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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第46話 パパは、私の恋愛塾の一番弟子だね

 プロポーズに、失敗した。


 翌朝の食卓は、まさに氷河期だった。


 カチャ、と食器が立てる音だけが、やけに大きく響く。

 俺の正面に座るシグルーンは、一度も俺と目を合わせようとしない。

 ただ黙々とスープを口に運んでいる。

 その横顔は、まるで能面のように、一切の感情を殺していた。


 ピヒラも、ミーシャも、そしてクータルでさえ、この異常な空気を敏感に感じ取っているのだろう。

 三人とも、しょんぼりと俯き、いつもなら賑やかなはずの食卓が、まるで葬式のように静まり返っている。


 なんで、だ……?


 俺は、混乱の渦の中にいた。

 俺の提案は、完璧だったはずだ。

 娘たちのため、そして、職を失ったシグルーンのため。

 双方の利益を考慮した、最も合理的で、効率的な解決策。


 なのに、なぜ、あいつはあんなに傷ついたような顔をしたんだ?

 分からない。

 俺には、何一つ、分からなかった。


 重苦しい空気に耐えきれず、俺はほとんど味のしないパンを無理やり喉に押し込むと、「……ごちそうさん」とだけ呟き、逃げるように席を立った。


◇◇◇


 その日の夕方。

 俺は一人、台所で夕食の準備をしていた。

 シグルーンは、今日も早々に自室に引きこもってしまった。

 ため息しか出ねえ。


 トントントン、と人参を刻む。

 料理をしているときだけは、頭を真っ白にしていられる。


 そんなとき、背後から声をかけられた。


「……パパ」


 ピヒラだった。

 俺は、振り返らないまま「どうした?」とぶっきらぼうに返す。


「パパ、元気ないから、心配で」


 おずおずと、だが、芯のある声。


 俺は、まな板の上でナイフを止めると、ぽつり、ぽつりと、昨夜の出来事を語り始めた。

 娘にする話じゃないが……。

 誰かに、聞いてほしかったのかもしれない。


「俺は、ただ、あいつと、お前たちのために、一番いい方法を考えたつもりだったんだ」


 俺は、昨夜のプロポーズの言葉を、そのままピヒラに伝えた。

 『娘たちのため』『君の生活の安定のため』『これは契約だ』『愛情なんていらない』……。


「合理的で、完璧な提案だったはずなんだがな……」


 弱音だった。

 情けないとは思うが、もう、どうしようもなかった。


 俺の話を、ピヒラは黙って、真剣な顔で聞いていた。

 やがて、俺が全てを話し終えると、彼女は少しだけ考えるように視線を彷徨わせ、そして、俺の目をまっすぐに見つめ返してきた。


「パパ」


「……なんだ」


「パパの『好き』っていう気持ちが、どこにも入ってないから、シグルーンさんは悲しかったんじゃない?」


 核心を、突かれた。

 あまりにも純粋で、一点の曇りもない、真実の言葉。


 ピヒラは続ける。

 その翡翠色の瞳は、俺の心の奥底まで見透かしているようだった。


「私は、恋愛のことはよくわからないけど。ご飯も、心がこもってないと、美味しくない。どんなに良い材料を使っても、どんなに上手に作っても、食べる人のことを想う『心』がなければ、それはただの『エサ』だよ。言葉も、きっと、同じ」


 ピヒラの、その言葉。

 それは、どんな賢者の言葉よりも、深く、強く、俺の胸に突き刺さった。


 俺は、ずっと間違っていたのかもしれない。

 効率とか、合理性とか、そんなものばかり追い求めて。

 一番、大事なものを、見失っていたんじゃ……。


「ふふ。私はパパの料理の一番弟子だけど、パパは、私の恋愛塾の一番弟子だね」


 そう言って、ピヒラは微笑んだ。


◇◇◇


「ねえ、私からも相談していい?」


「ああ、もちろんだ。なんでも相談してくれ」


 ようやく父親らしいことが言えたな、と俺は内心で安堵する。

 俺の言葉に、ピヒラは少しだけ俯くと、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「あのね。学園で仲良くなったお友達がいるんだけど……その子、寮で暮らしてるの」


