第21話 俺が、一生面倒を見る
ブルーム男爵との一件から、数週間が過ぎた。
俺の右肩を貫いた闇の槍による傷は、ピヒラが植えてくれた『レクナール草』のおかげで、我ながら引くくらいあっという間に完治した。
まったく、うちの娘たちの力は、良い方向に規格外すぎて末恐ろしいぜ。
失脚した男爵の悪事が次々と明るみに出たことで、ウィッカーデイルには本当の意味での平穏が訪れ、俺たちの家は――。
「ぱぱー! みてみて、ピヒラが作ったにんじんさん、おうまさんの形してるー!」
「こ、こらクータル!」とピヒラ。「それはシチューにするの……あっ、ミーシャ! つまみ食いはだめ!」
「にゃっふん! これは味見という名の、チーフ・ガーディアンによる毒味でありますにゃ!」
今日も今日とて、台所から賑やかな声が聞こえてくる。
かつて、静寂と孤独だけが満ちていたこの家は、今や娘たちの笑い声で溢れかえっていた。
この、騒がしくて、手がかかって、どうしようもなく温かい毎日。
これが、俺の宝物だ。
「よし、お前ら! 今日は街に買い出しに行くぞ! 帰りにギュンターの店で美味いパイでも食って帰るか!」
「「「わーい!!」」」
俺の言葉に、三人の娘たちが満面の笑みで飛びついてくる。
俺はそんな娘たちに揉みくちゃにされながら、柄にもなく、幸せを噛みしめていた。
◇◇◇
四人で街を歩く。
市場ですれ違う人々が、今では娘たちに笑顔で手を振ってくれるようになった。
暴走馬車の一件以来、俺たちはすっかり街の人気者だ。
まあ、目立つのは本意じゃねえが、娘たちが嬉しそうにしているなら、それも悪くねえか。
一通り買い物を済ませ、俺たちは冒険者ギルドの前を通りかかった。
シグルーンの奴、最近は忙しいのか、あまり顔を見せに来ないな。
娘たちも会いたがってるし、今度こっちから顔でも出してやるか。
なんてことを考えていた、まさにその時だった。
「……ん?」
ギルドの正面入り口の前に、いつもとは違う服装の女性がいた。
旅人が着るような、丈夫そうなシャツとパンツスタイル。
いつもきつく結い上げられていた亜麻色の髪は、今はさらりと下ろされている。
そして何より、その足元には、巨大なトランクがひとつ。
呆然と立ち尽くす俺の隣で、クータルがぱあっと顔を輝かせる。
「あ! きれいなおねーちゃんだ!」
間違いない。
シグルーンだ。
だが、その姿は、どう見たって、途方に暮れているようにしか見えなかった。
俺の胸に、ずしり、と鉛のような嫌な予感が広がっていく。
◇◇◇
「シグルーン、その荷物はどうしたんだ」
俺の声に、シグルーンはびくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返る。
その顔は……いつも通りのように見えた。
あるいは、そう見せているだけか。
「……ダンスタン、か」
「どうしたんだよ、その格好。それに、そのトランクは……。まさか……」
嫌な想像が、頭の中で最悪の形を結んでいく。
ブルーム男爵との一件。
俺は、彼女の忠告を無視して、結果的にギルドを巻き込む大騒動を引き起こした。
貴族を敵に回したギルド支部長。
その責任は、決して軽いものじゃないはずだ。
「まさか、男爵との一件で、ギルドを辞めさせられたのか……? 俺たちの、せいで……」
俺の言葉に、シグルーンは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「自分から辞めたんだ。責任のある立場の人間が、責任を取るのは当然だ」
その、あまりにも潔い一言。
彼女は、俺たちを責めるでもなく、ただ自らの運命を受け入れたかのように、静かにそう言ったんだ。
その誇り高い態度が、逆に俺の胸を締め付けた。
なんてこった……。
やっぱり、そうだったのか。
俺のせいで。
俺が、この街で一番頼りになる、気高くて、強くて、優しい女の人生を、めちゃくちゃにしちまったんだ。
彼女は、これからどうするんだ?
シグルーンは、日夜を問わずギルドの支部長室で過ごしていた。
この大荷物を抱えて、一人でどこへ行こうとしてるんだ?
