第30話 『人殺し』
長い旅だった。
ウィッカーデイルの静かな森を抜け、いくつもの丘を越え、崖崩れなんていう大事件も乗り越えて。
俺たち家族を乗せた馬車は、ついにその巨大な姿を現した白亜の城壁――王都の正門を、ゆっくりとくぐり抜けていった。
「うわぁ……!」
「おっきい……!」
「ひとがいっぱいだにゃ……!」
馬車の窓から顔を覗かせた娘たちが、一斉に感嘆の声を上げる。
無理もねえ。
俺だって、はじめて来たときは同じ気持ちだった。
ウィッカーデイルとは、何もかもが桁違いだった。
天を突くようにそびえ立つ石造りの建物。
磨き上げられた石畳の上を、数え切れないほどの人が行き交い、豪華な装飾が施された馬車が、軽快な蹄の音を響かせている。
「おい、お前ら! あんまり窓から乗り出すなよ、危ねえぞ!」
俺は、興奮する娘たちに声をかけながらも、内心じゃ冷や汗をかいていた。
この人の多さ、ちょっと目を離した隙にはぐれちまいそうだ。
だが、そんな俺の心配をよそに、娘たちは目をキラキラと輝かせ、初めて見る大都会の景色を、その小さな瞳に焼き付けていた。
その顔を見ていたら、まあ、連れてきて良かったと、心からそう思えた。
◇◇◇
「まずは、旅の疲れを癒すとしよう。滞在先は確保してある」
御者台のシグルーンが、慣れた様子で馬車を走らせていく。
さすが元ギルド支部長、手際がいい。
彼女が「知り合いのつてで、学園近くの空き家を安く借りられた」と言って案内してくれたのは、王都の喧騒から少し離れた、静かな貴族街の一角にある、こぢんまりとした一軒家だった。
小さな庭までついてやがる。
ウィッカーデイルの俺たちの城より、よっぽど立派だ。
その日は、長旅の疲れを癒すために、新しい家でゆっくりと過ごした。
ふかふかのベッドに、娘たちは大喜びだ。
明日から、この王都で、俺たちの新しい生活が始まる。
期待と、少しの不安。
そんなものが入り混じった、不思議な高揚感に包まれながら、俺たちは眠りについた。
◇◇◇
そして翌日。
俺たち家族は、ついにその場所の前に立っていた。
『王立ヴァルヘイム魔法学園』
高くそびえる、白亜の門。
その奥に広がるのは、もはや一つの街と呼んでも差し支えないほどの、広大な敷地と、歴史の重みを感じさせる壮麗な校舎だった。
様々な人種の、若い才能たちが、希望に満ちた顔で行き交っている。
その、自由で、活気に満ちた光景に、俺も娘たちも、ただただ圧倒されていた。
「すごい……」
ピヒラが、感嘆の息を漏らす。
こいつの知的好奇心をくすぐるには、十分すぎる場所だろうな。
◇◇◇
「――よく来てくれたのう、ダンスタン殿! 話はシグルーンから聞いておるよ!」
学園長室で俺たちを迎えてくれたのは、人の良さそうな、少し変わり者の好々爺といった風情の老人だった。
白く長い髭を蓄え、悪戯っぽく細められた瞳。
俺なんぞでは到底測り知れない、深い知性が宿っている。
「それにしても、崖崩れの件、見事な手際だったそうじゃないか! 君のような実戦経験豊富な者が来てくれるのは、この学園にとっても、実に喜ばしいことじゃ!」
どうやら、あの時の救助活動の噂も、既にこの好々爺の耳に届いているらしい。
話が早くて助かる。
「娘さんたちの聴講の件、もちろん構わんとも。才能の芽は、身分や生まれに関係なく、育んでやらねばならんからのう。そして、君には『特別顧問』として、生徒たちの指導に力を貸してほしい。そういう話じゃったな?」
「……俺でよければ」
シグルーンが事前に話を通しておいてくれたからだろう、あまりにもトントン拍子に話が進んでいく。
学園長は「うむ!」と満足そうに頷くと、近くに控えていた若い教師に、俺たちを案内するように言いつけた。
「では、まずはお嬢様方の制服を。こちらへどうぞ」
教師に案内されたのは、事務手続きを行う隣の部屋だった。
そこで娘たちのために用意されていたのは、落ち着いた紺色を基調とした、上品なデザインの制服だった。
「わあ、かわいー!」とクータル。
「これが私たちのお洋服?」とピヒラ。
娘たちが期待に満ちた目で制服を受け取り、試着室へと駆け込んでいく。
しばらくして、少し照れくさそうにしながら、三人が姿を現した。
「……どう、かにゃ?」
「パパ、どーお?」
「ちゃんと着れてるかな?」
普段の活発な姿とは打って変わって、いかにも学園の生徒らしい、知的な雰囲気をまとっている。
いつもより少しだけ大人びて見える娘たちの姿に、俺は思わず泣きそうになる。
なんだかよくわからんが、子どもを育てていると、成長している姿を見ると泣いてしまうのだ。
親っていうのは、どうやらそういうもんらしい。
「……なかなか似合ってるじゃねえか。いっちょ前に、小さな学者様みたいだな」
俺がそう言って頭を撫でてやると、娘たちははにかみながらも、嬉しそうに顔をほころばせる。
くるくると回ってみたり、お互いの姿を見合ってくすくす笑ったり。
その無邪気な様子に、俺の口元も自然と緩んだ。
こうして、俺たちの王都での新しい生活は、驚くほどスムーズに、その第一歩を踏み出した。
……はずだった。
この時までは、そう思っていたんだ。
◇◇◇
「こちらが中央図書館で、あちらが大講堂になります」
案内役の若い教師に連れられて、俺たちは広大な学園の中を歩いていた。
見るもの全てが新鮮で、娘たちはずっとキョロキョロと辺りを見回している。
ふと、俺は、一人の女子生徒の姿に、なぜか目を奪われた。
陽光を浴びて輝く、プラチナブロンドの長い髪。
気品に満ちた、人形のように整った顔立ち。
完璧、という言葉が、これほど似合う人間を俺は知らない。
だが――。
他の生徒たちが俺たちを物珍しそうに、あるいは好意的に見ている中で。
彼女だけが、俺に対して、突き刺すような、純粋な『憎悪』の視線を向けていたのだ。
なぜだ?
俺は、今日初めてこの学園に来たはずだ。
彼女と会ったことなんて、あるはずがない。
なのに、その顔に、どこか見覚えがあるような、ないような。
胸の奥が、嫌な感じでざわつく。
「……先生。あそこにいる生徒は?」
俺は、案内役の教師に、何気ないふうを装って尋ねた。
教師は俺が指さした方を見ると、途端に誇らしげな顔になる。
「ああ、彼女ですか! 彼女こそ、この『王立ヴァルヘイム魔法学園』が誇る、最高の優等生。現生徒会長の、ソルヴァ君ですよ」
ソルヴァ。
その名前に、なぜか俺は、胸の奥がざわつくような、不穏な感覚を覚える。
俺が釈然としない気持ちでいると、彼女――ソルヴァは、俺から視線を外すことなく、その薔薇色の唇を、ゆっくりと動かした。
声は聞こえない。
だが、その唇の動きは、はっきりと読めた。
『人殺し』




