第47話 ――私が、あなたの妻になります
ピヒラが寮の厨房でたくさんの笑顔を生み出したあの日。
俺は、あいつのひたむきな姿に、父親として、そして一人の男として、大事なことを教わった気がしていた。
『気持ちを伝える』ってのは、理屈じゃねえ。
ただ、相手を想う、その一心なんだ、と。
シグルーンとの、あの気まずい関係も、もう少しだけ、俺なりに頑張ってみるか。
そんな、少しだけ前向きな気持ちが、俺の心に芽生え始めていた、そんな日の昼下がりのことだった。
「――ダンスタン顧問。少し、お時間よろしいでしょうか」
俺の『特別顧問室』という名の物置を訪ねてきたのは、意外な人物だった。
生徒会長の、ソルヴァだ。
先日の、ケティルの一件以来、どこか気まずくてあまり話せていなかったが……。
その表情に、以前のような硬さはない。
「おう。どうした?」
「実は、私たち、数名の有志でチームを結成しまして。近々、ギルドに登録されている、ゴブリンの斥候部隊の討伐依頼を受けようと考えているのです」
ほう、と俺は感心する。
あの一件を乗り越えて、こいつも一歩、前に進もうとしているらしい。
「つきましては、顧問に、私たちの初陣の監督をお願いできないかと……。もちろん、ご迷惑なのは重々承知の上ですが」
深々と頭を下げるソルヴァ。
その真摯な瞳に、断る理由なんてどこにもなかった。
「分かった。引き受ける」
「本当ですか!?」
ぱっと顔を輝かせるソルヴァ。
その、年相応の素直な反応に、俺も思わず笑みがこぼれる。
だが、その和やかな空気を、遠慮なくぶち破る小さな竜巻が、俺の足元に突撃してきた。
「ぱぱとおでかけ! くーもいく!」
いつの間に聞きつけていたのか、クータルだった。
時折、授業をサボっては特別顧問室にいる。
俺といたいときにはいてもいい、という話になっていた。
クータルは、俺のズボンの裾をぎゅっと掴み、キラキラした瞳で、有無を言わさぬ圧をかけてくる。
「こら、クータル。遊びに行くんじゃねえんだぞ。危ないから、お前は留守番だ」
「やーだー! いくのー!」
ぷうっと頬を膨らませ、その場に座り込む。
てこでも動かない、という強い意志を示す。
やれやれ、こうなったら、このお姫様は言うことを聞かねえ。
俺はソルヴァに「すまんが……」と断りを入れると、クータルに「絶対に俺から離れないこと」を固く、固く約束させて、結局、連れて行くことになった。
まあ、ゴブリンの斥候部隊程度なら、危険はないだろう。
◇◇◇
現場の森は、王都から馬車で半日ほどの距離にあった。
ソルヴァが率いるチームは、彼女を含めて五人。
いずれも、学園内でトップクラスの実力を持つ、エリート中のエリートたちだ。
個々の能力は、間違いなく高い。
だが……。
「斥候より報告! 前方三百メートル先に、ゴブリンを五体発見!」
「よし、陣形を組んで前進! 私が前衛、後衛は魔法で援護を!」
ソルヴァの的確な指示が飛ぶ。
だが、動きが、どうにもちぐはぐだった。
前衛の二人が功を焦って突出しかけ、後衛の魔法使いの詠唱が、味方に当たりそうになって慌てて中断する。
連携が、まったく取れていない。
(……まあ、初陣なんてこんなもんか)
俺は、少し離れた木の上から、クータルを膝に乗せてその様子を見守っていた。
俺が口を出すのは、本当に危険な時だけでいい。
やがて、チームはゴブリンの斥候部隊と接触した。
個々の実力は、やはり本物だった。
多少の連携ミスはあったものの、数の利もあって、危なげなくゴブリンたちを殲滅していく。
「やったぞ!」
「大したことなかったな!」
楽勝ムードが、チームに広がる。
だが、俺の長年の冒険者としての勘が、この状況に警鐘を鳴らしていた。
おかしい。
ゴブリンの斥候にしては、数が少なすぎる。
それに、このゴブリンたちの装備……やけに上等じゃねえか?
「待て! 何かおかしい!」
俺が叫んだ、その時だった。
斥候役の生徒が、報告を訂正する。
「す、すみません! ゴブリンの集団が現れました! ゴブリンの数は、ご、五十です! それに、あのデカいのは……ホブゴブリンだ!」
ガサガサガサッ!
