第51話 新しい家族の形
夜だった。
暖炉の薪がぱちぱちと、静かに爆ぜる音だけが、やけに大きく部屋に響いている。
俺の正面には、二人の女性。
一人は、ソファに深く腰掛け、ただじっと、暖炉の炎を見つめている。
元ギルド支部長、シグルーン。
もう一人は、椅子の端に浅く腰掛け、固く握りしめた拳を膝の上に置いたまま、俯いている。
生徒会長、ソルヴァ。
今日、俺は二人に「今夜、大事な話がある」とだけ告げ、この場所に集まってもらった。
娘たちは、もう寝た。
いや、ピヒラの奴が「今夜はパパにとって、すごく大事な夜だから」と、ミーシャとクータルを説得して、いつもより少しだけ早く、寝室へと連れて行ってくれたんだ。
一番弟子の、最高のアシストだった。
おかげで、舞台は整っちまった。
もう、後戻りはできねえ。
心臓が、やかましいくらいにドクドクと脈打っていた。
これから俺が口にしようとしている言葉が、どれだけ常識から外れた、馬鹿げたものか。
俺自身が、一番よく分かっている。
だが、それでも。
俺は、俺の答えを、この二人に伝えなければならない。
俺と、俺の大切な人間たちが、全員で笑って生きていくために。
俺は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
◇◇◇
まず、俺は椅子から立ち上がり、深く頭を下げる。
「すまなかった」
絞り出した声は、自分でも情けないくらいに震えていた。
「俺のせいで、深く傷つけ、長い間、悩ませちまった。俺が、不甲斐ないばっかりに……。本当に、申し訳なかった」
顔を上げられない。
ただ、床の木目を見つめたまま、俺は言葉を続ける。
「まず、シグルーン」
びくり、と彼女の肩が揺れたのが、視界の端で見えた。
「お前のことだ。初めて会った時から、お前は強くて、気高くて、いつも正しい女だった。俺が道を間違えそうになった時、いつもお前は、厳しい言葉で俺を正してくれた。……だが、それ以上に、誰よりも、俺たちのことを心配し、見守ってくれていた。お前がこの家に来てくれてから、毎日が、本当に……温かかった。俺は……お前がいないと、もう、ダメなんだ。俺の、俺たち家族の居場所は、お前の隣にしかねえ。俺は、お前のことが好きだ」
次に、俺はゆっくりと、ソルヴァの方へ体を向けた。
「そして、ソルヴァ」
俯いたままの彼女の拳が、さらに強く握りしめられる。
「君のことは……最初、ただ、親友の妹だから、守らなければならない、と。そう思っていた。兄貴の代わりに、なんていう、傲慢な気持ちもあったのかもしれない。だが、今は違う。君が、必死に過去を乗り越えようともがいている姿も、不器用ながらクッキーを差し出す優しさも、俺は全部見てきた。君はもう、誰かの代わりなんかじゃない。俺にとって、かけがえのない、守りたい『家族』の一人なんだ。君の居場所も、この家にある。俺が、必ず守り抜く」
俺の、偽らざる本心だった。
ただ、不器用に、まっすぐに。
俺が今、二人に抱いている、ありったけの想いを伝えた。
沈黙。
シグルーンは、顔を背け、肩を微かに震わせている。
ソルヴァは、俯いたままだ。
さあ、ここからが本題だ。
俺は、顔を上げた。
◇◇◇
「だから、俺は、選べない」
その一言で、リビングの空気が、完全に凍り付いた。
シグルーンとソルヴァが、同時に、信じられないものを見るような目で、俺の顔を見つめてくる。
俺は、そんな二人の視線を、まっすぐに受け止めた。
もう、逃げも隠れもしない。
「どちらか一人を選ぶなんてこと、俺にはできねえ。どっちも、俺にとっては、失うことなんて考えられない、大切な人間だからだ」
俺は立ち上がり、もう一度、今度はシグルーンの目の前に、まっすぐに立った。
「シグルーン。俺の、妻になってくれ」
「……っ!」
