第53話 ぱぱにも、ぱぱ、いたの?
「人生をやり直せるとしたら、やり直したいですかな?」
もし、あの日に戻れるのなら。
オーウェンも、仲間たちも死なずに済んだ。
ソルヴァを、あれほど長い間、一人で苦しませることもなかった。
やり直せるものなら、やり直したいに決まってる。
だが、俺の脳裏に浮かぶのは、過去の悪夢じゃない。
台所で目を輝かせて料理の修行に励む一番弟子。
家の平和を守るのだと胸を張るチーフ・ガーディアン。
そして、俺の膝の上で安心しきった顔で眠る、銀髪の娘の寝顔。
不器用ながらも、俺たちのことを気にかけてくれる、二人の母親役。
そうだ。俺はもう、独りじゃない。
「……いや、もうやり直したいとは思わない」
俺の、静かだが、きっぱりとした答え。
それに、ホーコンは人の良さそうな笑みを崩さない。
「後悔なら、死ぬほどしたさ。だがな、俺にはもう、あのどうしようもねえ過去ごと、全部背負って生きていく覚悟がある。今の俺には、守りたい未来があるんでな」
俺は、家に帰れば待っていてくれる、あの騒がしくて、どうしようもなく温かい家族の顔を思い浮かべる。
「過去をやり直すってのは、今の未来を捨てるってことだ。そんな選択肢は、今の俺にはねえよ」
「なるほど。素晴らしい覚悟ですな」
ホーコンは、にこりと笑った。だが、その瞳の奥は、一切笑ってはいなかった。
……というか、こいつ、なにもんだ?
ただの変人か?
◇◇◇
家の扉を開ける。
その瞬間、娘たちの賑やかな声が、俺を包み込んだ。
「あ、パパおかえり!」とクータル。
「おかえりなさい、にゃ!」とミーシャ。
食卓を囲みながら、ふと、クータルが純粋な瞳で俺を見上げてきた。
「ねー、ぱぱ。ぱぱにも、ぱぱ、いたの?」
その、あまりにも無垢な問いに、シグルーンとソルヴァの視線も、自然と俺に集まる。
「……さあな。俺は孤児院育ちでな。物心ついた時から、一人だった。だから、親父の顔なんて知らねえな」
俺がぶっきらぼうにそう言うと、食卓に、少しだけ気まずい空気が流れた。
娘たちは、どう反応していいか分からず、ただ黙って俺の顔を見つめている。
その、重たい沈黙を破ったのは、やはりこの家の太陽だった。
「そっかー」
クータルが、こくりと一つ頷いた。
そして、椅子からぴょんと飛び降りると、てちてちと俺の元へ駆け寄ってくる。
「ぱぱがいないなんて、かわいそう」
そう言うと、彼女は小さな体を精一杯伸ばし、俺のごつごつした頭を、ぽん、ぽん、と優しく撫で始めた。
「よしよししてあげるね。もう、さみしくないよ。クーが、ずーっといっしょにいてあげるからね」
その、あまりにも純粋で、温かい慰め。
俺は、思わず言葉を失った。
込み上げてくる熱いものをこらえ、ただ「……おう」とだけ返すのが精一杯だった。
その、あまりにも微笑ましい光景に、張り詰めていた食卓の空気が、ふわりと和らいでいく。
俺は、そんな娘の頭を優しく撫で返すと、ふと気になっていたことをソルヴァに尋ねてみた。
「なあ、ソルヴァ。お前の親父さんってのは、どういう人なんだ? 今後、挨拶にも行かなきゃならんだろうしな」
俺の言葉に、ソルヴァは少しだけ遠い目をして、静かに答えた。
「私の父ですか……。厳格な人間です。家名と、それに伴う責務を何よりも重んじる……そういう人間ですね」
「そうか」
俺は、自分の薄汚れた冒険者の服を見下ろす。
「じゃあ、俺みたいな、Cランクの冒険者崩れが挨拶に行っても……」
「……おそらく、門前払いでしょうね」
ソルヴァは、申し訳なさそうに、だがはっきりと告げた。
「話すら、聞いてもらえないかと存じます」
その、あまりにも現実的な言葉を、シグルーンが引き継いだ。
「そういうことだ。ソルヴァ君のご両親に、お前を認めさせるには……家柄や財産に代わる、誰の目にも明らかな『実績』がいる。学園長のお墨付きだけでは足りんぞ。貴族というのは、そういうものだ」
二人の母親役からの、厳しいが、的確な助言。
そうだ。
俺は、父親として、この家族を守るための『力』を、社会に示さなければならないんだ。
「……分かった。ちょっと考えてみる」
◇◇◇
俺はギルドへと赴いていた。
なにかしらの仕事で、実績が得られないか……と考えたのだ。
高難易度の依頼をたくさんクリアするとか。
王都のギルドは、やはり人が多い。
人だかりの中心で、一人の若い女性職員が、屈強な冒険者たちに取り囲まれていた。