その言葉を裏付けるように、周囲の茂みから、無数のゴブリンが、武器を構えて姿を現した。
その中には、一際体格のいい、醜悪な笑みを浮かべたホブゴブリンが三体。
完全に、包囲されていた。
「なっ……!?」
「ひぃっ!」
生徒たちの顔から、血の気が引いていく。
さっきまでの楽勝ムードは、一瞬で絶望へと変わった。
やれやれ。
どうやら、俺の出番らしい。
◇◇◇
「――全員、落ち着け! 俺の指示を聞け!」
木の上から飛び降りながら、俺は腹の底から声を張り上げた。
パニックに陥っていた生徒たちの動きが、ぴたりと止まった。
「前衛二人、俺の左右を固めろ! 絶対に前に出るな! 魔法使い、詠唱開始! 狙いは、敵のリーダー格、ホブゴブリンだ!」
生徒たちは、戸惑いながらも、俺の指示に従って動き始める。
それだけで、崩壊しかけていた陣形が、見る見るうちに立て直されていく。
「よし、行くぞ!」
俺は剣を抜き、ゴブリンの群れへと斬り込んだ。
狙いは、敵を殲滅することじゃない。
ただ、時間を稼ぐ。
後衛の魔法が、完成するまでの、数秒間を。
俺の剣が、唸りを上げてゴブリンを薙ぎ払う。
だが、敵の数が多い。
じりじりと、押し込まれていく。
「まだか!」
「ま、もなく!」
魔法使いの悲鳴のような声が返ってくる。
その時だった。
「――キシャア!」
リーダー格のホブゴブリンが、俺たちの陣形の僅かな綻びを見逃さなかった。
その狙いは、俺じゃない。
ソルヴァだった。
巨大な棍棒が、彼女の頭上へと振り下ろされる。
「しまった――!」
剣じゃ間に合わん。
俺はソルヴァと棍棒の間に、無理やり体を割り込ませた。
打ちどころが悪ければ死だが……。
ぎゅっと目を瞑った、その瞬間。
「――ぱぱのじゃまするなー!」
甲高い声が、森に響き渡った。
声の主は、俺の背後で、ずっと戦いを見守っていたクータルだった。
彼女が、天に向かって小さな両手を掲げる。
その体から、凄まじい黄金の光が放たれた。
それは、炎でも、雷でもない。
ただ、純粋な『光』の奔流。
聖なる裁きの光が、ホブゴブリンを、そして、その周囲にいた全てのゴブリンを、一瞬で飲み込んでいく。
断末魔の叫びを上げる間もなく、魔物たちは、光の中に塵となって消滅した。
◇◇◇
帰り道。
馬車の中は、気まずい沈黙に包まれていた。
ソルヴァたちは、クータルの規格外の力に、完全に気圧されてしまっている。
クータルは疲れちまったようで、うとうとと船を漕いでいる。
やがて、ソルヴァが、意を決したように言った。
「申し訳、ありませんでした。全て、私の未熟さが招いたことです」
「気にするな。初陣なんて、あんなもんだ。俺とオーウェンの初陣は、もっとひどかったぞ。二人で泣きながら逃げたもんだ」
「……はい。わかりました。精進します」ソルヴァは、寝そうになっているクータルを撫でた。「クーちゃんも、本当にありがとう。なにかお礼ができたらいいんだけど」
クータルは、少しだけ目を開いた。
「んー……ぱぱと、しぐるーん、けんか、やーなの……」
その、あまりにも無邪気な一言。
お礼に、どうにかしろってか。
無茶を言う。
ぴくり、とソルヴァの肩が震えた。
「……ダンスタン顧問と、シグルーン先生は、その……仲が、よろしくないのですか?」
おずおずと尋ねてくるソルヴァ。
まあ、隠すことでもねえか。
「まあな。ちょっと、俺が悪いせいなんだが、こじれててな」
俺がそう言って苦笑すると、ソルヴァの顔が、みるみるうちに青ざめていった。
彼女は、何かを必死に考え込むように俯くと、やがて、顔を上げた。
その瞳には、先ほどまでの未熟な生徒の面影はない。
強すぎるほどの責任感と、覚悟の光が宿っていた。
(……なんだ、この顔は)
俺が、嫌な予感を覚えた、まさにその時。
彼女は、俺の目をまっすぐに見据え、とんでもないことを言い放った。
「ダンスタン顧問。原因は、私にあります」
「は?」
「あなたが、シグルーン先生との関係に悩んでいらっしゃるのは、私の存在が、あなたと彼女の間に、要らぬ波風を立てているからに違いありません」
いや、そんなことは欠片もねえんだが。
どうやら、この真面目すぎる元生徒会長は、斜め上の結論に到達しちまったらしい。
彼女は、すう、と息を吸い込むと、さらに言葉を続けた。
その声は、真剣そのものだった。
「ですので、責任を取らせてください」
「責任……?」
「はい。これは、恋愛感情などという、非論理的なものではありません。現状の問題点を分析し、導き出された、最も合理的で、効率的な解決策です」
どこかで聞いたような台詞だな、おい。
俺が、呆気にとられて言葉を失っていると、彼女は、その完璧に整った顔で、静かに、だがはっきりと、告げた。
「――私が、あなたの妻になります」




