第54話 鋼鉄のグリフォン討伐計画
ずしり、と。
一枚の羊皮紙が、やけに重く感じられた。
王都のギルドから持ち帰ったS級依頼書。
『鋼鉄のグリフォン討伐』。
実績作りには、ちと荷が重すぎるかもしれねえが……まあ、やるしかねえだろう。
俺は覚悟を決め、家の扉を開けた。
「「「パパ、おかえりなさい(にゃ)!」」」
三人の娘たちの、太陽みたいな笑顔。
その声を聞いただけで、俺は思わず微笑んでしまう。
しかし。
俺がテーブルの上に、何気ないふうを装って置いた依頼書。
その一枚が、この家の穏やかな空気を、一瞬で凍てつかせた。
「……ダンスタン」
地を這うような、低い声。
シグルーンだった。
彼女は依頼書を一瞥しただけで、その内容を完全に理解したのだろう。
その怜悧な顔立ちが、怒りでみるみるうちに険しくなっていく。
「これは、どういうことだ。説明してもらおうか」
隣に座るソルヴァも、依頼書に目を落とした瞬間、その完璧に整った顔から血の気が引いていくのが分かった。
「S級依頼……『鋼鉄のグリフォン』……!? 正気ですか、ダンスタンさん!」
やれやれ。
案の定、こうなるか。
「まあ、落ち着け。実績作りのためには、これくらいやらねえと示しがつかねえだろ。ギルドの嬢ちゃんも困ってたしな」
俺がそう言って肩をすくめた瞬間だった。
「この大馬鹿者がァッ!」
怒声と共に、シグルーンがテーブルをバンッ! と叩いて立ち上がった。
「貴様の命はもう貴様だけのものではないのだぞ! この子たちをどうするつもりだ! というか、私だって、お前のいない人生など、生きていけんぞ!」
……そんなに俺のことを大事に思っていてくれたのか。
ソルヴァも、震える声で続く。
「無謀です! あまりにも、無謀すぎます! 成功率の低い作戦に、命を賭けるのはただの蛮勇です!」
二人の母親からの、魂からの猛反対。
俺は、そんな二人の視線をまっすぐに受け止め、静かに、だがきっぱりと言い返した。
「だからこそだ」
俺は、不安そうに俺たちを見上げる、三人の娘たちの頭を、順番に優しく撫でてやった。
「だからこそ、これは俺一人の仕事だ。お前たちを、この子たちを危険な目に遭わせるわけにはいかねえ。俺が、一人で片を付けてくる」
「「それこそ、絶対に許さん(許しません)!」」
……だよな。
議論は、完全に平行線を辿っていた。
◇◇◇
結局、俺一人で行くという案は、満場一致(俺以外)で却下された。
その代わり、というわけでもないが、リビングでは緊急の『鋼鉄のグリフォン』対策会議が開かれることになった。
テーブルに広げられた、グリフォンの生態に関する資料。
それを前に、俺たち大人三人は、腕を組んでうんうん唸っていた。
「問題は、やはりその鎧ですね」
ソルヴァが、指で資料の一点をなぞる。
「グリフォンの全身を覆う外皮は、『鉄鋼樹』の樹液を浴びて変質したもの。その硬度は、オリハルコンにも匹敵すると言われています。並の物理攻撃も、魔法も、一切通用しない。これが、攻略を不可能にしている最大の要因です」
「弱点はないのか? 例えば、目や、関節の隙間とか」
俺の問いに、シグルーンが苦々しく首を横に振った。
「それも、先遣隊の報告で確認済みだ。奴は、自身の弱点を完璧に把握している。常に高速で動き回り、決して隙を晒さんらしい。Aランクパーティですら、手も足も出なかったというのは、そういうことだ」
打つ手なし。
まさに、八方塞がり。
リビングに、重苦しい沈黙が落ちる。
学園一の天才であるソルヴァの知性も、元ギルド支部長であるシグルーンの経験も、この絶対的な防御力の前に、完璧な解答を導き出せずにいた。
「……埒が明かんな」
俺は、重い空気を断ち切るように、椅子から立ち上がった。
「机の上で唸っていても始まらん。明日、俺が一人で現地の様子を探ってくる。百聞は一見に如かず、だ」
「危険すぎる!」とシグルーンが反対するが、俺は首を横に振った。
「斥候の仕事だ。戦うんじゃねえ、見るだけだ。それで駄目なら、その時は潔く諦めるさ」
結局、その夜の会議は、何の成果もないまま、重苦しい雰囲気の中でお開きとなった。
◇◇◇
早朝。
俺が斥候任務のための装備を整えていると、背後から二つの小さな影が、もじもじと近づいてきた。
ピヒラとミーシャだった。
「……パパ、私たちも、連れて行って」
ピヒラの、静かだが、芯の通った声。
ミーシャも、こくこくと力強く頷いている。
「……遊びに行くんじゃねえんだぞ」
「分かってる。でも、パパを一人で行かせられない。それに……私たちなら、きっとパパの役に立てるから」
その翡翠色の瞳には、一点の曇りもない。
俺は、はぁ、と深いため息をついた。
こいつらの、こういう頑固なところは、一体誰に似たんだか。
「……分かった。だが、絶対に無理はしないこと。俺の指示には必ず従うこと。それが約束だ」
「「うん!(にゃ!)」」
いい返事だ。
