第31話 挑戦状
王都での新しい朝は、いつものように娘たちの賑やかな声で始まった。
「ぱぱー! 見て見て、シグルーンが作った目玉焼き、真っ黒こげだよー!」
「こ、これは芸術的なウェルダンだ! 断じて失敗ではない!」
「シグルーンさん、無理しなくても……私が……」
「ピヒラは黙っていろ! これは私と目玉焼きとのプライドを賭けた戦いだ!」
「二人とも、やけどしないでにゃ……」
台所から聞こえてくる、シグルーンの料理スキルとプライドの壮絶な戦いの音を聞きながら、俺はコーヒーをすする。
ウィッカーデイルのボロ家とは比べ物にならない、立派な借り暮らしの家。
庭までついて、ふかふかのベッドもある。
だが、この家の本当の価値は、そんなことじゃない。
この、騒がしくて、手がかかって、どうしようもなく温かい時間。
それこそが、俺にとっての何よりの財産だった。
「よし、お前ら! そろそろ行くぞ! 学園に遅刻する!」
俺が声をかけると、三者三様の返事が返ってくる。
こうして、俺たち家族五人の、王都での新しい日常が始まったんだ。
シグルーンが手配してくれた馬車で学園に向かう。
まず、クータルとミーシャを低学年向けの校舎へ。
ピヒラを、彼女が興味を持った薬学の基礎科がある校舎へと送り届ける。
娘たちの背中を見送りながら、なんだか不思議な気分になった。
ついこの間まで、日銭を稼ぐことしか考えていなかった俺が、こうして娘の通学を見守る父親になっている。
柄にもねえとは思うが、悪くねえ気分だ。
「さて、と」
俺は一人、自分の職場へと向かう。
案内されたのは、訓練場の片隅にある、物置と見紛うばかりの小さな部屋だった。
ドアには『特別顧問室』なんていう、立派な札がかかっている。
机と椅子が一つずつ。
それだけ。
まあ、俺にはこれで十分すぎるくらいだ。
椅子にどっかりと腰を下ろし、俺は窓の外を眺めた。
活気に満ちた訓練場で、若い才能たちが汗を流している。
俺が、生徒たちに何を教えられるっていうんだろうな。
そんなことを、ぼんやりと考えていた。
◇◇◇
俺の『特別顧問』としての最初の仕事は、上級生の『実戦剣術』の授業を見学することだった。
担当教師の男に案内され、俺は訓練場の隅で、生徒たちの手合わせを眺める。
さすがは王立学園というべきか。
どいつもこいつも、筋がいい。
ウィッカーデイルのチンピラ冒険者とは、レベルが違う。
だが、その中でも一人、明らかに異彩を放つ生徒がいた。
すらりとした長身。
陽光を浴びて輝く、プラチナブロンドの髪。
生徒会長のソルヴァだ。
先日、俺に強烈な憎悪の視線を向けてきた、あの少女。
彼女が木剣を握り、構えた瞬間、訓練場の空気が変わった。
対戦相手の男子生徒が、完全に気圧されているのが分かる。
打ち合いが始まる。
ソルヴァの剣は、美しかった。
一切の無駄がなく、まるで教科書の手本をなぞるように正確無比。
流れるような剣閃が、相手の攻撃を完璧にいなし、的確に隙を突いていく。
数合打ち合っただけで、相手の木剣は乾いた音を立てて宙を舞った。
「そこまで!」
教師の声が響く。
周囲の生徒たちから「おお……」「さすがはソルヴァ様だ」なんていう、感嘆の声が漏れる。
完璧な勝利。
誰が見ても、そう思うだろう。
だが、俺の目には、まったく違うものが見えていた。
綺麗すぎるんだ。
まるで、寸分の狂いもなく演じられる、舞台の殺陣を見ているみたいだった。
そこには、命のやり取りをする者に必ず宿るはずの、泥臭さや、必死さ、そして『殺気』というものが、欠片も感じられなかった。
