第23話 王立ヴァルヘイム魔法学園
庭の真ん中で、ミーシャが木の棒を構えている。
その向かいに立つのはシグルーンだ。
「いいか、ミーシャ。獣人族の強みはその瞬発力と、野生の勘だ。力で劣る相手と戦う時は、常に動き続けろ。的を絞らせるな」
「にゃ! こうかにゃ!」
ミーシャが猫科特有の低い姿勢から、目にも止まらぬ速さでシグルーンの側面に回り込もうとする。
だが、シグルーンは最小限の動きでそれをいなし、ミーシャの構えた木の棒を、持っていた枝で軽く打ち払った。
カツン、と乾いた音が響く。
「動きはいい。だが、攻撃が単調すぎる。一撃目が読まれれば、次はないと思え」
「うにゃー! もう一回だにゃ!」
楽しそうだ。
ミーシャは、本当に楽しそうに、目をキラキラと輝かせながらシグルーンに挑みかかっていく。
シグルーンも、口では厳しいことを言いながら、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。
あれは訓練というより、じゃれ合いに近い。
だが、その内容は、元Aランクの俺が見ても高度なものだった。
ミーシャの長所を的確に見抜き、それを遊びの中で、楽しみながら伸ばしていく。
シグルーンは、間違いなく『最強の家庭教師』だった。
俺なんかが、足元にも及ばない。
その事実に、俺は嬉しさと、安堵と……そして、ほんの少しの、父親としての焦りのようなものを感じていた。
このまま、このウィッカーデイルの片隅で、俺が教えられることだけで、この子たちの才能の芽を摘んでしまっていいんだろうか。
そんな漠然とした不安が、胸の奥に渦巻いていた。
◇◇◇
その夜。
俺が一人、暖炉の火を見つめながら物思いに耽っていると、背後から静かに声をかけられた。
「ダンスタン」
振り返ると、シグルーンが立っていた。
娘たちはもう、それぞれのベッドで穏やかな寝息を立てている。
「少し、付き合え。散歩に行くぞ」
有無を言わさぬ、いつもの調子だった。
俺は黙って頷くと、上着を羽織って彼女の後に続いた。
ひんやりとした夜気が、火照った顔に心地いい。
空には三日月が浮かんでいた。
俺たちは言葉もなく、月明かりが照らす小道を、ただ並んで歩く。
しばらくして、シグルーンがふと、立ち止まった。
「ダンスタン。お前に、言っておかねばならんことがある」
いつになく、真剣な声だった。
俺が黙って続きを促すと、彼女はまっすぐに俺の目を見て言った。
「勘違いするな。私がギルドを辞めたのは、お前たちのせいではない」
「……なに?」
「元々、辞めるつもりだったんだ。もういい歳だしな。いつまでも私が支部長席に居座っていては、下の者が育たん。信頼できる後輩に譲って……一人で気ままに旅にでも出ようかと、そう考えていた」
初耳だった。
驚いて言葉も出ない俺に、彼女はふいっと視線を逸らし、気まずそうに言葉を続ける。
「……今まで黙っていて、すまなかった。お前が、責任を感じているのは分かっていた。だが……」
彼女は、何かを振り払うように、一度だけかぶりを振った。
そして、ぽつり、と。
独り言のような、か細い声で呟いた。
「この生活が……想像していたよりもずっと……騒がしくて、手がかかって、そして……楽しかったんだ。だから、言い出すきっかけを失っていた」
その声は、不器用で、ぶっきらぼうで。
だけど、そこには一点の曇りもない、彼女の真実の心が込められているのが分かった。
俺の心の中にずっとあった、重たい鉛の塊。
俺が彼女の人生を狂わせたんじゃないか、という罪悪感。
それが、月明かりの下で、静かに、完全に溶けていくのを感じた。
「あんたが来てくれて、助かってる」
俺たちは、もうただの同居人じゃない。
対等な立場で、あの子たちの未来を想う『共同保護者』なんだ。
そう、確信できた。
◇◇◇
ふっと、シグルーンが立ち止まり、俺の方に向き直る。
その真剣な眼差しに、俺はゴクリと喉を鳴らした。
「だからこそ、だ」
彼女の瞳が、月光を宿して強く輝く。
「この子たちの才能を、この村で終わらせてはいけない」
俺が昼間に感じていた、漠然とした不安。
それを、彼女はとっくに見抜いていた。
「私は、あの子たちの力を正しく導き、守る方法を探したい。特にクータルだ。あの子の力は、もはや祝福とも呪いともつかん。制御できなければ、いつか自分自身を焼き尽くしかねん」
その言葉は、俺の胸に突き刺さった。
あの夜の、黄金の竜の姿。
悲しげに涙を流していた、娘の顔が脳裏をよぎる。
「……どうしろって言うんだ」
「王都へ行くのはどうだろうか」
王都。
その言葉に、俺は言葉を返せなかった。
「王都には、シルヴァンテ王国最高の叡智が集まる『王立ヴァルヘイム魔法学園』がある。私の出身校でもある。あそこならば、クータルの力の正体を知る手掛かりが掴めるやもしれん。ピヒラの知的好奇心を満たす、膨大な書庫もあるだろう。ミーシャにとっても、様々な種族が集う王都は良い刺激になるはずだ」
「王都、か……」
現実味のない響きだった。
俺のような、辺境暮らしのおっさんには縁のない世界だ。
「だが、いきなり生活の拠点を移すのは、あの子たちにとっても負担が大きい。……だから、提案がある」
彼女は、そこで言葉を区切ると、悪戯っぽく、ふっと口元を緩めた。
それは、俺が今まで見た彼女のどの表情よりも、魅力的で、引き込まれるものだった。
「王立魔法学園にはな、『三ヶ月の短期聴講制度』というものがあるんだ。貴族の子弟が長期休暇中に見聞を広めるためのものだが……まあ、コネを使えば、平民でも潜り込ませることはできる」
「三ヶ月……」
「そうだ。三ヶ月だけ、お試しで王都で暮らしてみる。もし駄目なら、途中でやめて、またこのウィッカーデイルに帰ってくればいい。どうだ? 悪くない話だろう?」
なるほど。
これなら、この愛しい我が家がなくなる心配もない。
俺が唯一、戸惑っていたのは、俺自身の立場だ。
俺が王都に行って、何ができる?
そんな俺の心を見透かしたように、シグルーンはとどめの一言を放った。
「もちろん、お前も一緒に行くんだぞ、ダンスタン。あの子たちには父親が必要だ」
彼女は自信満々に胸を張る。
「お前の席も、私のコネで用意できる。『王立魔法学園・特別顧問』だ。元Aランク冒険者の経験と知識は、机上の空論ばかりの教師よりも、子どもたちへの良い手本となるだろう」
「……特別、顧問?」
「どうだ? 私の母校で、『特別顧問』をやってみる気はないか?」
どこまで、お見通しなんだ、この女は。
俺の不安も、ためらいも、全て先回りして、解決策まで用意してやがる。
この片田舎で、のんびりと暮らすのも悪くない。
結局、人間のストレスの大半は人間関係に起因している。
……だが、この田舎での生活は、あの子たちの可能性を摘み取る檻になっていやしないか?
あのキラキラした瞳が、もっと広い世界を知ったら、どれほど輝くんだろう。
俺は、天に浮かぶ三日月を見上げた。
父親として、俺がしてやれる一番正しいことって、一体なんなんだ……?




