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仲間を全員失った元英雄のおっさん(42)、辺境で子育てを始めたら娘たちが最強すぎてスローライフが崩壊する件  作者: 河東むく


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第22話 シグルーンの教え

 シグルーンが家に来て、最初の朝が来た。


 俺がいつも通りに起き出して、台所に立とうとした、その時だった。


「待て、ダンスタン」


 振り返ると、そこには腕を組んだシグルーンが立っていた。

 普段のギルド支部長の鎧姿ではなく、ラフなシャツ姿だ。

 それが妙に新鮮で、そして、どうしようもなく気まずい。


「なんだ?」


「なんだ、ではない。今日から私もこの家の一員だ。居候の身で、何もしないわけにはいかん」


 彼女はそう言うと、ずん、と俺の前に進み出て、台所の主導権を奪い取るように仁王立ちした。


「朝食は、私が作る。君は座っていろ」


 有無を言わさぬシグルーンの宣言に、俺は大人しくテーブルの椅子に腰を下ろした。

 まあ、本人がやるって言ってんだ。彼女のプライドを尊重しよう。

 そう思ったのが、間違いだった。


 シグルーンが台所に立ってからというもの、そこは戦場と化した。

 まな板の上には規格外の大きさの野菜の塊が生まれ、フライパンは謎の黒い物体を錬成し、俺の胃は静かに覚悟を決めていた。

 ピヒラは隣でハラハラしながら彼女の補助をしているが、焼け石に水だ。


 そして、極めつけはスープ作りだった。


「ふむ……。香り付けには、これが良さそうだな」


 シグルーンの視線が、ピヒラが管理する薬草棚に留まる。

 彼女は棚から見た目も鮮やかな、乾燥ハーブを一つまみ、自信満々に手に取った。


「あっ、シグルーンさん、それは……!」


 ピヒラが血相を変えて叫ぶ。

 だが、その声は届かない。シグルーンは「む?」と不思議そうな顔をしながらも、そのハーブを、ぱらぱら、と煮えたぎる鍋の中に投入してしまった。


 ――終わった。


 ピヒラが、がっくりと膝から崩れ落ちる。

 「あれは……食べたら三日は舌が痺れるっていう……薬草……」

 薬草としては超有能だが、食材としては超弩級の地雷だったらしい。


 味見をしたシグルーンは、一口含んだ瞬間、硬直した。

 そして、その顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「な……なんだ、この……舌が痺れて、味覚が消え去るような感覚は……」


 彼女はふらふらとおぼつかない足取りで台所を離れると、部屋の隅に行き、無言で、体育座りを始めてしまった。

 背中が、ものすごく小さく見える。


 普段の威厳はどこへやら。完全に心が折れちまってるじゃねえか。


 俺とピヒラが慌てて絶望的な味のスープをどうにかできないか奮闘していると、一人の救世主が動いた。

 ミーシャだ。


 彼女は、体育座りで微動だにしないシグルーンの元へ歩み寄る。

 そして、その綺麗な亜麻色の髪を、小さな手で、ぽんぽん、と優しく撫でた。


「しぐるーん、げんきだすにゃ」


 慰めている。

 うん、偉いぞミーシャ。


「だいじょーぶにゃ! 料理ができなくても、シグルーンはつよいから!」


 その言葉に、シグルーンの肩がわずかに揺れる。

 だが、ミーシャの純粋すぎる追撃は、まだ終わらなかった。

 彼女は、にぱっと屈託なく笑うと、とどめの一言を放つ。


「やくたたずは、あたしと一緒に、がーでぃあんをやるにゃ?」


 悪気ゼロ。

 むしろ、仲間意識の現れだ。

 シグルーンが、ぷるぷると震えながら顔を上げた。

 その表情は、怒っているのか、泣いているのか。

 とにかく、とんでもなく複雑な顔をしていた。


 俺は、鍋の片付けを終えたピヒラと顔を見合わせ、苦笑するしかない。


「気にするなよ、シグルーン」


「……だが、私は……」


「誰にだって苦手なことはあるさ。俺だって、魔法はからっきしだ。お前はもう、居候じゃなくて家族なんだ。そんなに気負う必要はねえよ。ここにいてくれるだけで、十分なんだからさ」


