第34話 黒塗りの公式調査報告書
「……少し、話をしないか」
ソルヴァは何も言わない。
ただ、固く唇を結び、俺の言葉を待っている。
俺は、一度、ぎゅっと目を瞑った。
「……きみは、オーウェンの妹だな?」
俺の問いかけに、彼女の肩がびくりと震えたのが分かった。
しばらくの沈黙。
やがて、か細い声が返ってくる。
「……ええ。そうです」
「そうか……。やはり、そうだったか……」
俺は、ソルヴァに対し、深々と頭を下げた。
「すまなかった。いや、そんな言葉では終わらせられるわけがないが……。少し、俺の話をきいてほしい」
ソルヴァは黙ったまま、俺を見ていた。
深く息を吐いて、俺は話をつづける。
「あの日のことだ。『嘆きの揺り籠』での、あの忌まわしい事件……。あれは、全て、俺の判断ミスだった」
声が、震える。
思い出すだけで、今も全身の血が凍りつく。
「俺が、慢心していた。俺の索敵スキルなら、どんな罠も見抜けると、過信していたんだ。だから、仲間たちに『安全だ』と、そう伝えてしまった。その直後だった。床が抜けて、みんな……」
オーウェンの最期の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「親友だった彼を……オーウェンを、そして、他の仲間たちを、俺が死なせた。俺一人のミスで、全員を……」
言葉が、続かない。
ただ、熱いものが、目の奥から込み上げてくる。
まだ、伝えなければならないことがある。
「そして、何より……君に、合わせる顔がなかった。兄を死なせた男が、のうのうと君の前に現れることなんて、できるはずがなかったんだ。怖かった。真実を告げるのが……君のその、憎しみに満ちた瞳を見るのが、ただ、怖かったんだ」
そうだ、俺は逃げた。
「だから、俺はウィッカーデイルという辺境の街で、Cランク冒険者を名乗り、ただ息を潜めて、過去から目を背けて生きてきた。真っ先に君の元へ駆けつけて、何があったのかを全て話し、君に裁かれるべきだったのに……。本当に、卑怯者で、すまなかった……」
俺は、ただ、頭を下げ続けた。
どんな罵声を浴びせられても、どんな罰を与えられても、受け入れる覚悟だった。
◇◇◇
しばらくの沈黙。
やがて、彼女の口から絞り出されたのは……。
「……あなたの言葉で、兄様が帰ってくるわけではない」
怒りと、悲しみと、そしてやり場のない混乱がごちゃ混ぜになった、悲痛な言葉。
彼女は、そう吐き捨てると、踵を返し、訓練場から走り去ってしまった。
後に残されたのは、俺一人。
拒絶された。
当然か……。
◇◇◇
重い足取りで、俺は図書館へと向かっていた。
ピヒラの様子でも見て、少し気持ちを落ち着かせよう。そう思ったんだ。
王立学園の中央図書館は、とんでもなく広かった。
天井まで届きそうな本棚が、迷路のように立ち並んでいる。
古びた紙とインクの匂いが、静謐な空間に満ちていた。
俺は、薬学書のコーナーで、目的の小さな背中を見つけた。
ピヒラだった。
彼女は、自分の背丈ほどもある分厚い専門書をテーブルに広げ、目をキラキラと輝かせながら、夢中でページをめくっている。
その、ひたむきな姿を見ているだけで、ささくれ立っていた俺の心が、じんわりと癒されていくのを感じた。
「よう。勉強熱心なこった」
俺が声をかけると、ピヒラはぱっと顔を上げた。
「あ、パパ! あのね、今、古代エルフの秘薬について調べてるの! この本によると、月の光を浴びたレクナール草を煎じた雫と、竜の涙を混ぜ合わせると、万病に効く霊薬が作れるんだって! すごいよね!」
「竜の涙、ねえ……」
そんなもん、どこで手に入れるんだか。
お腹が減ったらぴーぴー泣く竜なら、一応、家にはいるけどな……。
まあ、なんにせよ。
知的好奇心に満ち溢れたピヒラの笑顔は、何物にも代えがたい宝物だった。
こいつをこの学園に連れてきて、本当に良かった。
俺がピヒラと他愛もない話をしていると、ふと、図書館の奥にある、重厚な鉄の扉が、ぎぃ、と重い音を立てて開いた。
扉には『禁書庫』と、物々しいプレートが掲げられている。
中から現れたのは、シグルーンだった。
その腕には、王家の紋章が刻印された、ひどく古びた革張りのファイルを、何冊も抱えている。
「シグルーン? そんなところで何を……」
俺の問いかけに、シグルーンは「少し、調べものだ」とだけ短く答えた。
だが、その目は、ただの調べ物をしている人間のものじゃなかった。
何か、とんでもないものを発見してしまった、というような、興奮と、そしてわずかな困惑の色が浮かんでいた。
◇◇◇
シグルーンは、俺とピヒラを手招きすると、図書館の隅にある閲覧室へと向かった。
そして、周囲に誰もいないことを確認すると、抱えていたファイルの中から、一際古びたものをテーブルの上に置いた。
「ダンスタン。これを見ろ」
彼女が指し示したファイルの表紙には、こう記されていた。
『『嘆きの揺り籠』ダンジョン崩落事故に関する公式調査報告書』
俺は、息を呑んだ。
「お前の過去をほじくり返すようで、すまない。だが、どうしても腑に落ちんことがあってな。元ギルド支部長の権限で、王家の書庫から取り寄せさせた」
シグルーンは、そう言うと、報告書のページを一枚、また一枚と、ゆっくりとめくっていく。
「だが、おかしいんだ。あまりに、内容が杜撰すぎる」
彼女の指が、ある一点で止まった。
「生存者の証言は、お前のものしか記録されていない。他の遺留品や、現場の状況に関する記述は、ほとんどが黒塗りにされているか、あるいは、意図的に破棄されたかのように欠落している。まるで……」
彼女は、そこで一度言葉を切ると、俺の目を、まっすぐに見据えた。
「まるで、誰かが、この事件の真相を隠蔽するために、調査そのものを、無理やり打ち切らせたかのようだ」
隠蔽された、記録。
俺は、言葉を失う。
俺の記憶では、あの事件は、俺のミスが引き起こした、ただの悲劇だったはずだ。
だが、目の前の『公式記録』は、その記憶に、静かに、だが確かに『否』を突きつけている。
シグルーンは、そんな俺の葛藤を見透かすように、静かに、だが重い一言を放った。
「なあ、ダンスタン。お前の信じてきた『罪』の記憶と、この、何者かによって『隠蔽された記録』。―――どちらが、本当の『真実』なんだろうな?」
その言葉が、俺の心に、これまで考えたこともなかった、根源的な『謎』の種を植え付けた。
俺の罪悪感。
仲間を死なせたという、揺るぎないはずだった事実。
……いったい、どういうことなんだ?




