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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第26話 ずうっといっしょ

 いよいよ明日、俺たちはこのウィッカーデイルを離れ、王都へと旅立つ。

 全ての準備は整った。

 後は、この家で過ごす最後の一日を、いつも通りに、いや、いつも以上に温かく過ごすだけだ。

 ……と思っていたんだが。


「いやああああっ! ぱぱーっ!」


 静かな朝の空気を、甲高い、悲鳴が引き裂く。


 声の主は、クータルだ。


 俺はベッドから転がり落ちるように飛び起きると、娘たちが眠る部屋へと駆け込んだ。

 ドアを勢いよく開けると、クータルがベッドの上で体を起こし、わんわんと大声を上げて泣きじゃくっていた。


「どうした、クータル!」


 俺が駆け寄ってその小さな体を抱きしめる。

 クータルは俺の胸に顔を埋め、しゃくり上げながら叫んだ。


「ぱぱが、いなくなっちゃうー!」


 その悲痛な叫びに、俺は言葉を失う。


 ……どうやら夢を見たらしい。

 環境が変わることに対する不安から、悪い夢を見たのかもしれない。


 ただの悪夢。

 そう言ってやりたい。

 だが、この子にとって『夢』という概念は、まだ曖意模糊としたものなのだろう。


「ぱぱ、死んじゃいやー! どこにもいかないでー!」


 俺の服をぎゅうっと掴み、俺が本当に消えてしまわないように、必死にしがみついてくる。

 その小さな体の震えが、俺にまで伝わってきた。


「大丈夫だ、クータル。俺はここにいる。どこにも行かない」


 俺は彼女の背中を優しく、何度も何度も撫でてやる。


◇◇◇


 ピヒラとミーシャ、それに騒ぎを聞きつけたシグルーンも心配そうにしていた。


「……すまん、みんな。少し、二人で散歩してくる」


 俺はそう言うと、泣きじゃくるクータルを抱きかかえたまま、家を出た。


 ひんやりとした早朝の空気が、火照った俺の頬を撫でる。


 どこへ行く、なんて決めていたわけじゃない。

 だが、俺の足は、まるで何かに引き寄せられるように、自然と森の方角へと向いていた。


 向かう先は、ウィッカーデイル南の森。

 かつて薬草採取の依頼で訪れた、何の変哲もない森。


 そして、俺の止まっていた人生が、再び動き始めた場所。

 俺が、この腕の中の宝物と出会った、俺たちの『始まりの場所』だ。


 俺はクータルの背中を優しく叩きながら、語りかける。


「大丈夫だ、クータル。パパは、お前を置いてどこにも行かない。絶対にだ」


 俺の腕の中で、クータルのしゃくり上げる声が、少しだけ小さくなった気がした。


「本当? ずうっといっしょ?」


「ああ」


 俺は、いつか訪れるであろう別れを、ぼんやりと想像した。

 クータルの種族は、人間とどれくらい寿命が違うのだろう。

 年齢的なことを考えても、おそらくは俺のほうが早く亡くなるだろう。

 俺は、この子の成長する姿を、いつまで見ていられるだろうか……。

 そんなことを考えると、切なくなる。


 やがて、俺たちは森の奥深く、ぽっかりと開けた小さな広場にたどり着く。

 苔の絨毯に覆われた、神聖さすら感じる、静かな場所。


 俺が、あの日、クータルの卵を拾った場所だ。


◇◇◇


 俺は切り株に腰を下ろし、クータルを自分の膝の上に、向かい合うように座らせた。

 そのルビーみたいな瞳は、まだ涙で濡れている。


「クータル」


 俺は、ずっと心の奥底にあった、答えの出ない問いを、静かに口にした。


「お前は、どこから来たんだ?」


 俺の問いかけに、クータルは不思議そうに、ぱちくりと瞬きをした。

 そして、濡れた瞳でじっと俺の顔を見つめ返すと、ふるふると、小さく首を横に振る。


「わかんない」


 その、あまりにも純粋な一言。


「でもね、ぱぱ」


 彼女は、その小さな両手で、俺のごつごつした頬を、優しく包み込んだ。


「くーのぱぱは、ぱぱだけ」


 ああ、そうか。

 こいつにとって、そんなことはどうでもいいことなんだ。

 どこから来たとか、本当の親が誰かなんて、関係ない。

 俺が、こいつの『パパ』で、こいつが、俺の『娘』。

 ただ、それだけが、こいつにとっての世界であり、真実なんだ。


「……そうだな。俺が、お前のパパだ」


 込み上げてくる熱いものをこらえ、俺は彼女を力いっぱい抱きしめた。


 しばらくして、腕の中で落ち着きを取り戻したクータルが、ふと顔を上げた。

 その顔にはもう、涙の跡はない。

 いつもの、天真爛漫な笑顔が戻っていた。


「ねー、ぱぱ!」


「ん?」


「おうとで、くーがおひめさまになったらね、」