「どうしてくれるんだ、カーヤ! お前の寄越した情報が、デタラメだったんだろうが!」
「そうだ! お前のせいで、リーダーは……! あいつの冒険者生命は、もう終わったんだぞ!」
怒声に混じる、悲痛な叫び。
詰め寄られているのは、まだ少女の面影を残す、栗色の髪をおさげにした職員だった。
カーヤ、というらしい。
彼女は顔を真っ青にして、ただ「申し訳、ありません……」と繰り返すことしかできないでいた。
赤髪の剣士が、今にもカーヤに掴みかからんばかりの勢いで吼えた。
「謝って済むか! あいつの夢を、未来を、どうやって返してくれるんだよ!」
やれやれ。
面倒なことになってやがる。
見て見ぬふりはできなかった。
◇◇◇
「――そこまでにしとけ」
俺の、低く、静かな声。
その場の全員の視線が、一斉に俺へと突き刺さった。
「なんだ、てめえは……」
赤髪の剣士が、敵意むき出しの目で俺を睨みつけてくる。
俺は、そんな視線は意にも介さず、ゆっくりと彼らの間合いへと足を踏み入れた。
「気持ちは分かる」
俺はまず、彼らの怒りを受け止める。
「仲間が傷つけられりゃ、腹も立つだろう。やり場のない怒りを、誰かにぶつけたくもなる。……俺も、昔はそうだった」
俺の言葉に、冒険者たちの間に、わずかな動揺が走った。
「だがな」
俺は、そこで一度、言葉を切る。
そして、今度は一切の同情を排した、元Aランク冒険者としての、冷徹な声で言い放った。
「その怒りを、一番か弱いお嬢ちゃんにぶつけてるようじゃ、傷ついた仲間も浮かばれねえぞ」
「なっ……!」
「そもそも、てめえらのやり方にも問題があったんじゃねえのか? ギルドからの情報を鵜呑みにし、二次、三次の索敵を怠った。敵の戦力を完全に見誤り、撤退の判断も遅れた。そんなところだろう。違うか?」
俺の指摘に、赤髪の剣士はぐうの音も出ない。図星だったんだろう。
「プロなら、どんな状況でも、最悪を想定して動け。情報を疑い、自分の目で確かめ、仲間を生きて帰す算段を立てる。それができねえなら、今すぐ冒険者なんざ辞めちまえ。……仲間を失う痛みは、一度で十分だろうが」
俺の言葉は、ただの説教じゃない。
同じ痛みを知る者だからこその、魂からの叫びだった。
荒れ狂っていた赤髪の剣士の瞳から、急速に怒りの炎が消えていく。
後に残ったのは、深い悔恨と、やり場のない悲しみの色だった。
◇◇◇
パーティの連中が、悄然と立ち去った後。
若い職員、カーヤが、俺の元へ駆け寄ってきた。
「あ、あの……ありがとうございました!」
「気にするな。お前が悪いわけじゃないんだろう」
俺はそう言って、その場を立ち去ろうとした。
これ以上、面倒事に関わるのはごめんだ。
「待ってください!」
だが、カーヤは俺の行く手を阻むように、必死に食い下がってきた。
「あの、もしよろしければ、少しだけお話を聞いていただけませんか?」
「……手短にな。俺も暇じゃねえ」
俺のぶっきらぼうな返事に、彼女はこくりと頷くと、真剣な顔つきで続けた。
「はい! 先ほどのAランクパーティー『竜の牙』の方々が失敗されたS級の依頼ですが、このまま放置するわけにはいかないんです」
「S級なら、S級の奴らに任せりゃいいだろう。俺はしがない学園の顧問で、ランクはあってないようなもんだ」
俺がそう言ってあしらおうとすると、彼女は悲痛な顔で首を横に振った。
「それが……できないんです! 今、王都にいる腕利きの高ランクパーティのほとんどは、国境付近で起きている大規模任務に駆り出されていて……。『竜の牙』が、最後の頼みの綱だったんです。彼らが失敗した今、もう、あの魔獣を討伐できる実力者は、この王都には誰も……!」
彼女は、涙ながらに訴える。
「このままでは、近隣の村や街道にまで被害が及ぶかもしれません。ギルド職員として、この事態を放置するわけには……。先ほどのあなたのお話ぶりと、あの『竜の牙』を風格だけで黙らせたお姿を拝見して……あなたしかいない、と! そう思ったんです!」
カーヤは、そう言うと、カウンターの内側から、一枚の依頼書を震える手で俺に差し出してきた。
懇願するように。
最後の望みを託すように。
「どうか、この依頼書だけでも、見ていただけませんか?」
俺は、はぁ、と深いため息をつくと、その依頼書を受け取った。
そこに記されていたのは、俺の予想を遥かに超える、とんでもない名前だった。
『依頼ランク:S級』
『討伐対象:鋼鉄のグリフォン』
実績作りには、ちと、荷が重すぎるかもしれないが……。




