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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第58話 竜の涙

「……パパ。もしかしたら、私、あの子を治せるかも」


 俺は、ごくりと喉を鳴らし、彼女に尋ねる。


「……本当か、ピヒラ」


「うん……。たぶんだけど」


「あの人たちに説明できるか?」


 ピヒラは小さくうなずき、アンニャの両親を見た。

 そして、ゆっくりと話はじめる。


「アンニャさんの病は……おそらく古代から伝わる呪病、『フィンブルの呪い』です。通常の治癒魔法や薬では治せません」


「そ、そんな……」とアンニャの母親が力なく崩れ落ちそうになる。


「ですが……」とピヒラは続けた。「私の故郷に伝わる、古代エルフの秘薬を使えば、あるいは……」


 その言葉に、部屋にいた全員の目が、一斉にピヒラへと注がれた。


「でも、薬を作るのに、どうしても必要な材料が一つだけあるんです。それは……」


 ピヒラは、一度言葉を切ると、少しだけ言いにくそうに、だがはっきりと告げた。


「『竜の涙』です」


◇◇◇


「……竜の、涙、だと?」


 俺の口から、間抜けな声が漏れた。

 他の大人たちも、ソルヴァも、アンニャの両親も、ただ呆然と立ち尽くしている。

 そりゃそうだよな。

 竜なんて、ただでさえ神話やおとぎ話の中の存在だ。

 どうやって手に入れろって言うんだ。


 しんと静まり返った部屋で、一人だけ、きょとんとした顔で小首をかしげている奴がいた。

 クータルだ。


「竜などという伝説の存在の涙を、どうすれば……」とソルヴァがつぶやいた。


「……ソルヴァ。竜なら、ここにいる」


「え……?」


「こいつが、そうだ」


 俺は、自分の足元で不思議そうにしているクータルを指さす。


 あ、そういえば、ソルヴァはまだ、クータルの正体を知らなかったんだ。


「ですが、『涙』なんて……。クータルちゃんは、いつも笑っているような子なのに……」


 その通りだ。

 こいつが、本気で悲しんで泣いたところなんて、俺は一度も見たことがない。

 腹が減ったとか、眠いとかで泣くことはあっても、それは『心からの涙』とは程遠いだろう。


 あとは……俺が死ぬ夢を見たときくらいか……。


 とはいえ……。


「やるしかねえな!」


 うじうじしていても始まらん。


「ソルヴァ、やるぞ! 手当たり次第だ!」


「は、はいっ!」


 こうして、俺たちによる、『ドラゴン号泣大作戦』がはじまった。


◇◇◇


 場所は屋敷の、だだっ広い厨房。

 俺たちは、クータルをテーブルの椅子に座らせ、二人で鬼気迫る形相で対峙していた。


「まずはこれだ!」


 俺の号令一下、ソルヴァとピヒラは、山のように積まれた玉ねぎを、猛烈な勢いで刻み始めた。

 トントントントン!

 厨房に、小気味よい音が響き渡る。


「うっ……目に……目にしみる……!」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、俺は必死に手を動かす。

 隣のソルヴァも、涙で前が見えないのか、危なっかしい手つきだ。

 やがて、厨房はむせ返るような玉ねぎの匂いで満たされた。

 これならどうだ!


 俺たちが、涙目で期待に満ちた視線をクータルに向けると。


「……?」


 当の本人は、きょとんとした顔で、ただ俺たちの奇行を眺めているだけだった。

 まったく、効いている様子がねえ。

 というか、むしろ、ちょっと楽しそうだ。


「だ、ダメです! 竜の粘膜は、人間のそれとは構造が違うのかもしれません……!」


 第一計画、あえなく失敗。


「次だ!」


 俺たちは厨房から、書斎へと移動した。

 書棚から、一冊の古びた絵本を引っぱり出す。

 表紙には『世界一悲しい物語・マッチ売りの少女』とある。


「ソルヴァ! この悲劇を朗読してくれ! どんな鉄の心を持つ者でも、涙なくしては聞けんだろう!」


「わ、分かりました!」


 ソルヴァは咳払いを一つ。

 そして、透き通るような、美しい声で物語を読み聞かせ始めた。


「……少女の小さな手は、もう、かじかんで感覚がありません。ああ、一本でいいのです。マッチの炎で、少しでも暖をとりたい……」


 さすがは学園一の才女。

 その朗読は、あまりに感情豊かで、聞いているこっちが泣きそうになってくる。


 物語は、いよいよクライマックスへ。


「少女は、大好きだったおばあ様の幻を見ます。そして、その温かい光に包まれながら、静かに、天へと召されていきました……。翌朝、人々が見つけたのは、幸せそうに微笑んだまま、凍えてしまった、小さな少女の亡骸でした……」


 ソルヴァが、涙ながらに最後のページを読み終える。


 どうだ!

 これなら、さすがのクータルも……!