彼女が息を呑む。
だが、俺の言葉はまだ終わらない。
俺は、今度は固まったままのソルヴァに向き直る。
「そして、ソルヴァ」
「は、はい……!」
「君にも、この家族の一員として、俺と一緒に、この家を守っていってほしいんだ。それは、ただの同居人じゃない。ピヒラやミーシャ、そしてクータルにとっての……もう一人の『保護者』として。もう一人の、母親役として」
俺は、二人を交互に見つめ、最後の、そして最も常識はずれな言葉を、はっきりと告げた。
「―――三人で、一緒に」
しん、と。
世界から、音が消えた。
シグルーンも、ソルヴァも、完全に思考が停止しているようだ。
だろうな。
俺だって、自分が何を言ってるのか、分からなくなるくらいだ。
だが、これが、俺が見つけ出した、たった一つの答えなんだ。
常識なんて、クソくらえだ。
俺は、俺の信じるやり方で、全員を幸せにすると決めたんだ。
やがて、凍りついた沈黙を破ったのは、シグルーンの、深くて、長いため息だった。
◇◇◇
「……はぁーーーー……」
彼女は、こめかみを指で押さえながら、天を仰いだ。
その顔は、呆れているのか、怒っているのか。いや、その両方か。
「本当に……。本当に、貴様という男は……。どこまで、馬鹿なんだ……」
絞り出すような声。
だが、その声には、不思議と、やさしさが込められているような気がした。
俺の希望的観測かもしれんが。
隣では、ソルヴァが、まだ状況を飲み込めていない様子で、わなわなと震えている。
「わ、わ、私は……。そ、そのような……シグルーン様と、同列だなんて、滅相も……! ですが、ですが……!」
彼女は俺とシグルーンを交互に見つめる。
その瞳は、葛藤と、そして、かすかな希望の色で揺れていた。
その、戸惑う少女の前に、シグルーンがゆっくりと歩み寄った。
そして、その震える手を、両手で、優しく包み込む。
「仕方ないだろう。この朴念仁は、私とお前がいなければ、まともに娘たちの世話もできんのだからな」
呆れたような、それでいて、慈しむような声だった。
「私だけでは、荷が重い。手伝ってくれるか? ……よろしく頼むぞ、パートナー」
シグルーンの、その言葉。
それは、恋敵ではなく、同じ目的を持つ、対等な仲間への、信頼の言葉だった。
ソルヴァの瞳から、最後の迷いが消えた。
彼女は、こく、こくと何度も頷きながら、涙ながらに、だがはっきりと答える。
「……はいっ! 私で、よければ……! 喜んで……!」
二人の女性が、手を取り合う。
その光景は、あまりにも美しくて。
俺は、ただ、言葉もなく、その奇跡の瞬間を見守っていた。
その時だった。
「「「やったーーーっ!!!」」」
リビングの扉が勢いよく開き、三つの小さな影が、弾丸のように飛び込んできた。
ピヒラ、ミーシャ、そしてクータル。
やっぱり、起きてやがったか。
「パパ、おめでとう!」
「ままが二人になったにゃー!」
「これで、りこん、しないね!」
娘たちが、笑いながら、俺とシグルーン、そしてソルヴァの足に、代わる代わる抱きついてくる。
俺たちの、不格好で、常識はずれで、どうしようもなく温かい、新しい家族の形が生まれた瞬間だった。
俺は、込み上げてくる熱いものをこらえきれずに、天を仰ぐ。
オーウェン、聞こえるか。
俺は、お前が守りたかったものを、今度こそ、この手で守り抜いてみせる。
お前の妹も、俺が必ず、幸せにしてみせるからな。
暖炉の火が、俺たち家族の涙と笑顔を、優しく、温かく、照らし出していた。
新しい家族の、はじまりの日。
俺の人生で、間違いなく、最高の夜だった。
「……でも、パパ」
ピヒラが、ふと、心配そうな顔で呟いた。
「私はいいと思うんだけど、学園の規則で、生徒と先生が結婚ってしていいんだっけ?」
……はよ言えや!
こうなる前に!




