
「え……?」
「ここから先は、俺が一人で行く」
俺の言葉に、リアムも、ピヒラの両親も、呆気に取られた顔で俺を見つめている。
「何を言っているんですか! 一人でなんて、無茶です!」
「無茶じゃねえ。これが、唯一、全員が助かる方法だ」
俺は、ニヤリと不敵に笑って見せた。
「いいか、よく聞け。俺が、派手に暴れて、奴らの注意を全部こっちに引きつける。その隙に、お前たちは、ピヒラが示してくれた、もう一つの脱出経路から、砦を抜け出すんだ」
そうだ。
ピヒラの地図には、万が一のための、予備の脱出ルートも記されていた。
俺が陽動を仕掛ければ、そちらの警戒は手薄になるはずだ。
「ですが、それではあなたが……!」
「心配すんな。俺は斥候だぜ? 逃げ足の速さだけは、誰にも負けねえよ。ひとりならなんとかなるが、お前たちが一緒にいると、はっきり言って足手まといだ」
嘘だ。
敵の大軍を一人で引きつけて、無傷で逃げ切れるほど、敵は甘くはないだろう。
だが、今はこう言うしかなかった。
俺は、有無を言わさぬ口調で、リアムに命令する。
「行け! これは命令だ! ピヒラの両親を、必ず、無事に俺たちの拠点まで連れて帰れ!」
リアムは唇を噛み締め、何も言えずに、ただ、深く頷いた。
「必ず、生きて戻ってください」
「おう。約束だ」
俺は、ピヒラの両親を見た。
優しそうな二人だ。
ピヒラ。
両親と幸せに暮らせよ。
クータル、ミーシャ、シグルーン、ソルヴァ……みんな、ごめんな。
俺は敵が迫り来る通路へと、一人、駆け出していく。
さあ、始めよう。
斥候ダンスタンの、人生最後の、最大の大博打を。
俺は、通路の角を曲がったところで、わざと大きな物音を立てた。
「こっちだ、間抜けども! お前らが探してる獲物は、ここにいるぞ!」
その挑発的な声に、敵の足音が、一斉に俺の方へと向かってくるのが分かった。
よし、食いついてきた。
俺は、迷路のような砦の中を、あえて派手に、目立つように駆け抜けていく。
松明を蹴り倒し、武器庫の扉を蹴破り、食料庫に火を放つ。
砦中を、混乱と破壊の渦に叩き込んでやる。
「追え! 絶対に逃がすな!」
背後から、怒号が追いかけてくる。
上等だ。
もっと、もっとだ。
全て俺一人に集中しろ。
リアム。
頼んだぞ。
行け。
お前たちは、必ず生き延びろ。
◇◇◇
どれくらいの時間、砦の中を駆け回っただろうか。
リアムたちの気配が、完全に砦の外へと消えたのを、俺は肌で感じ取っていた。
――よし。
俺の仕事は、終わった。
俺は、砦の中庭へと続く、最後の扉を蹴破った。
中庭には、既に百を超えるであろう『ヘフンド』の兵士たちが、俺を包囲するように待ち構えていた。
その、物々しい包囲網の中心。
一人の男が、静かに立っていた。
月明かりに照らされた、冷たい笑みを浮かべた男。
「これはこれは、こんなところで奇遇ですね。ダンスタン顧問」
「……面白い冗談だな」
俺は吐き捨てるように言った。
目の前の男。
間違いない。
あの「人生をやり直せるとしたら、やり直したいですかな?」という変な質問をしてきた学園教師。
確か……ホーコンとか言ったか。
……まあ、こいつが裏で糸を引いている黒幕と考えるのが妥当か。
「あなたの陽動作戦は実に見事でした。危機的状況における判断力、そして実行力。さすが、もとAランクパーティーの斥候だけある」
俺の過去まで知ってやがるのか。
やはり、ただの教師じゃねえ。
俺は周囲を確認する。
敵の数は……多すぎる。
この場を打開する方法はないものか……。
懐の煙玉で目くらましをして、一瞬の隙を作れれば……。
「無駄ですよ、ダンスタン顧問」
ホーコンが、俺の思考を読んだかのように、にこりと笑った。
「物理的な抵抗は、もはや何の意味もなしません」
彼が、指をぱちん、と鳴らす。
その、あまりにも些細な動作。
だが、次の瞬間、俺の体から、完全に力が抜けた。
「なっ……!?」
体が、動かない。
まるで、見えない鎖でがんじがらめにされたようだ。
抗うことのできない、強烈な眠気が、脳を直接揺さぶってくる。
瞼が、鉛のように重くなっていく。
「さあ、お眠りなさい」
ホーコンの、穏やかな声が、まるで子守唄のように聞こえた。
くそ……意識が……。
薄れゆく視界の中、俺は必死に、残してきた者たちの顔を思い浮かべた。
クータル。
俺がいなくても、ぴーぴー泣くなよ。
いや、少しくらいは泣いてほしいかな。
不思議と後悔はなかった。
俺の体が、がくりと膝から崩れ落ちる。
完全に意識が闇に飲まれる、その寸前。
耳元で、ホーコンの、悪魔のような囁きが聞こえた。
「後悔は、辛いものです。だから、私があなたの過去を『修正』してあげましょう。夢は、いつだってあなたの味方です。幸せな眠りをどうぞ」
その言葉を最後に、俺の意識は、完全に途絶えた。