 俺たちが、固唾をのんでクータルの反応を見守っていると。


「あはははは! おもしろーい! おそら、とんだのー!」


 めっちゃ笑顔。天使。


 ……だめだこりゃ。

 死の概念が、まだよく分かってねえんだ。

 こいつにとっては、ただのファンタジーなんだろうな。


 俺とソルヴァは、その場にがっくりと膝から崩れ落ちた。

 もう、万策尽きた。


◇◇◇


 竜の涙の入手は絶望的だ。

 一度は希望が見えたあとの絶望たるや……。

 皆、消沈していた。


 そんななか、一人だけ、クータルは状況を理解できていない様子だった。

 てちてちと俺の元へ駆け寄ってきた。

 そして、俺の服の裾を、くい、と引っぱる。


「ねー、ぱぱ」


「……なんだ、クータル」


 俺が力なく返事をする。


 クータルは純粋な、一点の曇りもない瞳で、厨房の隅で泣いているソルヴァを指さした。


「そるゔぁ、なんでないてるの? どこか、いたいの?」


 その、あまりにも無垢な問い。

 俺は、言葉に詰まった。

 この子に、どう説明すればいい?

 死の概念も、大切な人を失う悲しみも、まだよくわからない、この小さな竜に。


 だが、俺は逃げなかった。

 この子の父親として、誠実に向き合わなければならない。

 俺は、クータルの前にゆっくりと膝をつくと、その小さな肩を、そっと掴んだ。


「……なあ、クータル」


 俺は、慎重に、だが、ごまかさずに言葉を選ぶ。


「ソルヴァはな、今、すごく悲しいんだ。あっちの部屋で眠ってる、アンニャちゃんっていう、ソルヴァの大事な妹みたいな子が、もうすぐ、遠いお空の向こうに行っちまうかもしれないから」


「おそらのむこう?」


「ああ。もう二度と、会えなくなるかもしれない。ぎゅって、できなくなるかもしれないんだ」


 クータルは、きょとんとした顔で、俺の言葉を聞いている。

 まだ、ピンと来ていないようだ。


 俺は、すう、と息を吸い込んだ。

 そして、この子の心に、一番響くであろう、たった一つの言葉を紡いだ。


「クータル。もし、パパが、急にいなくなっちまったら……。もう二度と、会えなくなっちまったら、クータルは、どう思う?」


 その、一言。

 クータルのルビーのような瞳が、大きく、大きく見開かれた。

 彼女の脳裏に、あの日の悪夢が蘇ったのかもしれない。

 俺がいなくなってしまう、あの恐ろしい夢が。


「いや……」


 小さな唇が、震えながら動く。


「ぱぱ、いなくならないで……。やだ……やだぁ……っ!」


 ぽろり。

 ぽろ、ぽろり。

 クータルの大きな瞳から、大粒の、水晶のように透き通った涙が、後から後からとめどなく溢れ出した。

 それは、自分のための涙じゃない。


 俺の言葉で、彼女は初めて、本当の意味で理解したんだ。

 大切な誰かを失うかもしれない、という恐怖と、その悲しみを。

 今、ソルヴァが感じている、胸が張り裂けそうな痛みを。


「そるゔぁ……あんにゃちゃん……かわいそう……。クーも……かなしい……」


 それは、アンニャとソルヴァの悲しみに、ただ純粋に『共感』して流した、あまりにも美しい、心からの涙だった。


◇◇◇


 ピヒラは、その奇跡の一滴を、小さなスプーンでそっと受け止めると、小さなガラスの小瓶に、大切に、大切に収めた。

 そして、立ち上がると、俺たちに、力強く頷いてみせる。


 ピヒラは、用意していたレクナール草を乳鉢で丁寧にすり潰していく。

 その動きに、一切の迷いはない。

 最後に、あの奇跡の涙を、一滴。

 そっと乳鉢に垂らした。


 瞬間。

 ふわり、と。

 乳鉢の中身が、温かい、柔らかな黄金色の光を放ち始めた。

 生命の息吹そのものが形になったかのような、神々しい光。

 古代エルフの秘薬が、完成した瞬間だった。


◇◇◇


 俺たちは、再びアンニャの病室へと戻っていた。

 ピヒラは、完成したばかりの秘薬を、アンニャの唇に、そっと、一滴だけ垂らしてやる。

 黄金色の雫が、少女の体の中へと、ゆっくりと吸い込まれていった。


 しん、と静まり返った部屋。

 誰もが、固唾をのんで、その小さな体に起きる変化を見守っていた。


 数秒か、あるいは数分か。

 永遠のようにも感じられた沈黙の後。


 すぅ……。


 アンニャの、か細く、途切れ途切れだった呼吸が、穏やかで、深いものへと変わった。

 蝋のように白かった肌に、ほんのりと、だが確かな血の気が戻る。

 青白く落ち窪んでいた頬が、ふっくらと、健康的な色を取り戻していく。


 まるで、枯れかけた花が、再び生命の瑞々しさを取り戻していくかのように。

 奇跡は、確かに、そこに始まっていた。


「……ああ」


 誰かが、安堵のため息を漏らす。

 絶望に支配されていたこの部屋に、ようやく、温かい希望の光が差し込み始めていた。


 俺は、隣で寄り添うように立つ、二人の娘の肩を、そっと、力強く抱き寄せた。

 俺の、世界一、誇らしい娘たち。

 お前たちが起こした、この小さな、だが、とてつもなく大きな奇跡を。

 俺は一生、忘れないだろう。

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