「ほう」


「最近、その子の元気がないから、どうしたのって聞いたら……寮でご飯を作ってくれる、優しい寮母さんが病気で倒れちゃったんだって。代わりの人のご飯が、すごく味気なくて……寮のみんな、食欲も元気もなくなっちゃって、しょんぼりしてるって……」


 悲しそうに語るピヒラの声。


「私、何かしてあげたいんだけど……でも、私なんかが作っても、喜んでくれるか分からないし……」


 自分のことよりも、まず他人を想う。

 本当に、優しい子に育ったもんだ。


 俺は、自分の悩みが、なんだかちっぽけなものに思えてきた。


「ピヒラ」


 俺は、まな板の前に戻ると、トントン、とリズミカルに人参を刻みながら、静かに、だが力強く言った。


「お前の気持ちが、一番大事だ。お前が、心からその子たちを助けてやりたいと思うなら、パパは全力で応援する。お前の料理なら、絶対に、みんなを笑顔にできる」


 俺の言葉に、ピヒラはぱっと顔を輝かせた。


「でもな」と俺は釘を刺すのも忘れない。「一度やると決めたら、途中で投げ出すなよ。責任を持って、最後までやり遂げるんだ。もし、お前一人で大変になったら……その時は、俺が徹夜してでも手伝ってやるから」


「……うん!」


 力強く頷くピヒラ。

 その顔にはもう、迷いの色はない。


◇◇◇


 俺が学園側に話を通すと、寮生たちもピヒラの申し出を大歓迎してくれ、話は驚くほどスムーズに進んだ。


 そして当日。

 寮の巨大な厨房は、朝から戦場のような活気に満ちていた。


 ミーシャとクータルが手伝いに名乗りをあげてくれた。

 シグルーンも手伝いたそうにしていたが、家事が壊滅的なのでやめさせた。


「ピヒラ、人参の皮むき終わったにゃ!」

「ぴーら、おさら、ふきふきするー!」


 小さなシェフは、コックコートの袖を懸命にまくり上げ、的確に指示を飛ばしていく。

 その姿は、もうただの少女ではない。仲間を率いる、立派な料理人だ。


 俺の仕事は、ひたすらジャガイモの皮を剥くこと。

 何十個というジャガイモを、ただ黙々と剥き続ける。


 娘の晴れ舞台だ。

 父親は、黙って裏方に徹するのが粋ってもんだろう。


 やがて、昼時。

 厨房に、食欲をそそる最高の香りが満ち満ちる。

 本日のメニューは、ピヒラが心を込めて煮込んだ『お日様色の野菜と、とろとろお肉の特製ビーフシチュー』だ。


 食堂に集まってきた寮生たちが、期待と不安が入り混じった顔で、次々とシチューを口に運んでいく。


 その、瞬間。

 静かだった食堂が、一斉に、輝くような笑顔で満たされた。


「おいしい……!」

「なんだこれ! お肉が、口の中でとろける……!」

「温かい……味がする……」


 あちこちから、堰を切ったような歓声が上がる。

 生徒たちの顔に、みるみるうちに血の気が戻り、活気が生まれていく。

 食堂は、あっという間に、たくさんの笑顔と、幸福なざわめきで包まれた。


 俺は、厨房の片隅で、山のようなジャガイモの皮に囲まれながら、その光景をただ、じっと見ていた。


 理屈じゃない。

 効率でもない。


 ただ、目の前の人を笑顔にしたい。

 その純粋な『心』が、この温かい空間を作り出している。

 ピヒラの料理が、どんな言葉よりも雄弁に、たくさんの人の心を温めている。


 娘が、俺の知らないところで、こんなにもたくさんの人を幸せにできるまでに、成長していた。

 その事実が、父親としての、どうしようもない喜びと誇りとなって、胸いっぱいに広がっていく。


(……そうか。『気持ちを伝える』ってのは、こういうことなのかもしれねえな)


 俺はまだ、シグルーンに何と言えばいいのか、その答えを見つけたわけじゃない。

 だが、一番弟子の心尽くしの一皿が、そのヒントを、確かに教えてくれた気がした。


 俺はピヒラの誇らしい後ろ姿を見つめながら、一人、静かに微笑んだ。

 俺も、もう少しだけ、頑張ってみるか。

 不器用でも、格好悪くても。

 俺なりのやり方で。

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