 俺のぶっきらぼうな慰めに、シグルーンは何も言わない。

 ただ、俯いたまま、きゅっと唇を結んでいた。


◇◇◇


 昼下がり。

 嵐のような朝食騒動が嘘のように、家の中は穏やかな時間が流れていた。

 クータルは庭で泥だらけになって遊んでいるし、ミーシャは日当たりのいい窓辺で気持ちよさそうに丸くなっている。


 そして、ピヒラは。

 テーブルで、分厚い本を相手に真剣な顔で向き合っていた。

 あいつは最近、薬草の勉強に夢中なんだ。

 この前、市場の古本屋で「パパたちが怪我をした時に、私が治せるようになりたいから」なんて健気なことを言うもんだから、買ってやった本だった。


 その光景を、部屋の隅の椅子に座ったシグルーンが、じっと、真剣な顔で見つめていた。


 しばらくして、彼女は意を決したように静かに立ち上がると、俺の隣にやってきた。

 そして、俺にだけ聞こえるような、ひそやかな声で尋ねる。


「……なあ、ダンスタン」


「ん?」


「あの子……ピヒラに、少し助言をしてもいいだろうか」


 その声には、彼女らしからぬ戸惑いと遠慮が滲んでいた。


「あの子が読んでいる本は、私も知っている。素晴らしい教本だ。だが、記されている知識は少し古い。……差し出がましいとは思うのだが、気になってしまってな」


 あの、天下のギルド支部長が。

 ただの一人の子供に話しかけるのに、こんなにも慎重になっている。

 その不器用さが、なんだか、どうしようもなく愛おしく思えた。


 俺は、ニヤリと笑って見せる。


「差し出がましいもんか。どんどん言ってやってくれ。あいつはお前のファンみたいなんだ。あの剣技、すごかったって言ってたぞ」


「……ファンなんて、恥ずかしいな」


 シグルーンは微笑し、ピヒラのもとへと向かっていった。


「熱心だな、ピヒラ。何を読んでいるんだ?」


「は、はいっ! シグルーンさん!」


 突然声をかけられ、ピヒラの肩がびくりと跳ねる。

 彼女はおずおずと、読んでいた本の表紙を見せた。


「……『実践・薬草学大全(第七版)』か。懐かしいな。私も昔、これを隅から隅まで読んだものだ」


 シグルーンの口元に、ふっと、柔らかい笑みが浮かんだ。


「素晴らしい本だが、一つだけ、覚えておくといい。この本の知識は、盤石な状況で使うには最適だが、実戦では必ずしもそうではない」


「実戦……ですか?」


「ああ。例えば、レクナール草の項目を開いてみなさい」


 シグルーンは、ピヒラの隣にそっと腰を下ろすと、彼女の小さな頭に優しく語りかけるように、言葉を続けた。


「本には、治癒効果を最大限に引き出すには月光を浴びせた聖水で煎じるとあるだろう? だが、仲間が目の前で血を流している時に、そんな悠長なことはしていられない。そういう時は――」


 彼女は、ピヒラの手を優しく取った。


「こうして、自分の魔力をわずかに練り込みながら葉をすり潰すんだ。効果は少し落ちるが、即効性が格段に上がる。やってごらん」


「こ、こう、ですか……?」


 戸惑いながらも、ピヒラが教えられた通りにイメージすると、ページの上に置かれた栞代わりの葉っぱが、ふわりと淡い光を放った。


「すごい……! 本当に光った……! こんな方法、本にはどこにも書いてなかったです……!」


 目をキラキラと輝かせ、尊敬の眼差しで自分を見上げてくるピヒラ。

 その純粋な反応を受けて、シグルーンの口元にも、これまで見たことがないような、柔らかい笑みが浮かんでいた。


 料理の腕は壊滅的。

 子供との接し方も、まだ手探り。

 だが、その知識と経験は、紛れもなく本物だ。


 俺は、この幸せな時間がずっとつづいてほしいと、心の底から願った。

 こういう、平凡な日々でいいんだ。

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