……なるほどな。
こいつは、本物の死線を潜ったことがねえ。
ただ、才能と努力だけで、完璧な『型』を身につけただけだ。
まあ、最初はそんなもんだ。
冒険に出れば、すぐに剣は実戦向けのものに変わっていくだろう。
◇◇◇
授業が終わり、生徒たちが三々五々に解散していく。
担当教師が、少し緊張した面持ちで俺の元へとやってきた。
「いかがでしたかな、ダンスタン顧問。何か、お気づきの点は?」
俺は腕を組んだまま、ソルヴァが立ち去っていく後ろ姿を見送りながら、素直な感想を口にした。
「いや、本当に見事なもんだ。非の打ち所がない。俺なんかが口を挟む余地はねえよ」
「は、はあ……。そ、そうですか!」
俺の感嘆の声に、教師は心底安堵したように胸をなでおろす。
俺はそれで話を終えるつもりだった。
だが、教師はさらに食い下がってきた。
「ですが、そこを何とか! 特別顧問の視点から、何か一つでも……!」
「……うーん、そうだなあ」
俺はガシガシと頭を掻く。
そんなに持ち上げられても困るんだが。
仕方なく、あくまで個人的な感想として、言葉を選びながら口を開いた。
「あまりに『正直』すぎる剣、なのかもしれんな」
「正直、ですか?」
「ああ。一対一、正面からの打ち合いなら、あれに勝てる奴はそういまい。だが、俺たちが潜ってきたような、何でもありの泥臭い実戦じゃ、不意打ちも騙し討ちも日常茶飯事だ。そういう卑劣な手合いを相手にした時、あの正直すぎる剣筋が、どうなるか。……ふと、そんなことを考えちまった」
俺は、そこで言葉を切った。
その時だった。
立ち去ろうとしていたソルヴァの足が、ぴたりと止まった。
彼女はゆっくりとこちらに振り返る。
その顔には、完璧な、聖女のような微笑みが浮かんでいた。
「素晴らしいご意見です、ダンスタン『顧問』」
彼女は、優雅な足取りで俺たちに近づいてくる。
だが、俺にだけ向けられたその瞳の奥には、燃え盛るような、どす黒い侮蔑の色が渦巻いていた。
「ですが」
彼女は、俺の目の前で立ち止まると、その微笑みを崩さないまま、はっきりと、周囲の誰もに聞こえる声で言い放った。
「あなたのような、仲間を見捨てて生き延びただけのCランクの冒険者の方に、私の剣の何が分かるとおっしゃるのかしら?」
しん、と訓練場が静まり返る。
俺の、忌まわしい過去。
それを、なぜこいつが。
しかも、まるで見てきたかのように。
◇◇◇
凍りついた空気の中、ソルヴァは、さらに言葉を続ける。
「私、あなたのような方に、教えを乞うつもりはございません」
彼女は、俺と、周囲で固まっている生徒たちを見回すと、芝居がかった仕草で小首をかしげてみせた。
「つきましては、一つご提案がございます。私と、模擬戦で勝負していただきたいのです」
ざわ、と生徒たちの間に、さらなる動揺が走る。
生徒会長が、新任の特別顧問に、公然と挑戦状を叩きつけたのだ。
前代未聞の事態だろう。
そして、彼女はとどめの一言を、その美しい唇に乗せた。
「もし私が勝ちましたら、あなたにはこの学園から出ていっていただけますか?」
あまりにも無礼で、一方的な挑戦状。
俺は、何も言わない。
ただ、彼女の瞳の奥で、憎悪という名の炎が、ゆらゆらと燃え盛っているのを、じっと見つめ返していた。
これは、ただの学生の癇癪じゃねえ。
何か、もっと根深い理由がある。
「……いいだろう」
俺の答えに、ソルヴァの口元が、満足そうに、わずかに歪んだ。
「その挑戦、受けた」




