第36話 モンスター・ペアレント
家に帰り、ミーシャの一件を改めてシグルーンに報告すると……。
彼女の眉間の皺が、じわじわと深くなっていった。
「……それで、相手の親御さんとは、後日改めて話し合うことになった、と」
シグルーンは、腕を組んで静かに俺の話を聞いていた。
その表情は、いつものように冷静沈着。
俺は、まあ、こんなもんだろうと、少しだけ安堵していた。
だが、その安堵は、次の瞬間、木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
「―――なぜ、お前はそう冷静でいられる!」
突然、雷が落ちたかのような怒声が、家中に響き渡った。
彼女は、バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。
その怜悧な顔立ちは、怒りで真っ赤に染まっている。
「自分の娘が、心ない言葉で傷つけられたんだぞ! 友人を守るために、たった一人で立ち向かったんだ! それなのに、父親であるお前が、なぜ、怒りを爆発させんのだ!?」
その剣幕は、もはや元ギルド支部長のそれじゃない。
理不尽な目に遭った我が子を想う、一人の母親の、魂からの叫びだった。
……というか、モンスター・ペアレントだ。
「いや、俺だって腹は立ったさ。だが、事を荒立てても……」
「黙れ、この朴念仁が!」
俺の言い訳は、一刀両断に切り捨てられる。
「父親が、娘の前で怒りを示さずしてどうする! お前のその煮え切らない態度が、ミーシャに『自分が悪かったのかもしれない』なんて、余計な気を遣わせることになるんだぞ! 分からんのか!」
シグルーンの激しい怒声に、びくりと肩を震わせていたミーシャが、おずおずと口を開いた。
「し、シグルーン……そんなに怒らないでほしいニャ。パパは、あたしのこと、ちゃんと分かってくれたニャ……」
そして、少しだけ俯きながらも、はっきりとした声で続ける。
「でも……あたしのために、シグルーンがそんなに怒ってくれるのは……嬉しいニャ」
「そうですよ、シグルーンさん」
今度は、ピヒラが冷静に、だが諭すように言葉を継いだ。
「ほら、クータルも怯えてしまっています」
見れば、クータルが俺の後ろに隠れて、シグルーンの剣幕に目を白黒させている。
……娘たちのほうが、よっぽど大人じゃねえか。
「……すまなかった。つい、頭に血が上ってしまっていた」
うーん、呼ばれたのが俺で良かったな。
シグルーンが呼ばれていたら大事件になっていたかもしれん……。
◇◇◇
その夜。
家の中にはようやく、いつもの穏やかな空気が戻っていた。
俺は一人で暖炉の火を見つめながら、今日の出来事を反芻していた。
『旧校舎の礼拝堂』か……。
シグルーンに相談しないとな……。
そんなことを考えていると、ひょっこりと、部屋の入り口から小さな銀髪が覗いた。
クータルだった。
「ぱぱ、なにしてるのー?」
「ん? ああ、クータルか。どうした、眠れないのか?」
「ううん。ぴーらがね、えっちなほん、よんでるのー!」
その、あまりにも無邪気な爆弾発言。
「こ、こらクータル! ち、違います、これはその、文学作品で……!」
慌てて後から追いかけてきたピヒラが、顔を真っ赤にして弁解している。
その手には、いかにもな恋愛小説が握られていた。
その、微笑ましいやり取りを見ていたら、ささくれ立っていた俺の心が、少しだけ和らいだ。
そんな俺たちの様子を、少し離れた場所でお茶を飲んでいたシグルーンが、呆れたような、でも、どこか楽しそうな顔で眺めている。
その時だった。
クータルが、とてとてと俺の元へ駆け寄ってくると、キラキラした瞳で、とんでもない質問を投げかけてきた。
「ねー、ぱぱ! はつこいって、なーに?」
◇◇◇
初恋。
その、あまりにも甘酸っぱい響きの言葉に、俺は思わずむせ返りそうになる。
「ぴーらのおほん、はつこいのおはなしなの! ぱぱにも、はつこい、あった?」
クータルの純粋すぎる問いかけに、ピヒラとミーシャも興味津々といった様子で、俺の顔を覗き込んでくる。
やめろ。
そんなキラキラした目で、おっさんの昔話を聞こうとするな。
「……さあな。昔のことすぎて、忘れちまったよ」
俺は、照れ隠しにそう言って、話を終わらせようとした。
だが、娘たちはそう簡単に引き下がってはくれない。
「えー、ききたーい!」
「パパの初恋……どんな人だったんですか?」
「気になるにゃ!」
三方向からの、期待に満ちた眼差し。
こうなったら、もう観念するしかない。
俺は、はぁ、と深いため息をつくと、遠い昔の、淡い記憶の扉を、ゆっくりと開いた。
「……分かった、分かったよ。そんなに聞きたいなら、話してやる」
俺は、少しだけ遠い目をして、語り始める。
……いつの間にかシグルーンも、リビングに来ているじゃないか。
やれやれ……。
まあいいか。
「パパにもな、昔、仲のいい女の子がいてな」
その言葉に、娘たちの目が、一斉に輝いた。
「ミーシャにも話したが、『しーちゃん』っていう、魔法の才能はピカイチなんだが、それ以外はてんでだめな、臆病で、大人しい子がいたんだ」
泣き虫で、ドジで、いつも俺の後ろに隠れてばかりいた、小さな女の子。
「俺が喧嘩で怪我をすれば、べそをかきながら治癒魔法をかけてくれた。俺が、腹を空かせていれば、自分の分のパンを、半分こにしてくれた。いつも、俺のことばかり心配して、自分のことは後回し。そんな、お人好しで、不器用なやつだった」
懐かしい記憶が、次から次へと蘇ってくる。
俺は、その甘酸っぱい思い出を、懐かしむように、娘たちに語った。
◇◇◇
ガタガタガタ……。
ふと、ソファに座るシグルーンの手に持っていたティーカップが、小刻みに、ありえないほど激しく震え始める。
その顔が、まるで沸騰したやかのように、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「おい、シグルーン、どうした? 体調でも悪いのか?」
「な、なんでもない!」
声が、完全に裏返っている。
彼女は、ガタンッ! と乱暴にカップをテーブルに置いた。
「でも、シグルーンさん。お顔が真っ赤ですよ? やはり、熱があるのでは……」
ピヒラが、心底心配そうに彼女の顔を覗き込む。
ミーシャも「大丈夫かニャ?」と隣からひょっこり顔を出した。
娘たちの純粋な心配の眼差しが、どうやら最後の引き金になったらしい。
「―――そ、そうだ! 思い出した! 今夜は、夜間パトロールの当番だった!」
シグルーンは、突然、大声を上げて、椅子から弾かれるように立ち上がった。
夜間パトロールってなんだ?
いままでそんなことしたことなかったと思うが……。
「では、私はこれで! 街の平和を守ってこねばならんのでな! 失礼する!」
そう叫ぶと、彼女は一目散に部屋から逃げ出してしまった。
後に残されたのは、唖然とする俺と、きょとんとした顔の娘たちだけ。
「……しぐるーん、どうしたんだろ?」とクータル。
「さあ……?」
俺は、訳が分からないまま、ガシガシと頭を掻いた。
今日のシグルーンは、なんだか、いつも以上におかしかったなぁ……。
『旧校舎の礼拝堂』について相談したかったんだけどなぁ……。




