第33話 クータル観察日記
家に帰ると、扉を開けた瞬間に、三つの小さな竜巻が俺に襲いかかってきた。
「「「パパ、おかえりなさい(にゃ)!」」」
どうやら俺とソルヴァの決闘を見ていたらしい。
「パパ! あの、最後のやつ! くるんって回って、こんってやるやつ! あれ、どうやったの!? ミーシャにも教えてほしいにゃ!」
一番に飛びついてきたのはミーシャだ。
目をキラキラと輝かせ、興奮冷めやらぬといった様子で、俺の動きを真似てその場でくるくると回っている。
尻尾もぶんぶんと振っていて、喜びを隠しきれていない。
「あ、あれはだな……」
俺が説明に窮していると、今度はピヒラが、少し頬を赤らめながら、だが真剣な眼差しで俺を見上げてきた。
「わたし、戦いのことはわからないけど。パパ、格好良かったよ」
その言葉に、俺は思わず照れくさくなってしまう。
そして、最後に。
「ぱぱ、さいきょー!」
クータルのあまりにも純粋な称賛に、俺は照れくささを通り越して、なんだかむず痒い気分になった。
自分の年齢の三分の一程度の生徒を相手に戦っただけのことだ。
まあ、嬉しいんだけど、なんというかむずがゆい。
だが、そんな温かい歓迎ムードの中、一人だけ、腕を組んで俺を睨みつけてくる影があった。
シグルーンだ。
彼女は、ふぅ、と深いため息をつくと、俺の前に仁王立ちした。
その目は、完全に据わっている。
「子供相手に本気を出すな、この馬鹿者が」
静かだが、有無を言わさぬ迫力があった。
「いや、本気ってわけじゃ……」
「言い訳は聞かん。相手はまだ、本当の死線を知らんひよっこだ。それを、大人気なく叩き潰すとは。少しは手心を加えてやれんのか、貴様は」
正論だ。
正論すぎて、ぐうの音も出ねえ。
「……悪かった」
俺が素直に謝ると、シグルーンは「分かればいい」と、ふいっと顔をそむけた。
そして、去り際に、ぽつりと。
俺にだけ聞こえるような、小さな声で呟いた。
「……だが、見事だったぞ。さすがだな」
その、あまりにも不器用な褒め言葉。
普段、誰かに褒められることなんて皆無だった俺は、その一言で、思わず顔が熱くなるのを感じた。
くそ、素直じゃねえ女だ。
……素直じゃないのは、俺もか。
◇◇◇
翌日。
学園に足を踏み入れた瞬間、俺は、空気が昨日までと完全に変わっていることに気づいた。
「お、おい、あれ……」
「ダンスタン顧問だ……」
「昨日の決闘、見たか? ソルヴァ様を、赤子扱いだったぞ……」
ひそひそと交わされる会話。
俺に向けられる視線には、もう侮蔑や嘲笑の色はない。
そこにあるのは、畏敬と、恐怖と、そしてほんの少しの好奇心。
……居心地が悪い。
悪すぎる。
俺はそんな視線から逃れるように、自分の『特別顧問室』へと足早に向かった。
幸い、今日の午前中は特に仕事もない。
手持ち無沙汰になった俺は、ふと、娘たちの様子が気になった。
ピヒラとミーシャは、まあ……大丈夫だろう。
また今度様子を見に行こう。
問題はクータルだ。
あいつ、ちゃんと授業を受けてるんだろうか。
俺は音を殺し、気配を消して、低学年向けの校舎へと向かった。
ちょうど昼休みが終わる直前だったらしく、廊下まで子供たちのはしゃぎ声が響いてくる。
俺は教室の扉の小窓から、こっそりと中を覗き見た。
教室の真ん中には、人だかりができていた。
その中心に、ちょこんと椅子に座って、ふんぞり返っている小さな銀髪。
クータルだった。
「クータル様! 次は私の魔法を見てくださいまし!」
「ずるいよ! 次は僕が、昨日お父様に教わった剣の型を披露する番だ!」
「クータルちゃん、これ、わたくしのお気に入りのクッキーですわ。どうぞ!」
貴族の子弟であろう子供たちが、俺の娘に貢物をし、次々と芸を披露している。
なんだこの光景は。
クータルは、もらったクッキーをもしゃもしゃと頬張っていた。
馴染んでる……のか?
やがて、授業の開始を告げる鐘が鳴り響くと、子供たちは「「「あーっ!」」」と残念そうな声を上げながら、名残惜しそうに自分たちの席へと戻っていった。
クータルも、満足げな顔で自分の席に着く。
さて、授業態度はどうなんだか。
俺は、もう少しだけ様子を見ることにした。
担当の女性教師が入ってきて授業が始まる。
クータルは、最初の数分だけは、真面目な顔で黒板を見つめていた。
ほう、やるじゃないか。
そう思ったのが、間違いだった。
授業が始まって十分も経たないうちに、俺の娘は、こっくり、こっくり、と盛大に船を漕ぎ始めた。
そして、すとん、と机に突っ伏し、もう完全に寝息を立てている。
口の端からは、よだれまで垂れていた。
その、あまりにも微笑ましい光景に、俺は思わず吹き出しそうになる。
まあ、あいつが楽しくやってるなら、それでいいか……。
俺は静かにその場を離れ、自分の顧問室へと戻ることにした。
◇◇◇
顧問室への帰り道。
俺は、第五訓練場の前を通りかかった。
昨日、俺とソルヴァが決闘を繰り広げた場所だ。
ふと、訓練場の隅に人影があるのに気づく。
一人、黙々と木剣を振るうプラチナブロンドの髪。
ソルヴァだった。
彼女は、鬼気迫る形相で、何度も、何度も、同じ剣の型を繰り返している。
だが、その動きは、昨日までの、あの完璧な美しさを失っていた。
型は乱れ、剣筋には焦りと、苦悩の色が、痛々しいほどに滲み出ている。
やがて、体力の限界が来たのだろう。
ソルヴァは、ぜえ、ぜえ、と肩で息をしながら、その場に膝をついた。
木剣が、カラン、と力なく地面に転がる。
その時だった。
彼女は、震える手で自らの胸元をかき探った。
制服の下から取り出したのは、銀のチェーンに通された、古びた一つのペンダント。
意匠も何もない、ただの、使い古された鉄のプレートだった。
ソルヴァは、そのペンダントを、まるで祈るように、両手で強く握りしめた。
あのペンダントには見覚えがある。
以前までの俺なら、逃げていたかもしれない。
だが、今は違う。
守るべき娘たちができて、俺は少しだけ、強くなれたのかもしれない。
過去と向き合うときが来たのだろう。
俺は、覚悟を決めた。
ゆっくりと、訓練場の中へと足を踏み入れていく。
俺の気配に気づいたのだろう。
ソルヴァは、はっとしたようにペンダントを慌てて制服の中に隠すと、こちらを振り返った。
俺は、そんな彼女の前に、静かに立った。
「……少し、話をしないか」




