第39話 共闘
パリンッ!
ガラスが砕け散るような甲高い音。
ソルヴァを縛っていた紫の鎖が、光の粒子となって砕け散った。
正気に戻ったソルヴァは、焦点の合わない瞳で、自分の手を見つめている。
「ここ……は……? わ、私は……何を……?」
か細い声。
だが、直後にはっと息を呑み、自分の行いを思い出したのだろう。
「あ……ああ……あ……っ!」
その絶望の淵にいる少女を見て、ケティルは勝ち誇ったように、しかし芝居がかった同情の声色で語りかけた。
「おや、目が覚めたのかい、ソルヴァ君。……可哀想に。だが、ちょうどいい。これでもう、私がお前の手を引いてやる必要もなくなった」
彼は笑みを浮かべる。
「さあ、改めて見るがいい。お前の目の前にいる男こそ、君の敬愛する兄、オーウェンを死に追いやった元凶だ。君は今まで、私の助けを借りて、無意識に復讐を果たそうとしていただけのこと。今度は、君自身の、その確かな意志で、兄の仇を討つといい」
その、あまりにも下劣な言葉。
ケティルの口から、オーウェンの名前が軽々しく紡がれた、その瞬間だった。
膝から崩れ落ちていたソルヴァの震えが、ぴたり、と止まった。
ゆっくりと、顔を上げる。
その瞳から、恐怖や絶望の色は消え失せていた。
代わりに宿っていたのは、底なしの軽蔑と、氷のように冷たい、静かな怒りの色だった。
「……黙れ、外道が」
地を這うような、低い声。
「お前のような男に、兄様のことを語る資格はない」
ソルヴァは、崩れ落ちた体勢から、すっくと立ち上がった。
そして、床に転がっていた剣を拾い上げると、その切っ先を、震えながらも、真っ直ぐにケティルへと向ける。
彼女は、ちらり、と俺に一度だけ、冷たい視線をよこした。
「あなたへの問いは、後でさせてもらう。あなたを許したわけじゃない」
その瞳は、まだ俺への憎しみを宿している。
「――だが今は、目の前の、この男を排除するのが先だ」
そうだ。
それでいい。
俺たちの間には、まだ清算すべき過去がある。
だが、今この瞬間だけは、利害が一致した。
「ああ。それでいい」
俺も、彼女の隣に並んで剣を構える。
◇◇◇
「自我を取り戻したか。だが、それがどうした!」
ケティルは両腕を天に突き上げた。
床に描かれた魔法陣が、再び禍々しい光を放ち始める。
今度は、俺たち二人をまとめて葬り去るつもりらしい。
「させるか!」
ソルヴァが、弾かれたように飛び出した。
その動きは、先ほどまでの機械的なそれとは違う。
怒りを力に変えた、獣のような、鋭い踏み込み。
だが、その剣筋には、まだ迷いが見えた。
「無駄だ! 『闇の荊』!」
ケティルの足元から、無数の黒い影でできた棘が、蛇のように伸びてソルヴァに襲いかかる。
彼女はそれを必死に斬り払うが、きりがない。
まずい、このままじゃジリ貧だ。
俺は叫んだ。
「ソルヴァ! 俺が盾になる! お前は斬ることだけ考えろ!」
「え……?」
一瞬、戸惑いの表情を見せるソルヴァ。
だが、俺は構わず、彼女の前に躍り出た。
そして、迫りくる闇の棘を、全身で受け止める。
ガキンッ! と甲高い音を立て、俺の体を棘が打ち据える。
痛え。
骨の髄まで響くような、鈍い痛み。
だが、構うもんか。
「俺が、お前の盾になってやる! だから、お前は前だけ見てろ!」
俺の言葉に、ソルヴァの瞳が、はっと見開かれた。
そうだ。
思い出せ。
お前の兄、オーウェンも、いつもこうやって、仲間たちの前に立っていたんだ。
ソルヴァの瞳から、迷いが消えた。
彼女は一度、ぎゅっと唇を噛み締めると、剣を構え直した。
「行きます!」
「おう!」
俺たちの呼吸が、ぴたりと合った。
俺がケティルの魔術を防ぎ、ソルヴァがその隙を突いて斬り込む。
彼女が斬り込めば、ケティルは防御に回らざるを得ず、大技を放つ隙を失う。
最初はぎこちなかった連携が、徐々に、完璧な一つの流れとなっていく。
俺は戦いのなかで、不思議な感覚を覚えていた。
懐かしい。
かつて俺とオーウェンが、何度も死線を潜り抜けてきた、懐かしい戦い方だった。
◇◇◇
「くそっ、くそっ! なぜだ! なぜ、私の魔術が……!」
ケティルが、焦燥に満ちた声を上げる。
俺たちの完璧な連携の前に、彼は完全に防戦一方となっていた。
そして、ついに勝負を焦ったのだろう。
彼は、これまでで最大級の魔力を、その両腕に集束させ始めた。
最後の大技。
だが、それは同時に、最大の隙を晒すということでもある。
俺は、その一瞬の好機を見逃さなかった。
「今だ、行けえッ!」
俺の叫びと、ソルヴァが地を蹴る音は、ほぼ同時だった。
彼女の体が、閃光のようにケティルの懐へと飛び込む。
その手の中で、ただの剣が、魔法を帯びているかのように鋭い輝きを放っていた。
「はあああああっ!」
渾身の気合と共に、ソルヴァの一撃が、ケティルの防御魔術を切り裂いた。
「ぎゃあああああっ!」
情けない悲鳴を上げ、ケティルはその場に崩れ落ちる。
勝負は、決した。
◇◇◇
俺たちは、気を失ったケティルを、念のために魔法陣から引きずり出し、手早く拘束した。
ケティルの放っていた魔法は、大きな音を立てていた。
そのうち、学園の衛兵たちが、礼拝堂に来てくれることだろう。
俺は、ケティルの所持品を改めることにした。
こいつが何者で、何を企んでいたのか。
その手がかりが、何かあるはずだ。
懐を探ると、一つの、古びたロケットペンダントが見つかった。
何の変哲もない、鉄製のペンダント。
俺は、その蓋を、ゆっくりと開いた。
中には、一枚の、小さな肖像画が嵌め込まれていた。
そこに描かれていたのは。
若い頃のケティルだ。
そして、その隣で、彼に親しげに寄り添い、この世の全てを祝福するかのように、幸せそうに微笑んでいる、一人の女性。
俺は、その姿に見覚えたがあった。
見間違えるはずがない。
俺たちのパーティの、回復と支援を一手に担っていた、慈愛に満ちた聖職者。
僧侶の、ウーナだった。




