第3話 クータル、秘めたる力の発現
どうすりゃいいんだ……。
眠るクータルの小さな寝息を聞きながら、俺は頭を抱えていた。
この小さな命を守るには、金がいる。食料がいる。
だが、今の俺には日銭を稼ぐ術がない。
こいつを一人家に置いて、魔物がうろつく森へ行くなんて選択肢は、俺の中には欠片もなかった。
一夜、ほとんど眠れずに考え抜いた。
そして、空が白み始める頃、俺は一つの、あまりにも単純な結論にたどり着く。
……連れて行けばいいんじゃねえか。
そうだ。置いていけないなら、一緒にいればいい。
危険な討伐依頼は無理だ。
だが、街の近くでの薬草採取や、簡単な荷運びくらいなら。
問題は、どうやってこの小さな体を安全に運ぶかだ。
俺は椅子から立ち上がると、家の隅に積んであったガラクタの山を漁り始めた。
古い革の端切れ。
昔、マントを自作した時の余りの丈夫な布。
そして、壊れた家具の木の板。
冒険者としての知識は、なにも魔物と戦うためだけにあるわけじゃない。
森で夜を明かすためのシェルター作り、罠の解除、そして、ありあわせの材料で必要なものを作り出すサバイバル術。
俺は剣を置き、代わりにナイフと錐を手に取った。
トントン、と木を削る音。
ギチギチ、と革に穴を開ける音。
クータルの体を優しく包むように、内側には柔らかい布を何重にも張り付けた。
万が一の衝撃にも耐えられるように、外側は硬い木の板で補強する。
背負った時に安定するように、革のベルトの角度を何度も調整した。
数時間後。
朝日が窓から差し込む頃には、一つの『背負い籠』が完成していた。
見た目は正直、ひどいもんだ。
つぎはぎだらけで、無骨で、お世辞にも格好いいとは言えない。
だが、これだけは断言できる。
安全性と快適性だけは、どんな高級品にも負けねえ。
俺の、不器用な愛情が詰まった、世界で一つだけの特注品だ。
◇◇◇
翌日、俺は完成したばかりの背負い籠に、すやすやと眠るクータルをそっと入れた。
うん、悪くない。
俺は満足げに頷くと、その籠をゆっくりと背負い、ギルドへと向かった。
ギィィ……。
いつものように、重いギルドの扉を開ける。
その瞬間だった。
ざわついていたギルドの中が、しんと静まり返った。
酒を飲んでいた屈強な冒険者も、依頼書を眺めていた魔術師も、カウンターで談笑していた受付嬢も。
そこにいた全員の視線が、槍みたいに俺に突き刺さる。
なんだよ……。
居心地が悪い。悪すぎる。
「お、おい……あれ、ダンスタンだよな?」
「嘘だろ……あいつが赤ん坊、背負ってるぞ……」
「いつの間に子供なんてこさえたんだ?」
「ていうか見てみろよ、めちゃくちゃ可愛い子じゃねえか!」
ひそひそと交わされる会話が、嫌でも耳に入ってくる。
万年ぼっちで、いつも死んだ魚みたいな目をしていた俺が、愛らしい赤ん坊を背負っている。
その光景が、ここの連中にとってどれだけ異常なことか。
俺自身が一番よく分かっていた。
俺はそんな視線を無視するように、まっすぐ依頼掲示板へと向かう。
討伐依頼のエリアには目もくれず、一番安全な採取依頼を探す。
これだ。
『依頼:ポポ草の採取。場所:ウィッカーデイル西の草原。報酬:銅貨30枚』
魔物も出ない、ただの野草摘みだ。
これならクータルを危険な目に遭わせることもないだろう。
俺はその依頼書を一枚、引き剥がした。
◇◇◇
依頼は、あっけなく終わった。
ポポ草はそこら中に生えていて、一時間もかからずに規定量を集めることができた。
ギルドで換金し、銅貨30枚。
今日のパンと、クータルのための栄養のあるミルクを買うには十分な額だ。
ふぅ、と息をつく。
どうにか、やっていけるかもしれねえな。
そんな小さな希望を胸に、俺は家路についた。
街の裏通りに差し掛かった時だった。
道の先から、見覚えのある、質の悪そうな男二人が現れて、俺の行く手を塞いだ。
Dランクのチンピラ冒険者だ。
確か、いつも酒場で他の冒険者に絡んでは、金をせびっていた連中だったか。
「よう、ダンスタン。いいもん背負ってんじゃねえか」
ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながら、片方の男が言った。
「なんだそりゃあ? その赤ん坊……売れば高くつきそうだなァ?」
もう一人が、俺の背中のクータルを値踏みするように見ながら、唾を吐いた。
その瞬間。
俺の頭の中で、何かがプツリと切れる音がした。
腹の底から、冷たい何かがせり上がってくる。
こいつら、今、なんつった?
クータルを、売る?
俺が何かをするより、ほんの少しだけ早かった。
背負い籠の中から、クータルがひょっこりと顔を出した。
そのルビーのような赤い瞳が、じっとチンピラたちを見つめている。
そして、小さな唇が開かれた。
「ぱぱを、いじめるな」
辿々しい、しかし、凛とした声だった。
チンピラたちは一瞬きょとんとし、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「はっ! 赤ん坊がしゃべりやがった!」
だが、その笑い声は、すぐに引きつった悲鳴に変わる。
ゴッ!
鈍い音と共に、片方のチンピラの足元にあった石畳が、まるで粘土みたいに不自然に陥没したのだ。
「なっ!?」
男はバランスを崩し、無様に尻餅をつく。
それだけじゃない。
もう一人が腰に差していた錆びた剣が、なんの前触れもなく、
サラサラサラ……。
まるで風化した砂のように、柄から崩れ落ちていった。
俺の目から見ても、完全に異常な現象だった。
◇◇◇
「ひぃっ! な、なんだこいつ! 化け物か!?」
「お、覚えてろよ!」
チンピラたちは恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
後に残されたのは、静寂と、不自然にへこんだ石畳だけ。
俺は、背中で「んー?」と不思議そうに首をかしげているクータルの存在を感じながら、じっとりと滲み出た冷や汗を拭った。
今の、まさか……。
この子の力なのか?
クータルの持つ力の異常さを改めて認識し、俺は背筋が凍るのを感じていた。
これは、隠し通さなければならない。
この力が公になれば、クータルはただでは済まないだろう。
その時、ふと、嫌な視線を感じた。
俺が顔を上げると、ギルドの二階にある窓から、一人の女性がこちらを鋭い目で見下ろしていた。
亜麻色の髪をきつく結い上げた、怜悧な顔立ちの女性。
このウィッカーデイルの冒険者ギルドを取り仕切る、支部長のシグルーンだ。
目が、合ってしまった。
彼女は表情一つ変えずに、すっと窓の奥へと姿を消す。
……見られたか。
ただの偶然か? いや、あの女のことだ。何か勘付いたに違いねえ。
面倒なことになりそうだ。
俺は心の中で悪態をつきながら、足早にその場を立ち去った。
家に帰り着き、クータルをベッドに寝かせる。
すーすーと安心しきった寝息を立てる娘の顔を見ていると、先程までの緊張が嘘のように和らいでいく。
俺は、その小さな頬を、ごつごつした指でそっと撫でた。
面倒? 上等だ。
化け物? それがどうした。
孤独だった俺の人生に舞い降りてきた、温かくて、かけがえのない宝物。
俺は静かに、しかし、固く心に誓った。
「何があっても、俺がこの子を守り抜いてみせる」