行く当てなんて、あるわけが……。
責任を取る。
そうだ、俺が、責任を取らなきゃならねえ。
父親として、一人の男として。
この人を、このまま見捨てるわけにはいかねえだろうが。
俺は、腹を括った。
ごくり、と喉を鳴らし、覚悟を決めて、一歩前に出る。
「シグルーン」
「……なんだ」
「もう、あんたを一人にはしておけねえ。俺が、一生面倒を見る」
俺の、不器用な、だが偽らざる本心だった。
「……は?」
シグルーンが、素っ頓狂な声を上げた。
俺は構わず、言葉を続ける。
「だから、うちに来い」
◇◇◇
「…………へ?」
俺の、あまりにも真っ直ぐすぎる言葉。
それを聞いたシグルーンは、完全に思考が停止したという顔で、ぽかんと口を開けていた。
さっきまでの計算高い表情はどこへやら、その頬が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「な、ななな、何を、いきなり、ば、馬鹿なことを言っている貴様は!? い、い、一生面倒を見る、だと!? そ、それは、つまり……その……」
狼狽し、しどろもどろになっている。
いつも怜悧な彼女からは、想像もつかない姿だ。
「ん? なんでそんなに焦ってるんだ? 俺たちのせいで住むところがなくなったんだ。住む場所と食い扶持の面倒を見るってのは、当然の話だ」
俺が言うと、シグルーンの動きがぴたり、と止まった。
真っ赤だった頬の色が、今度は別の意味で、怒りの色に再点火する。
彼女は、ずん、と俺の目の前に一歩踏み込むと、俺の胸倉を掴まんばかりの勢いで、ビシッと指を突きつけてきた。
「紛らわしいことを言うな、この朴念仁がァッ!」
「へっ?」
「い、一生面倒を見る、などと……! そんな、い、いかにも意味ありげな言い方をして! 人をとんでもない勘違いさせおって……!」
鬼の形相でまくしたてるシグルーン。
その剣幕に、俺は完全にたじろぐ。
勘違い?
なんのことだ……?
俺は何か変なことでも言ったか?
俺が本気で訳が分からず混乱していると、ぷんすかと怒るシグルーンの服の裾を、小さな手が、きゅ、と引いた。
「おねーちゃん、おこってる?」
声の主は、クータルだった。
見上げれば、俺たちの間の険悪な(?)空気をものともせず、純粋な瞳で、不思議そうに小首をかしげている。
その、あまりにも無垢な一言に、シグルーンの怒りの炎が鎮火していくのが見えた。
「……っ、いや、怒ってなど、いない」
ふいっとそっぽを向き、咳払いをするシグルーン。
その耳まで真っ赤だ。
クータルはそんな彼女の様子は気にせず、続ける。
「おうち、ないの? じゃあ、わたしたちのおうちにおいでよ! いっしょにあそぼ!」
太陽みたいな、純度百パーセントの笑顔。
その、あまりにも無垢な誘いに、ピヒラとミーシャも続く。
「そ、そうです! シグルーンさん、うちへ! 私のつくったシチュー、食べて見てください!」
「今夜はとっておきのお肉だにゃ! みんなで食べると、もっとおいしいにゃ!」
娘たちの、何の裏もない、ただただ純粋な善意。
それは、どんな理屈よりも、どんな大人の駆け引きよりも、強く、人の心を動かす。
シグルーンは、自分を取り囲む三人の小さな顔を、順番に見つめた。
やがて、観念したように、ふぅ、と息を吐く。
その表情は、もう怒ってもいなければ、照れてもいない。
ただ、どうしようもなく愛おしいものを見る、優しい顔だった。
「……分かった。では、お言葉に甘えさせてもらおうか」
こうして、俺たちの家に、新しい同居人が加わることが、あっさりと決まった。
娘たちは、もちろん大喜びだ。
シグルーンの手を引き、俺の荷車に彼女のトランクを乗せ、俺たちは四人……いや、五人で、賑やかに家路についた。
◇◇◇
その夜。
ピヒラが腕によりをかけて作ったシチューを、五人で囲む。
シグルーンは、娘たちに囲まれて少し戸惑いながらも、本当に嬉しそうに、その温かい料理を味わっていた。
食後、俺が客間として使っていた部屋を、シグルーンのために片付ける。
彼女が巨大なトランクから荷物を解き始めた時、俺は娘たちに風呂の準備をさせて、一人で暖炉の前に座っていた。
これから、どうなるんだろうな。
そんなことを考えていると、背後から、ひそひそと声が聞こえてくる。
「しぐるーん、なにしてるのー?」
「物置がきれいになってる……」
「ベッド、ふかふかだにゃ……」
いつの間にか、娘たちが三人揃って、シグルーンの部屋の入り口から、興味津々に中を覗き込んでいやがった。
俺が「こら、お前ら」と声をかけようとした、その時だった。
「ふん……。思ったより埃っぽくないな。まあ、及第点だ」
聞こえてきたのは、新しい同居人の、素直じゃない憎まれ口。
だが、その声は、どこか楽しそうで、弾んでいるように聞こえた。
覗き込む娘たち。
それを受け入れる、元ギルド長。
俺は、ガシガシと頭を掻いた。
また一人、厄介で、手のかかる……それでいて、かけがえのない【家族】が増えちまった。
これから始まる、騒がしくて、温かい、奇妙な共同生活。
まあ、悪くねえ。
悪くねえどころか、最高かもしれねえな。
俺は、暖炉の炎を見つめながら、一人、静かに笑った。




