第49話 赤子は好きだが、そんなことがどうでも良くなるくらい、お前のことが好きだ
俺はシグルーンと一緒に夜道を歩いていた。
ソルヴァからの告白で頭のなかは混乱していたが……。
シグルーンに伝えなければならないことがある。
俺は、腹を括った。
これは、あの日のプロポーズのやり直しだ。
理屈じゃない。
心だ。
頭の中で、ピヒラの言葉が何度も反響する。
そうだ。今度こそ、間違えない。
この、朴念仁なりのやり方で、俺の本当の気持ちを伝えるんだ。
月明かりが照らす静かな道を、俺たちは無言で歩く。
俺たちの足音だけが、やけに大きく聞こえた。
ひんやりとした夜気が、決意で火照った顔に心地いい。
やがて、人通りのない庭園に差し掛かった時、俺は意を決して、歩みを止めた。
そして、彼女の前に回り込み、正面から向き直る。
「シグルーン」
俺の、いつもより少しだけ低い声に、彼女の肩がびくりと震えたのが分かった。
「すまなかった」
俺は、一昨日のプロポーズについて、深々と、ただ深々と頭を下げた。
「俺は、完全に間違っていた。お前の気持ちを想像していなかった。お前が一人で抱えている痛みも、苦しみも、何も分かろうとせずに、自分勝手な理屈だけを並べ立てた。男として、最低だった。本当に、馬鹿な男で、すまない」
◇◇◇
俺の謝罪を受け、シグルーンが息をのむ気配がした。
俺は、ゆっくりと顔を上げる。
そして、今度こそ、ピヒラに教わった「心」で語り始めた。
「理屈じゃねえんだ」
声が少しだけ震えた。
だが、もう迷いはなかった。
「俺は、お前と一緒にいたい。お前がいない食卓は、もう考えられねえんだ。お前がただそこにいて、笑ってくれるだけで、あの家は、どうしようもなく温かくなる。俺にとっても、娘たちにとっても、お前はもう……かけがえのない家族なんだ」
それが、俺の率直な本心だった。
「だから、頼む。これからもずっと、この温かい家で、俺たちと、家族でいてほしい。……これが、俺の本当の気持ちだ」
俺の魂からの言葉に、シグルーンの表情が和らいだ。
◇◇◇
「……ありがとう。その言葉が聞けて、嬉しい」
彼女は、そう言って、ふわりと儚げに微笑んだ。
だが、その笑みはすぐに消える。
一度ぎゅっと唇を結び、何かを振り払うように覚悟を決めた顔になる。
「……なあ、ダンスタン。お前は、赤子は好きか?」
その問いに、俺はクータルの赤ん坊時代を思い出す。
あの、ミルクの匂い。
耳をつんざくような泣き声。
壊れそうなくらい小さな指が、俺の指を必死に握ってきた時の、あの温かい感触。
俺は、心の底から頷いた。
「ああ。好きだ。どうしようもなく、可愛いと思う」
俺の答えを聞いたシグルーンは、満足そうに、そして、どこか悲しそうに、一度だけ目を伏せた。
「私はな、ダンスタン。わかっているとは思うが、年齢的にも、もう子供は産めない」
震える声。
途切れ途切れになる言葉。
彼女の絶望が、痛いほどに伝わってくる。
「私は、お前の子を産むことはできない。だから、私は、身を引くべきなんだ。私では、お前に本当の家族の幸せを与えてやれない。お前の、幸せのために……」
◇◇◇
「馬鹿野郎」
俺は、これまでで一番優しい声を心がけて、そう言った。
そして、目の前で涙をこらえる、愛おしい女の震える肩を、そっと抱きしめた。
「赤子は好きだが、そんなことがどうでも良くなるくらい、お前のことが好きだ」
その言葉に、シグルーンの張り詰めていた最後の糸が、ぷつりと切れた。
彼女は、俺の胸に顔を埋め、堰を切ったように泣き崩れる。
俺は、その震える肩を、ただ、強く抱きしめた。
二人の心は、ようやく、完全に一つになった。
「……すまない」
「何を謝る必要があるんだ? 泣くな。笑えばいい。俺達は、いま、幸せなんだから」
シグルーンは涙を瞳に浮かべたまま、ぐしゃぐしゃの、不格好な笑みを見せた。
◇◇◇
俺が、シグルーンをもう一度強く抱きしめようとした、その時だった。
彼女は、そっと俺の胸に手を当てて、少しだけ、体を離した。
その瞳はまだ潤んでいるが、そこにはもう涙はない。
「ダンスタン」
静かな、だが有無を言わさぬ声だった。
「学園で噂になっている。聞いているぞ、ソルヴァ君のことだ」
その名が出た瞬間、俺の心臓がどきり、と跳ねた。
俺が言葉に詰まっていると、彼女は諭すように言葉をつづけた。
「ソルヴァくんへの答えは決まっているのか?」
俺は、即答はできなかった。
いったい、どうすれば良いのかわからない。
まだ混乱している段階だ。
「……お前自身が、ソルヴァくんの想いに誠実な答えを出すべきだ。それが、お前自身の誠実さの証であり、彼女に対する最低限の礼儀でもある」
彼女は、俺の目をまっすぐに見つめ、とどめの一言を告げた。
「彼女は若いが、いい伴侶になるだろう。赤子の件もある。なあ、もう一度、しっかりと考えて、答えを出してくれ」
その声は、震えていなかった。
覚悟を決めた、静かな響きがあった。
「お前の気持ちは、痛いほど伝わった。……だから、私の返事も、その時まで『保留』させてくれ」
シグルーンは微笑んだ。
「待っているぞ」
俺たちの関係は、まだ形にはならない。
だが、それでいい。
「……分かった」
俺は、静かに頷いた。
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【★あとがき★】
『婚約破棄の責任を負わされ実家から追放された。実は人の【心の闇】が視えるので、辺境で訳ありのヒロイン達を救っていたら、最強のヤンデレ騎士団を率いることになった件。』
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