第35話 『しーちゃん』
『嘆きの揺り籠』の件については、シグルーンに引き続き調査を頼んでおいた。
まあ、俺はそういう調べ物とか、向いてないからなぁ……。
王都での生活にも少しずつ慣れてきた。
ソルヴァとの一件以来、俺を見る生徒たちの視線には妙な畏敬の念が混じるようになっちまったが、それも時間が解決してくれるはずだ。
そんな、穏やかな午後だった。
俺が『特別顧問室』という名の物置で、窓の外をぼんやりと眺めていると。
一人の学園職員が、慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「だ、ダンスタン顧問! ミーシャお嬢様の担任の先生から、至急お話があるとのことです!」
……ミーシャの担任から?
その瞬間、俺の脳裏に、遠い昔の記憶が、嫌な汗と共に蘇ってきた。
そうだ、この感じ。
覚えがある。
俺がまだ、悪ガキだった頃。
ウィッカーデイルの小さな学校で、喧嘩だの、サボりだのをやらかす度に、職員室に呼び出された時の、あの重苦しい感覚だ。
まさか……うちのチーフ・ガーディアン、何かやらかしやがったか!?
いやいや、あいつに限ってそんなことは……。
でも、最近ようやく友達もできて、少し調子に乗っていた節もある。
俺は、自分の学生時代に散々怒られた記憶を思い出しながら、重い、実に重い足取りで、低学年の校舎へと向かった。
頼むから、穏便に済んでくれよ……。
◇◇◇
案内された教室の扉を開けると、そこには、想像していた通りの光景が広がっていた。
いや、想像以上に、重苦しい空気だった。
教室の真ん中で、ミーシャが、しょんぼりと、耳も尻尾もだらりと垂らして俯いている。
もう見るだけでしょげているのがわかる。
おかしな話だが、ミーシャがしょげている姿って本当に可愛いんだよな……。
その隣には、彼女を庇うように、もう一人の獣人の女の子が、涙目で寄り添っていた。
二人を取り囲むように、困惑した表情の担任教師と、腕を組んで不機嫌そうにしている、いかにも貴族といった風貌の夫婦。
そして、その夫婦の後ろには、わんわんと大声を上げて泣きじゃくる、金髪の男の子がいた。
……状況、最悪じゃねえか。
「あ、あの……ミーシャさんのお父様ですね?」
担任の若い女性教師が、おずおずと俺に話しかけてくる。
「単刀直入に申し上げます。本日、授業中に、ミーシャさんが、あちらのオルコット君を……その、突き飛ばしてしまいまして……」
聞けば、ミーシャがクラスメイトの男の子を突き飛ばし、大泣きさせてしまった、と。
オルコット君とやらの両親は、カンカンだ。
「平民の、それも獣人の子が、由緒正しき我が家の息子に手を上げるなど!」と、息巻いている。
うーん、懐かしいなぁ……。
大丈夫だ、ミーシャ。
俺も親にはめちゃくちゃ迷惑かけたからな。
まず、娘の言い分を聞いてやるのが親の務めだ。
「ミーシャ」
俺が静かに声をかけると、俯いていた娘の肩が、びくりと震えた。
「何があったのか、パパに話してごらん」
俺の言葉に、ミーシャは顔を上げられない。
その代わりに、隣にいた友達の獣人の女の子が涙ながらに真相を語り始めた。
「ち、違うんです! ミーシャちゃんは、悪くないの!」
彼女――確か、犬の獣人族のサラちゃんだったか。
夕食のときにミーシャから友達ができたという話を聞いたことがある。
彼女が言うには、例のオルコット君が、授業中にサラちゃんに向かって「獣人は汚い」「臭いがうつる」などと、心ない言葉を投げつけてきたらしい。
サラちゃんが泣き出すと、それを見ていたミーシャが、止めに入った。
だが、オルコット君は聞く耳を持たず、さらに酷い言葉を続けた。
それにカッとなったミーシャが、思わず、力の加減を間違えて、彼を突き飛ばしてしまった。
……そういうことか。
よくやった、ミーシャ。お前は何も間違っちゃいない。
だが、今は堪えろ。
後で、たっぷり褒めてやるからな。
俺は何も言わず、震えるミーシャの前に膝をつくと、その小さな頭を、わしわしと一度だけ、力強く撫でてやった。
張り詰めていたミーシャの緊張の糸が、ぷつりと切れたのだろう。
ぽろり、と。
大きな瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
よし。
俺はゆっくりと立ち上がると、カンカンに怒っているオルコット君の両親に向き直り、深く、一度だけ頭を下げた。
「オルコットご夫妻。理由がどうあれ、私の娘がご子息に手を上げてしまったことは事実です。監督不行き届きでした。まず、その一点については、父親として心よりお詫び申し上げます」
俺の予想外の謝罪に、息巻いていた父親の方が「ふん、分かればいいんだ、分かれば!」と、少しだけ勢いを弱めた。
よし、まずは冷静に話を聞く土俵に乗せた。
交渉の基本だ。
俺はゆっくりと顔を上げ、今度は一切引かない、静かだが、芯のある声で言葉を続けた。
「さて、その上で、お伺いしたい。ご子息が、私の娘の友人を、獣人族であるというだけの理由で『汚い』と罵り、心を深く傷つけたことについては、どのようにお考えでしょうか?」
「なっ……! それは……」
父親が言葉に詰まる。
……とはいえ、俺は、この夫婦をやり込めるためにここにいるんじゃない。
