第42話 告白
昼休み。
俺が『特別顧問室』という名の物置で、窓の外をぼんやりと眺めていると。
一人の生徒がおずおずと部屋の扉を叩いた。
「あ、あの……ダンスタン顧問に、お手紙です」
差し出されたのは、一通の、何の変哲もない封筒。
だが、その裏に書かれた差出人の名前を見て、俺は思わず眉をひそめた。
『ソルヴァ』
……あいつから?
一体、何の用だ。
封を開いた。
中に入っていた便箋には、流れるような美しい文字で、こう記されていた。
『放課後、旧校舎裏にて、お話したいことがあります』
……果たし状、か?
いや、この前の決闘で、一応の決着はついたはずだが。
まあ、いい。
あいつが話したいというのなら、聞いてやるのが筋ってもんだろう。
俺は、特に深く考えることもなく、その手紙をポケットにしまった。
だが、この時、俺はまだ知らなかった。
この一通の手紙が、俺の平穏な一日を、とんでもない方向へと引っ掻き回すことになるなんて……。
◇◇◇
その日の午後、俺は学園を歩いていると、なんだか妙に居心地が悪かった。
なぜなら、どこへ行っても、生徒たちの生暖かい視線が、槍のように突き刺さってくるからだ。
「おい、見たか? あの人がダンスタン顧問だぜ」
「ソルヴァ様が、あんなおっさんに懸想を……いや、でも、渋くて素敵かも……」
「世紀のカップル誕生ですわね!」
ひそひそと交わされる会話。
なんだか、妙な勘違いをされているような気が……。
俺は、巨大なため息をつきながら、天を仰ぐ。
どうやら、あの手紙を届けに来た生徒が、内容を勘違いして吹聴して回ったらしい。
尾ひれどころか、翼まで生えた噂のせいで、俺は完全に好奇の目に晒されていた。
◇◇◇
やがて、放課後を告げる鐘が鳴り響く。
俺は、重い足取りで、約束の場所である旧校舎裏へと向かった。
もう、どうにでもなれ、という気分だった。
旧校舎裏は、普段は人の寄り付かない、静かな場所のはずだった。
だが、その日は違った。
物陰の、あちこちから、無数の視線を感じる。
木の影、窓の向こう、茂みの隙間。
息を殺してこちらを窺っている、大量の野次馬たち。
俺が、本日何度目か分からない、深いため息をついた、その時だった。
「……お待たせしました」
凛とした声。
振り返ると、ソルヴァが一人で立っていた。
◇◇◇
現れたソルヴァは、周囲の野次馬たちなど、まるで存在しないかのように、まっすぐに俺だけを見つめていた。
緊張で周囲の状況に気づけていないらしい。
その顔には、いつものような憎しみも、侮蔑の色もない。
ただ、深い覚悟を決めた者の、静かな光が宿っていた。
彼女は、俺の目の前に立つと、何の前触れもなく、その場で深々と頭を下げた。
「この度は……本当に、申し訳ありませんでした」
震える声。
「私は……ずっと、あなたを誤解していました。いいえ、ケティルに都合のいいように、心を操られていただけの、愚かな人形でした」
彼女は、顔を上げないまま、ぽつり、ぽつりと語り始める。
それは、俺が知らなかった、彼女の苦悩の物語だった。
ケティルは、幼い頃からソルヴァに接触し、兄であるオーウェンの親友を装って、彼女の信頼を勝ち取っていたらしい。
彼は、悲しみに暮れるソルヴァに、こう囁いたのだという。
『オーウェン君は、仲間だったはずのダンスタンという男に裏切られ、見殺しにされたのだ』と。
ケティルは、俺への憎しみを、何年もかけて、じっくりとソルヴァの心に刷り込んでいった。
兄の仇を討つことこそが、彼女の生きる意味であるかのように。
「私は、自分の目で真実を見ようともせず、ただ、与えられた憎しみに身を委ねていました……。兄様を想う気持ちを、あの男に利用されていることにも気づかずに……。本当に、愚かでした」
ぽろり、と。
彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、地面に小さな染みを作った。
俺は、ただ、黙ってその告白を聞いていた。
こいつもまた、被害者だったんだ。
◇◇◇
しばらくの沈黙。
やがて、彼女は顔を上げた。
その瞳は涙で濡れていたが、もう迷いの色はない。
「あなたに、許してほしいなどとは言いません。ですが、これだけは……。本当に、申し訳ありませんでした」
もう一度、深く、深く頭を下げるソルヴァ。
俺は、そんな彼女の前に、ゆっくりと手を差し出した。
「ソルヴァ、顔をあげてくれ」
俺の言葉に、彼女は驚いたように顔を上げる。
「お前は、悪くない。ただ、誰よりも兄貴を想う、優しい妹だっただけだ。それに、俺も、お前からずっと逃げていた。だから、お互い様だ」
俺は、ニヤリと笑った。
「仲直りしようぜ」
ソルヴァの張り詰めていた緊張の糸が、ぷつり、と音を立てて切れたようだった。
「あ……あ……」
ソルヴァの美しい顔が、ぐしゃぐしゃに歪んだ。
彼女は、震える声で言った。
「兄様は……私がこうして、間違いを犯した時、いつも……いつも、私の頭を撫でて、抱きしめてくれました……」
その瞳が、救いを求めるように、まっすぐに俺を見つめてくる。
「厚かましいお願いだと、分かっています。ですが……一度だけで、いいのです。兄様のように……私を、抱きしめては、いただけませんか……?」
その、あまりにも痛々しく、健気な願い。
俺は、言葉を失った。
目の前の少女は、もう、学園が誇る天才生徒会長じゃない。
ただの、拠り所を失い、道に迷った、一人の妹だった。
親友の、たった一人の、守るべきだった家族。
俺は、何も言わずに、その震える小さな体を、壊れ物を扱うように、だが、力強く、そっと抱きしめた。
オーウェン、すまねえ。
お前の代わりに、今だけは、俺が兄貴になってやる。
俺の腕の中で、ソルヴァは、声を殺して泣きじゃくった。
その小さな背中を、俺は、ただ、ぽん、ぽん、と優しく叩いてやることしかできなかった。
その、瞬間だった。
「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」
物陰から、盛大な歓声が上がった。
野次馬たちが、一斉に姿を現し、拍手喝采を送っている。
「やったな、顧問!」
「ソルヴァ様、おめでとうございます! なんと劇的な愛の告白……!」
「ああ、青春ですわね! 感動で涙が止まりません!」
「あれ? でも、ダンスタン顧問って奥さんいなかった? 不倫?」
完全に勘違いされてやがる……。
どうやら俺たちのやり取りは、見物人たちには「涙の告白の末、ついに結ばれた二人!」という、恋愛ドラマに映ったらしい。
「……へ?」
俺の腕の中で、泣きじゃくっていたソルヴァが、素っ頓狂な声を上げる。
自分の置かれた状況を理解した瞬間、彼女の顔は、羞恥でみるみるうちに真っ赤に染まっていった。
「ち、ちが……! これは、その……! 断じて、そのようなものでは……!」
慌てて俺から身を離し、弁解しようとするが、興奮した野次馬たちの歓声にかき消されて、誰の耳にも届かない。
俺は、頭を抱えた。
やれやれ……。