まあ、いざとなったときのミーシャの逃走能力は俺を凌駕しているしな。
ピヒラひとりくらいなら守りきれるだろう。
「クータルは連れて行かないニャ?」
「……そうだなぁ」
あんまり心配をかけたくない。
無理はしないつもりだが、いまから危険な場所に行くといえば、ぴーぴー泣いてつきまとってくるだろう。
クータルの力は、正直、頼りになる。
俺は何度も命を救われた。
だが、あのクータルの力は不安定だ。
まだ、幼いあの子を、本当は戦場につれて行きたくない。
ピヒラとミーシャだって同じだな……。
「……やっぱり、俺ひとりで行ってくるよ」
「だめだよ(だめニャ)」
……ということで、俺と娘二人による、秘密の斥候任務が始まった。
危険なところには行かない。
あくまでも近くのようすを見てくるだけだ。
◇◇◇
現場近くの森に到着し、俺はまず、斥候としての基本を二人に叩き込む。
「いいか、風の向きを読め。獣の匂いを嗅ぎ分けろ。自分の足音を殺せ。五感の全てを使って、森の声を聞くんだ」
俺の言葉に、ミーシャの猫耳がぴくりと動く。
彼女は、くんくんと鼻を鳴らすと、一点を指さした。
「パパ、あっちから、すごく大きな鳥さんの匂いがするにゃ。鉄みたいな匂いも混じってるニャ」
……マジかよ。
俺の索敵範囲を、遥かに超えてやがる。
ミーシャの案内で、俺たちは慎重に風下から巣へと接近していく。
やがて、巨大な岩壁に穿たれた、グリフォンの巣らしき洞穴を、遠目に確認することができた。
うーん。
なんとかしてあいつの鎧を無効化しないとな……。
俺がうんうん唸っていると、隣にいたピヒラが、おずおずと俺の服の裾を引いた。
「あの……パパ」
「ん? どうした、ピヒラ」
「パパが、何かすごく困ってる顔してるから……。あのね、私、森の動物や植物と、完全にお話ができるわけじゃないんだけど……」
彼女は、少しだけ俯きながら、言葉を選ぶように続ける。
「でも、静かに耳を澄ませて、心を集中させると、なんとなく、森が何を言いたいのか、感じることができるの。もしかしたら……あの巣の周りの植物たちが、何か知ってるかもしれない」
その、あまりにも予想外の提案。
そうだ、こいつはエルフだった。
森と共に生きてきた種族。
俺たちの常識なんて、通用しねえ。
「……やってくれるか?」
「うん!」
◇◇◇
その日の夜。
俺は、シグルーンとソルヴァを前に、一枚の地図と、ピヒラが描いてくれた可憐な花のスケッチを広げていた。
「……見つけたぜ。あいつの、たった一つの弱点をな」
俺の言葉に、二人が息を呑む。
「『宵光花』。宵の闇の中、星々の光を浴びてだけ咲く、幻想的な花だ。この花の鱗粉には、あらゆる鉱物や、植物由来の硬質化を、一時的に『中和』する特殊な成分が含まれているらしい。鉄鋼樹の樹液も、例外じゃねえ」
それは、どんな文献にも載っていない、森の植物たちだけが知る、秘密の情報。
俺たち家族にしか、たどり着けない真実だった。
「つまり、こうだ」
俺は、地図の上に駒を置くように、指を滑らせていく。
「まず、夜を待つ。奴が巣で眠りについた頃を見計らって、ミーシャの案内で、風上から巣に接近する」
「風上だと?」シグルーンが眉を寄せる。「危険じゃないか? 一般的には風下から攻めるのがベターだろう」
「ああ、それはわかってる」
俺は、宵光花のスケッチを指さす。
「こいつが今回の作戦の肝だ。宵光花の鱗粉を、風に乗せて、巣の中にいるグリフォンに、たっぷりと浴びせてやるんだ」
俺は、そこで一度言葉を切ると、呆気に取られている二人の顔を見渡し、不敵に笑って見せた。
「鎧を無力化されたグリフォンなんざ、ただのデカい鳥だ。日の出と共に、俺たち三人が奇襲をかければ、赤子の手をひねるより簡単だろうよ」
敵の土俵で戦うのではなく、こちらの土俵に引きずり込み、戦う前に、勝敗を決する。
これこそが、俺が長年培ってきた、斥候としての戦い方の真髄だった。
しん、と。
リビングが、水を打ったように静まり返った。
「……信じられない。これは……もはや、戦術というより……未来予知です」とソルヴァ。
彼女は、絶句したまま、続ける。
「敵の能力、地形、天候、そして……私たちにしか持ち得ない、ピヒラちゃんとミーシャちゃんの特殊な能力。その全ての要素を完璧に組み合わせ、勝利という一点に収束させている。戦いの組み立て方が天才的です」
隣では、シグルーンが、はぁ、と深いため息をついていた。
その顔は、呆れているのか、感心しているのか。
「……恐れ入ったよ、ダンスタン。貴様が、ただの腕利きの斥候ではないということは、分かっていたつもりだったが……。まさか、ここまでとはな」
二人の母親役からの、最高の賛辞。
俺は、照れ隠しにガシガシと頭を掻くと、椅子から立ち上がった。
「よし、決まりだな」
俺は、窓の外に広がる、月明かりに照らされた森を見つめる。
「――狩りの準備を始めるぞ」