娘の学園生活を守るためにいるんだ。
俺は糾弾の視線を彼らから外し、今度は困惑している担任教師へと向けた。
「先生。失礼ですが、そのオルコット君は、普段からそういった、他の生徒を傷つけるような言動をされるお子さんなのでしょうか?」
俺の問いに、担任教師は困惑した表情で首を横に振った。
「いえ……それが、信じられないのですが……。オルコット君は、もともとは誰にでも優しくて、虫も殺さないような、本当に良い子だったんです。それが、ここ最近、まるで人が変わってしまったように、急に攻撃的になって……。私達も、どうしたものかと……」
担任教師のその言葉を受けて、俺は再び、ご夫妻に向き直った。
「……とのことですが、ご夫妻。お子さんが急に変わってしまったことについて、何かお心当たりはございませんか? なにか、環境の変化というか、ストレスになるようなこととか……どんな些細なことでも構いません」
俺は、彼らを責めるわけではなく、「子供の異変を心配する」という口調を演じてみた。
母親が「そういえば……あの子、最近……何かに夢中になっているようではありましたが……」と口ごもり、父親は気まずそうに顔をそむける。
その、夫婦が答えに窮した時だった。
ずっと黙って話を聞いていた、犬の獣人族のサラちゃんが、何かを思い出したように、おずおずと手を挙げた。
「あ、あの……!」
全員の視線が、その小さな体に集まる。
「オルコット君、最近、よく『旧校舎の礼拝堂』に遊びに行ってたって、みんなに自慢してました……。あそこに行くと、強くなれるんだって……」
◇◇◇
さて、ひとまず家へ帰ることになった。
オルコットくんは、そのあと無言になり、何も語ろうとしなかった。
いまは両親と一緒に家へ帰り、話を聞いているらしい。
『旧校舎の礼拝堂』という情報については気になるところだが……まずは、今日の功労者であり、一番心を痛めたであろう娘のケアが先決だ。
俺の隣を歩くミーシャは、すっかり元気を取り戻している。
俺の大きな手を、小さな手でぎゅっと握りしめ、時折、心配そうに俺の顔を窺っている。
「……パパ」
ふと、ミーシャが消え入りそうな声で呟いた。
「あたし、やりすぎちゃったにゃ……。パパ、なんで怒らないにゃ?」
友達を守れたことは嬉しかったのだろう。
だが、同時に、相手を泣かせてしまったこと、手を出してしまったことへの罪悪感が、その小さな胸を苛んでいるようだ。
「ん? ああ……まあな」
俺は苦笑いを浮かべ、ガシガシと頭を掻いた。
「実はな、パパにも、お前とそっくりな経験があるんだ」
「パパにも?」
「おう。俺がまだ、お前くらいの歳の頃だったかな……」
俺は、ぼんやりと昔のことを回想する。
ウィッカーデイルの、埃っぽい訓練場。
ぎらぎらと照りつける太陽。
仲間たちの笑い声。
その中に、いつも一人だけ、おどおどと隅っこにいる女の子がいた。
「昔、俺にも友達がいてな。『しーちゃん』っていう、魔法の才能はピカイチなんだが、それ以外はてんでだめな、臆病で、大人しい子がいたんだ」
泣き虫で、いつも俺の後ろに隠れてばかりいた、ドジな女の子。
だが、ひとたび杖を握ると、その瞳だけは、どんな高位の魔術師よりも強く輝いていた。
「その子が、よくからかわれててな。特に剣術の授業なんかじゃ、うまくできないもんだから、いじめられてたんだ。それを見て、カッとなった俺が、相手をボコボコにして……まあ、やりすぎちまったんだよ。今日の、お前みたいにな」
俺がそう言って笑うと、ミーシャは「パパも、おんなじだったんだにゃ!」と、ぱあっと顔を輝かせた。
親近感が湧いたらしい。
その瞳は、もうすっかり好奇心でキラキラしている。
「その『しーちゃん』って子とは、いまも仲良くしてるニャ?」
子供らしい、純粋な質問。
その一言に、俺の胸が、ちくりと少しだけ痛んだ。
俺は、少しだけ遠くを見るように、空を見上げた。
「いや……」
声が、少しだけ掠れた。
「あいつは、すごい才能があったからな。田舎の村から、一人だけ、この王都の魔法学園に推薦されて行っちまったんだ。……それっきりだよ」
もう、何年も会っていない。
あいつは今、どこで、どうしているんだろうか。
別れ際、俺は馬車に乗る彼女を見送ったのを、ふと思い出した。
亜麻色の髪が、風に揺れてきれいだったっけ……。
俺が少し感傷に浸っていると、ミーシャが、ぎゅっ、とさらに強く俺の手を握りしめてきた。
心配そうな、大きな瞳。
「大丈夫だ」
俺は感傷を振り払うように、ミーシャの頭を優しく撫でた。
「だからな、ミーシャ。友達を守ろうとした、お前の行動は、何も間違っちゃいない。パパは、お前を誇りに思う」
「……うん!」
「けどな、人を守るってのは、ただぶん殴るだけが能じゃねえ。時には、今日のパパみたいに、頭を使うことも大事なんだ。もっと賢いやり方もある。……これから、ゆっくり教えてやるよ」
「にゃ! パパ、あたし、もっと強くなるにゃ!」
元気いっぱいの返事。
その素直な瞳を見ていると、俺のささくれ立った心も、じんわりと癒されていくのを感じた。
そうだ。
俺は、この子の父親なんだ。
俺が経験してきた全てを、今度はこの子に伝えていく番なんだな。