 彼女は、とんでもなく素晴らしいことを思いついた、という顔で、目をキラキラと輝かせる。


「ぱぱが、おうじさまになって、くーとけっこんするの!」


 その、あまりにも無邪気な願い。


「悪いな、クータル。パパは、王子様にはなれないんだ」


 父親だからな。


 いつか、クータルが大きくなって、自分で王子様を見つけなければならない。

 できれば、心の底から愛せる人間を見つけてほしいものだ。


 ……まあ、そいつがどんな奴か知らんが、俺が認めなきゃ、絶対に結婚なんてさせねえけどな。


◇◇◇


 帰り道。

 すっかり元気を取り戻したクータルは、俺の手をぎゅっと握りしめ、ご機嫌に鼻歌を歌っている。

 その姿を見ていたら、俺も自然と笑みがこぼれた。


「なあ、クータル」


「なあに?」


「今夜は、このウィッカーデイルで過ごす、最後の晩餐だ。何か、食べたいものはあるか? パパが、何でも作ってやるぞ」


 俺の言葉に、クータルはぴたりと足を止め、俺の顔をキラキラした瞳で見上げた。

 そして、一秒も迷うことなく、満面の笑みで即答した。


「ぱぱの、かるぼなーら!」


 そのリクエストに、俺は思わず吹き出しそうになる。

 もっと、肉だとか、豪華な料理を言うかと思ったんだが。

 こいつにとっての最高のご馳走は、俺が作る、あの素朴なパスタらしい。


「よし、分かった」


 家に帰り着くと、心配そうに待っていたピヒラ、ミーシャ、そしてシグルーンに、俺は高らかに宣言した。


「よし、お前ら、今夜はパーティーだ! 王都への旅立ちを祝して、俺が腕によりをかけて、最高のカルボナーラを作ってやる!」


 俺の言葉に、ピヒラとミーシャが「わーい!」と歓声を上げる。

 シグルーンも、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。


 俺はシャツの袖をまくり、台所に立つ。


 まずは厚切りの塩漬け豚肉をフライパンでじっくりと炒める。

 ジュウッ、と脂が溶け出す心地よい音。


 すぐに、スライスしたニンニクの香ばしい匂いが加わり、台所が幸せな香りで満たされていく。

 ボウルの中では、卵黄と、削ったチーズ、粗挽きの黒胡椒が出番を待っている。


 茹でたてのパスタを、湯切りもそこそこにフライパンへ。

 豚の旨味が染み出たオイルと手早く和え、火から下ろす。

 間髪入れずに、ボウルのソースを回してかけた。


 パスタの余熱が、卵とチーズを絶妙なクリーム状へと変えていく。

 艶やかなソースが、パスタの一本一本にねっとりと絡みついたら、完成の合図だ。


 俺は出来立てのカルボナーラを、五つの皿に手早く盛り付ける。


「よし、できたぞ! ウィッカーデイル最後の晩餐だ! 冷めないうちに食え!」


 湯気の立つ皿がテーブルに並ぶと、娘たちの目が、一斉にキラキラと輝いた。


「「「いただきまーす!」」」


 元気な声が、家に響く。


「んんー! おいしーい! ぱぱのぱすた、せかいいちー!」


 クータルが、口の周りをソースだらけにしながら、満面の笑みで叫んだ。


「にゃっふん! この、かりかりお肉と、くりーみぃなのが、たまらないにゃ!」


 ミーシャも、目を細めて夢中で頬張っている。


 そして、ピヒラは。

 一口、また一口と、味わうようにゆっくりとパスタを口に運ぶと、尊敬の眼差しで、じっと俺の手元を見つめてきた。


「パパ……すごいです。火の通し方が完璧で、卵が少しも固まっていないのに、ソースは濃厚で……。私も、いつかこんなふうに……」


 目を輝かせる一番弟子に、俺は「まだまだ修行が足りねえな」と、照れ隠しにぶっきらぼうに返した。


 ふと見ると、シグルーンも、普段の澄ました顔はどこへやら、無言で、だが明らかに満足そうな顔でフォークを進めている。


 やがて、全員の皿が綺麗に空になる。

 クータルが、こてん、と俺の肩に頭を乗せてきた。


「ぱぱ、ありがとう。こわい夢みたけど、ぱぱのかるぼなーらたべたら、ぜんぶへいきになった!」


「私も……最高の晩餐でした。ごちそうさまです、パパ」


「ピヒラのごはんも美味しいけど、パパのごはん、やっぱり最高だにゃ!」


 娘たちの、真っ直ぐな感謝の言葉。

 その一言一言が、俺の心の、一番温かい場所にじんわりと染み渡っていく。


「……おう。たくさん食ったな」


 込み上げてくる熱いものを誤魔化すように、俺は娘たちの頭を、順番に、優しく撫でてやった。


 どうか、この笑顔が、この先もずっと続きますように。

 どうか、俺たちの未来が、温かくて優しいものでありますように。


 俺は、心からそう願った。

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